34年ぶりに東京・国立競技場で開催される陸上の世界選手権まで、13日であと1か月に迫った。日本陸上競技連盟の有森裕子新会長(58)がこのほど、スポーツ報知の単独取材に応じ、大会への期待感や見所などを語った。
新たな立場で迎える東京世界陸上へ、胸の高鳴りは徐々に大きくなってきた。有森会長は世界大会初出場の91年東京世陸で4位入賞。その後、翌92年バルセロナ五輪で、1928年アムステルダム800メートルで日本女子初の銀メダルを獲得した人見絹枝以来、64年ぶりに銀メダルに輝き、96年アトランタ五輪で銅メダルを獲得した。34年ぶりに帰ってくる東京での大舞台。黎明(れいめい)期だった当時を知るからこそ、一層の熱い思いがある。
「34年前、国際大会デビューが東京世界陸上でした。その時は選手として全然(実績がなく)、まだ必死。自国開催だから、4位でも話題になった部分があったと思います。当時は正直、陸上というとマラソン。トラック&フィールドは世界とかけ離れていました。
現在の日本陸上界は、やり投げの北口榛花(27)=JAL=を筆頭に競歩の山西利和(29)=愛知製鋼=、ハードルの村竹ラシッド(23)=JAL=ら様々な種目でメダルや入賞が期待される選手が増えた。日本陸連のトップとして、メダル獲得数など具体的な目標はあえて口にしない。
「彼らが思う存分、頑張ってくれることを、最大に信じて大会に臨みたい。固定観念は持って見てほしくないんです。私も(世界大会に)出るまでは、有森裕子が強い、なんて誰も思ったことはなかった。それがメダルを取る。この意外性が皆の記憶に残り、感情にも残ってくれていると思います。それがスポーツの面白いところでもある」
国立競技場は21年東京五輪はコロナ禍で無観客開催。今大会は既に37万枚以上のチケットが売れ、地元の大観衆の声援が力になる。
「時差調整もないし、物資も何でも手に入るし、良いことだらけです。
メダルの感動とともに選手たちの名言も世陸を楽しませてくれる。有森会長は96年アトランタ五輪のレース後「自分で自分を褒めたい」と発し、その年の流行語大賞に選ばれた。ルーツは昨年8月に亡くなった、フォーク歌手の高石ともや氏(享年82)が1984年全国都道府県駅伝の開会式で、全国から集まってきたランナー全員に「ここまで一生懸命やってきた。まずは自分で自分を褒めなさい」とエールを送ったことだった。
「そこで言い回しを知りましたが、その時は封印したんです。絶対に、自分がこれ以上強くならないってなった時に使おうって決めました。名言は作るものでも、考えるものでもないです。その人間に思いと感情があれば、自然に出てくるものです。名言というか、記憶に残る言葉。
大観衆の熱気にあふれた聖地、国立競技場の熱狂を思い描いた。
◆有森 裕子(ありもり・ゆうこ)1966年12月17日、岡山市生まれ。58歳。85年に就実高から日体大に入学。89年に卒業し、小出義雄監督率いるリクルートに入社。90年1月、大阪国際で初マラソン日本記録、91年の大阪国際で日本記録(ともに当時)を記録し、同年の東京世界陸上は4位。92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅。2007年に引退。
◆1991年東京世界陸上(8月23日~9月1日、国立競技場) 男子マラソンで谷口浩美が世界陸上日本勢初の金メダルに輝き、篠原太が5位入賞。同女子は山下佐知子が銀メダル、有森裕子が4位入賞を果たした。男子50キロ競歩では今村文男が7位入賞、男子400メートルは高野進が短距離の日本勢で59年ぶりの決勝進出を果たし、7位入賞した。
◆取材後記
有森新会長の女性らしい明るい気配りが、ステキだった。インタビューが終わり、最後に写真撮影。日本陸連は東京・新宿区のジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエアの建物内にあり、窓からは聖地・国立競技場が奇麗に見える。打ってつけの撮影スポットだった。昼の12時過ぎ。一番大きな窓の前にはランチ中の職員の方々が多く、有森新会長は見守られながら、晴天の国立をバックに決めポーズ。今回の企画にぴったりな、ステキな写真が撮れた。去り際、職員の方々に「ランチ中に、失礼しました! 東京世界陸上、よろしくお願いします」と笑顔で宣伝した有森新会長。この記事の掲載日を聞いてくれた職員の皆さんが、世界陸上本番も楽しんでくれたら私もうれしい。(莉)