俳優で歌手の上條恒彦(かみじょう・つねひこ)さんが22日に長野県内の病院で老衰のため死去した。85歳だった。

所属事務所が発表した。葬儀・告別式は妻の悦子さんが喪主を務め、親族のみで執り行った。

 温かみのある演技とスケールの大きな歌声でミュージカル「ラ・マンチャの男」などに出演した上條さんが天国へと旅立った。昨年6月に最後の舞台となった「六月の雨 ~梅雨は嫌いですか?~」に出演したが、年末に誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。今年1月に登壇予定だった映画「シンペイ~歌こそすべて」(神山征二郎監督)の舞台あいさつを欠席した。最期は家族に見守られて息を引き取った。

 長野県で生まれ、高校卒業後の58年に上京すると、4年間で10回以上も転職を繰り返しながら、芸能界への道を模索。新宿の歌声喫茶「灯」で週6日、1日に50曲以上を歌ってバリトンの歌声を鍛えた。

 62年に歌手活動を始め、71年に歌手デビューすると、同年の「出発(たびだち)の歌」で第2回世界歌謡祭グランプリを受賞。72年にドラマ「木枯し紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」がヒット。俳優としてはドラマ「3年B組金八先生」の教師役で注目され、「ハイリハイリフレ、ハイリホー」の歌声が印象的な丸大食品のCMでも親しまれた。

 87年に長野県の八ヶ岳山麓に移住。

ひげがトレードマークで山男のような風貌とは対照的に、内面は繊細だった。下積み時代の苦労と研究熱心さが、上條さんの長いキャリアを支えた。

 ◆上條 恒彦(かみじょう・つねひこ)1940年3月7日、長野県生まれ。62年から新宿の歌声喫茶「灯」で歌手活動を始め、72年にNHK紅白歌合戦に出場。76年の「ピピン」日本初演をはじめ、「屋根の上のヴァイオリン弾き」「マイ・フェア・レディ」などミュージカルに多く出演。私生活では65年に最初の結婚をしたが、77年に離婚。83年に元女優の悦子夫人と再婚。5児の父。

武田鉄矢「『3年B組金八先生』で服部先生を演じてくださり、いつも支えていただきました。子供と一緒に泣きながら芝居をしていると、クラスの隅で泣きながら見てくださる先生でした。演じることに対して非常に真面目で、誠実な方で。熱演が終わると『良かったよ』と褒めていただき、励みになりました。

心より感謝しております」

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