◇カーリング ミラノ・コルティナ五輪最終予選代表決定戦 第3日(13日、北海道・稚内みどりスポーツパーク)
女子の決勝進出をかけたプレーオフ(PO)で、五輪3大会連続出場を目指したロコ・ソラーレは、フォルティウスに2―7で黒星。最終エンド(E)前に相手の勝ちを認めるコンシード負けで、五輪出場の可能性が消えた。
サード・吉田知那美の左肩が、藤沢の大粒の涙で濡れた。8Eで決着するPOの第6E。2―7としたところで負けを認め、3大会連続の五輪の可能性が消えた。あいさつ後、吉田知と抱擁。「さっちゃん、ありがとうね」の言葉に、何度もうなずいた。試合後は涙を拭い「フォルティウスさんが素晴らしいパフォーマンスだった。納得の負け」と、勝者をたたえた。
負けたら五輪出場が消滅する一戦。第1E、相手のスキップ・吉村紗也香のテークアウトが決まり0―3。1―5の第5Eは藤沢のショットが決まらず、2点スチールを許した。
18年平昌五輪で史上初の銅メダルを獲得した。偉業もさることながら「もぐもぐタイム」(ハーフタイムの補食)や「そだねー」の言葉も流行。22年北京五輪は銀メダルを獲得するなど、日本カーリング界の歴史を刻んできた。期待と注目は高まり、一つ敗れれば「世代交代」と騒がれた。それでも「それだけ、私たちに注目してもらっている」と受け止め、前に進んできた。その前向きさが、多くの人に愛された。
五輪への挑戦が終わった。今季は、10月に米国で行われる世界大会は残しており、藤沢は「世界一を目指していいというふうに思えたら、そこに向かってやっていきたい」と見据えた。4年に一度の舞台について、吉田知は「五輪は逃げない。
◆ロコ・ソラーレ 2010年8月、「チーム青森」でバンクーバー五輪出場の本橋麻里さんが北海道・常呂町(現北見市)で創設。吉田夕梨花、鈴木夕湖に加え、14年に吉田知那美、15年に藤沢五月が加入。16年2月に日本選手権で初優勝すると、同3月に世界選手権銀メダル。18年平昌五輪で男女通じて初の銅、22年北京五輪銀メダル。23年1月、ワールドツアー最高峰のグランドスラムで、日本勢初優勝。「太陽の常呂っ子」からロコ・ソラーレ。
◆藤沢 五月(ふじさわ・さつき)1991年5月24日、北海道・北見市生まれ。34歳。5歳からカーリングを始め、中部電力で2011~14年日本選手権4連覇。
〇…夫婦での五輪はならなかった。リードの吉田夕梨花は昨年5月、スピードスケート男子の新濱立也(高崎健康福祉大職)と結婚。新濱は今大会、応援にかけつけるなど2人での夢舞台出場を目指したが、お預けとなった。試合後、吉田は「あとは夫に頑張ってもらう番。私たちの分も、プレッシャーに感じずに、夫らしい1年を過ごしてもらえたらうれしい」とエールをおくっていた。