東京・歌舞伎座では「秀山祭九月大歌舞伎」(24日千秋楽)で「通し狂言 菅原伝授手習鑑」が上演の真っ最中だ。「学問の神様」として知られる菅原道真(菅丞相=かんしょうじょう)を演じる人間国宝・片岡仁左衛門(81)に話を聞いた。

この役は仁左衛門の当たり役で、至芸とまで言われる。しかし、本人から出てくる言葉には慢心のかけらもない。また仁左衛門を一番近くで見てきた長男・片岡孝太郎(57)に、今回の舞台に向き合う父から感じ取ったものを尋ねてみた。(内野 小百美)

 「菅原―」は、学問に秀で帝の信頼も厚かった右大臣・道真を左大臣・藤原時平(しへい)がねたみ、無実の罪を着せて太宰府(当時は大宰府)に左遷させる話が題材になっている。品格があって高潔な人物。祖父、父(11、13代目仁左衛門)が伝説をつくったこの役を、95年3月に15代目が受け継いで30年の月日がたつ。演じるのは「筆法伝授」が6回目、「道明寺」が7回目となる。

 「演じている、という意識が少しでも残っているようではいけないんです」。「役になる」という言葉があるが、演じながらセリフを思い出そうとするなどもってのほか。菅丞相は動きを通して見せる役とは異なり、「静」の役。視覚的には見えない心の動きを、どこまで伝えられるか。この大役が屈指の難役といわれるゆえんだ。

 一挙手一投足、セリフの一言一句、抑揚…全て見逃せない。中でも「筆法伝授」で不吉な異変を悟ったであろう後の花道の引っ込み。ほとんどまばたきをしていない。完全に菅丞相になっているのを証明するようなシーンだ。

 「最初のころは腕を組んで目をつむって祈るような気持ちでやっていたんです。それが、そういう気持ちを全部捨てて自分の置かれた立場に立ち向かう。情に走っていた部分をポンと切り替えて。本来の皆から信頼された人物として堂々と歩んでいく。でもこれも、『そうしよう』と突然変わったのではなく、自然とそうなっていったんですね」

 「秀山祭」については、「ご存じの通り、2代目の播磨屋(中村吉右衛門)が初代さんの偉業をたたえたい、という気持ちで2006年にたち上げたわけですよね。その気持ちを、彼が亡くなって終わらせるんじゃなくて、後々まで伝えるためにも残した方がいい、となったのでしょう。2代目とは『寺子屋』での松王丸、源蔵が思い出されます。今回の『筆法伝授』は特に初代さんとゆかりがありますからね」。

通し狂言で菅丞相が最初に登場するのが2幕目の「筆法伝授」。いまでこそ人気演目だが、長らく途絶えていたものを1943年、約半世紀ぶりの復活に動いたのが初代吉右衛門だった。

 今月の仁左衛門を説明する上でさまざまなメディアが「至芸」という言葉を使う。これ以上ない最高の芸のこと。しかし「完成したもの」となると固まってしまった印象を与える。実際はそうではない。いまも役と格闘し、もがいている。見ているのは至芸のその先の高みだ。

 歌舞伎界はヒット中の映画「国宝」もあって関心を集めている。「多くの方が興味を持ってくださるのは非常にありがたいことです。それだけに特に古典で私たちがどこまでしっかりしたものをお見せできるのか。お客様にがっかりさせるようなことがあってはいけない。

きちんとしたものをお見せする責任があるんですよ」。注目のその先を冷静に考えている。

 松竹創業130周年の今年、三大名作を通し狂言で上演。仁左衛門は3月の「仮名手本忠臣蔵」で大星由良之助、今月の「菅原―」、そして10月「義経千本桜」でいがみの権太を演じる。主演し、チケットを完売させ、俳優で最も貢献している。この人から発せられる言葉の重みを改めて思う。

 〇…若手で抜てきされた一人に、菅丞相の養女・苅屋姫役の尾上左近(19)がいる。尾上松緑(50)の長男だ。立役(男性の役)だけでなく18歳から女形も始め、驚異的な成長を見せている。仁左衛門も「伸びてほしいし、伸ばしてやりたい」と期待する。孝太郎も「お稽古中も助言すれば、すぐメモを取ろうとしたり。まじめで一生懸命」と姿勢に感心。

経験豊富な女形から“女形の心得”的なことが伝えられそうだ。

編集部おすすめ