前川恭子調教師(48)=栗東=はJRA初の女性トレーナーとして開業から約5か月。「馬ファースト」運営を掲げて奮闘する、初めての夏を過ごしている。
―開業から約5か月。日々、精力的に動いている姿を目にする。
「楽しめてはいないですよ(笑)。馬って、思う通りにならない生き物で、勝てないことの方が多いですから。ただ、調教師にならない方がストレスだったと思う。やりたいことをやるために始めたし、自分が馬のためにやりたかったことはできています。これで結果が出るようになれば楽しくなるのかな、と」
―馬房の前にモップがあったり、スチーマーで牧草を蒸したり、他厩舎にはない取り組みが多い。
「(モップは)棚や壁や網などのほこり取りをやってほしくて。(スチーマーは)馬は食べながら鼻で呼吸をするので、ほこりだけでなく、カビやバクテリアも自然と吸い込んでしまう。潜在的に喘息の馬は多いと言われていて、気道が狭くなれば、酸素を最大限に取り入れられないじゃないですか。うちは咳をする馬は少ないと思います」
―馬房の中に細長い鏡を張っていたこともある。
「海外の記事を読んでいて、馬房の中で熊壁(ゆうへき、馬体を左右に揺らす癖)や旋回する馬が鏡で直る、と。馬は映る姿が自分と分からず、友達がいると思って安心するらしいです。実際に、すごく熊壁する馬が止まったんですよ」
―ここまでJRAで4勝。初勝利時に「私のことより、この子が勝ち上がってホッとした」と口にしたのが印象的だった。
「勝てば中央競馬に残れるし、特に繁殖牝馬になれば価値もすごく変わる。その後も大切にされて、長生きしてほしい。だから、1勝は大事に考えています」
―厩舎の雰囲気は明るい。
「スタッフはお願いしたことを素直に受け入れてくれている、ポジティブな人ばかり。すごく助かりますし、その点の悩みはないです。コミュニケーションは取れているかなと思います」
―アイビスSDには連覇を狙うモズメイメイを送り出す。
「北九州記念(15着)は直線で前が開かなかった。つまずいたりとかして、ダメージが心配でしたが、逆に1回使って、めちゃくちゃ歩様も体も良くなった。
―この馬ではG1(高松宮記念)も経験した。
「G1だからという緊張はなかった。レース中もいつもと同じ。逆に言うと、どのレースでも無事に帰ってくるのかと常に緊張しています」
―JRA出走回数は同期最多の112回で、地方も7回。師事する矢作師を踏襲しているようだ。
「出走回数を目指すというより、一頭一頭に多く出走してほしいんです。なるべく多くの走る機会を設けたい。結局、適性が分からないまま引退しちゃたりするのを避けたいんですよね」
―確かに積極的に条件を替える印象がある。
「使ってみないと分からないですから。惜しい競馬じゃなければ、もっと適性があるんじゃないかな、と思う時がある。うちは心拍とか取っていて、そのデータからいい素質あるのになという馬もいるので、合う条件があるんじゃないかなと希望を求めて試します」
―あくまで馬ファーストですよね。
「当然、馬のことはよく見ています。
―この夏を始め、これから見据えている目標は。
「(開業前に)矢作厩舎でお世話になりたいと思ったきっかけが、『一銭でも多くぶんどる』という厩舎のサブテーマが好きだったからなんです。全部が勝てる馬ではない以上、勝つことももちろん大事ですが、勝てなくても少しでも上の着順を目指すことにこだわりたい。その点を厩舎のみんなで共有して、いろいろと相談しながら、頑張っていければと思っています」
◆前川 恭子(まえかわ・きょうこ) 1977年4月9日、千葉県生まれ。48歳。11歳で乗馬を始め、筑波大卒業後に牧場勤務を経て、03年に競馬学校入学。同年10月に栗東の崎山博樹厩舎に入り、厩務員から助手になる。主な担当馬は08年京阪杯を勝ったウエスタンダンサー。坂口智康厩舎を経て、今年3月に厩舎を開業。同23日にJRA初勝利を挙げる。
◆競馬学校の同期、高柳大調教師と同じあふれる馬への愛情
ある人への取材の記憶が一瞬で呼び起こされた。前川調教師から「競馬好きというより馬好きなんです。競走馬ってかわいいじゃないですか」と聞いた時だ。日本ダービーの前に「競馬をあまり知らないからプレッシャーと言われても」と笑みを浮かべていたミュージアムマイルの高柳大調教師だった。
前川師にそのことを伝えると、「競馬学校の同期で、年も全く同じ同級生なんです」と返された。同期で調教師になったのは2人だけ。それだけではない。入学前に研修で行っていたアイルランドでもすでに顔を合わせていたというから驚いた。
偶然にも2人の取材であふれ出るように伝わったのが愛馬ファーストの気持ちだ。高柳大師はすでにG1を3勝。