◆報知プレミアムボクシング ▷激闘の記憶 第5回 西岡利晃VSジョニー・ゴンサレス
報知プレミアムボクシング「激闘の記憶」第5回は、元WBC世界スーパーバンタム級王者・西岡利晃(帝拳)の衝撃のワンパンチKO防衛をピックアップ。2009年5月23日、メキシコ・モンテレイ。
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目の覚めるKO劇とは、まさにこのことだ。3回、西岡がリング中央で打ち込んだ左ストレート。左足で目いっぱい踏み込み、全体重を乗せた左の拳が挑戦者の顎を射抜くと、ゴンサレスはロープ際まで吹っ飛んだ。あおむけにダウンして動かない。何とか立ち上がるが、膝は不器用に笑う。続行不可能と判断したレフェリーは試合をストップ。完全アウェー、ゴンサレスの応援一色に染まっていた会場は、「恐怖の左」に一瞬、静まりかえった。母国のスター選手を一撃で倒したパンチに、メキシコ放送局のアナウンサーは絶叫した。
現地では誰も日本人チャンピオンが勝つとは思っていなかった。米国でもビッグファイトをこなすゴンサレスの名は世界に知れ渡り、知名度では西岡をはるかにしのいだ。試合前に放送された地元の番組では「ゴンサレスに勝てる日本人などいない」と断言された。当時、メキシコ国内には豚インフルエンザが流行。多数の死者が出ている中での試合は、開催さえ危惧されたが、西岡はメキシコ行きを決断した。が、本来ならば現地に足を運ぶはずの応援団も状況から最小限に。会場はゴンサレスの応援一色に染まった中でのゴングとなった。
ゴンサレスは初回から自慢の強打を武器に仕掛けてきた。対する西岡は相手の左フック対策として右のガードを高い位置に置き、落ち着いた立ち上がりをみせていた。
西岡の名は一気に世界へと広まった。それだけ価値のある勝利だったからだ。この興行の前座には元2階級制覇王者のラファエル・マルケス(メキシコ)が復帰戦を行っていた。ゴンサレスが西岡を下し、実力、人気を兼ね備えるマルケスとのビッグマッチというのが、地元プロモーターの青写真だったが、「モンスターレフト」がすべてをぶちこわした。リング上のインタビュー。西岡はマルケスとの対戦を聞かれると、「俺はチャンピオンだから誰とでも戦う」と堂々と宣言した。
そのマルケスとは7度目の防衛戦で激突した。2011年10月1日、ラスベガス。実力者を相手に堂々のパフォーマンスで3―0の判定勝ち。米国本土で防衛に成功した初の男子日本人王者となり、その偉業をたたえ、WBCからは日本人初の名誉王者にも認定された。ラストファイトは翌年10月。カリフォルニア州カーソンでIBF、WBO世界スーパーバンタム級統一王者のノニト・ドネア(フィリピン)との統一戦。9回TKO負けで現役生活に終止符を打った。
デビュー当時から天才と呼ばれながら、4度の世界挑戦に失敗。世界のベルトを手にしたのはプロ初戦から実に14年がたっていたが、チャンピオンになってから「より強くなった」といわれる数少ない中のひとり。試合地に関し、当時はまだ日本開催を強く希望するチャンピオンが多い中、積極的に海外に出て試合を行った先駆的な存在でもある。ゴンサレス、マルケス、ドネア―。記憶に残るファイトを数多く残したリアルチャンピオンだった。
◆西岡 利晃(にしおか・としあき)1976年7月25日、兵庫県加古川市生まれ。49歳。加古川南高3年の94年にプロデビュー。98年に日本バンタム級王座獲得(2度防衛)。00年にWBC世界同級王者ウィラポン(タイ)に挑戦するも判定負け。08年9月に5度目の世界挑戦でWBC世界スーパーバンタム級暫定王座を獲得し、7度の防衛に成功。12年3月にはWBCから日本人初の名誉王者に認定される。戦績は39勝(24KO)5敗3分け。身長169センチの左ボクサーファイター。引退後の13年9月に兵庫県西宮市に「西岡利晃GYM」をオープン。ボクシング番組の解説者としても活躍中。