歌手の近藤真彦(61)が7月31日放送のフジテレビ系「トークィーンズ」(木曜・午後11時)に出演。ハード過ぎたデビュー時を回顧した。

 今年で歌手デビュー45周年。昭和、平成、令和をアイドルとして駆け抜けてきた近藤はデビュー2年目の1981年、17歳でレコード大賞を獲得。あっという間にトップスターに登り詰めた時代について「週に4回か5回は生放送の歌番組があるわけよ。月曜日は『レッツゴー・ヤング』、火曜日は東京タワーの下で『ヤンヤン歌うスタジオ』の収録、水曜日が『夜のヒットスタジオ』だったかな? 木曜日が『ザ・ベストテン』。それが全部、生放送で」と振り返った。

 さらに「『平凡』とか『明星Myojo』ってアイドル誌があって。あの表紙は時のアイドルが代わりばんこにやって。例えば男性1人に女性2人とか、時のアイドルだから全員そろうのが夜中の11時とか12時なのよ。みんな仕事終わってから、都内の某スタジオに集まって。みんな疲れてる。2ショット、3ショットに命をかけて、ウワ~ッと笑って。それで、あのわざとらしい笑顔があるのよ。

あんな忙しい中でよく笑ってると思うよね」と明かした。

 続けて「ツアーのオープニングで脚立みたいなのから飛び降りたら、脚立もコケて頭から落ちていったの。(左手)が『折れてる、折れてる』って言ったら、マネジャーが『折れてない』って言うんだよ」と苦笑しながら振り返ると「そうか、折れてないかと思って、もう一回、舞台に戻ったの。そうしたら目の前が真っ暗になって、汗をブワッとかいて、そのまま救急車。そうしたらマネジャーが『どうする? 会場でファンの人が待ってるよ』って。行かないってわけにいかないじゃん。『行きます』って言って、そのまま(病院から戻って)コンサートやったの」と過酷な体験を明かした。

 その上で「骨折したまま、その日2回やって、次の日曜日2回やって、計4回やったの。今では考えられないでしょ?」と続けると「その時、『ブルージーンズメモリー』って映画もやってたんだけど、骨折した役に変わったからね、急に。ケンカして骨折したって設定になったから。時間がなかったから。『ベストテン』とかも三角巾で腕をつって出た。

その三角巾とギプスにサインして、ファンにプレゼントしたんだから。マッチの三角巾プレゼントって」と明かした。

 全く休まなかった当時について「働き過ぎですよ。休み欲しいとか言えなかった?」と共演の指原莉乃に聞かれると「言っちゃダメだったのかも。僕、休みが欲しいというよりも『お前はあと3か月したら芸能界からいなくなるから。人気なくなるから。1年したら、お前いなくなるから』って常に言われ続けたから。アイドルってそんなもんだって思うじゃないですか? だから、ああ、そうか。今、こんな時期に休みくれなんて言えないなって我慢していたところがあるかも」と振り返っていた。

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