◆スポーツ報知・記者コラム「両国発」

 あれから30年か。場所は大阪・吉本興業本社。

取材対象者は吉本新喜劇座員の高井俊彦(49)だ。1995年4月入学の吉本総合芸能学院(NSC)大阪校15期生として切磋琢磨(せっさたくま)した同期生のロングインタビューが7月下旬、初めて実現した。「よろしくお願いしま~す」と頭を下げてから見つめ合い、同時に「ふふふ」と照れ笑いが声に出た。

 高井はすぐ売れた。漫才コンビ・ランディーズのツッコミとして、00年代初頭に早くもブレイク。ともにNSCの授業で毎週新ネタを下ろす“意識高い系生徒”ではあったが、一方の私はピン芸人としてさまざまなオーディションに参加したとて、箸にも棒にもかからない。唯一「これ受けてみたら?」と姉に勧められて受験した“オーディション”で合格。お笑いとは関係のない報知新聞社の採用試験だった。

 私は入社以来、紙面レイアウトとスポーツ報道を担当し、お笑いとは無縁の生活を送っていた。同期の星は「ワーキャー」な人気もひと息つき、大人のコメディアンへ変身しつつあった。いろいろあって17年にコンビ解散。その3年後だ。

私が芸能デスクに転属したことで、人生曲線が再び交わったのだ。久々に連絡が来た。いわく元相方・中川貴志(50)と「一夜限りコンビを再結成するので、見て書いてくれ」と。ただ当時はコロナ禍。対面取材は実現しなかった。

 それからさらに5年。今月27日、50歳の誕生日当日に、芸歴30周年も記念して、ピン芸人としてNGKで初めて開催する単独公演「高井俊彦新喜劇」PRの取材だったが、ほとんどの時間は思い出話に費やした。持ち前のセルフプロデュース能力で、いまだにジワジワ売れつつある同期生。芸人人生の目標と定める「男・浅香あき恵」への道を、戦友として報じていきたい。(芸能担当・田中 昌宏)

◆田中 昌宏(たなか・まさひろ) 1997年入社。NSCでは笑い飯・西田より長い髪がトレードマークでした。

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