全日本プロレスは15日、東京・後楽園ホールで今月7日に敗血症のため21歳で亡くなった長尾一大心(ながお・たいしん)選手の追悼式を行った。
式では、大会に参加する全選手がリングを囲み選手会長の宮原健斗が遺影、鈴木秀樹が遺骨を抱きリングに上がった。
この日は会場の後楽園ホール展示場に長尾選手を偲ぶ献花台を設置。戦いの軌跡を表すパネル展示を行った。献花台は12月31日の代々木第2体育館大会までの全会場に設置する。また、10月29日の長尾選手のふるさと北海道釧路市での大会を追悼大会にすることを検討している。
長尾選手は5月31日に神奈川県内の道場付近の路上で巡業バスを誘導中に接触事故に遭い腹部が圧迫されたことによる外傷性ショックで神奈川・横浜市内の救急搬送された。集中治療室で懸命な治療を行っていたが7日に敗血症のため亡くなった。10日に横浜市内の斎場で火葬が営まれた。
全日本プロレスは12日に福田剛紀社長と十枝利樹取締役が記者会見し事故の経過報告と再発防止策を発表した。5月31日の事故は「全日本プロレス道場付近の路上で巡業バスを誘導中に接触」で直後に選手が救急通報し横浜市内の病院に救急搬送されたことを発表した。事故の詳細は、警察が捜査中で詳細は明かせないとしたが、加害者の運転手は警察が事情聴取を重ねている。
会見では、長尾選手の家族には事故直後に絡し現在までに十枝取締役が対応していることを明かした。今後、家族から刑事、民事のいずれかは定かではないが訴訟を提起される可能性もあるという。
一方で全日本は、事故が発生した5月31日に長尾選手について「怪我のため「スーパーパワーシリーズ2025」6月1日(日)仙台大会を欠場致します」を発表した。6月7日には「5月31日(土)にバスと接触し、直ちに病院に搬送され、現在病院で治療を行っております」と発表。同月21日には「5月31日、巡業バスとの事故により腹部が圧迫されたことによる外傷性ショックにより、現在救急集中治療室で予断を許さない状況の中治療を続けております」と明らかにした。さらに、7月22日に「5月31日、巡業バスとの事故により腹部が圧迫されたことによる外傷性ショックにより、現在も救急集中治療室で予断を許さない状況の中治療を続けております。6月中旬以降には病院とご両親の許可を頂き複数の所属選手・スタッフが長尾一大心選手との面会を行わせて頂きました。また、ファンの皆様から長尾選手へ頂いた温かいお気持ちやお言葉につきましてはご両親へ届けられております」と発表した。
事故を把握しながら5月31日に「ケガのため」と欠場理由を発表したことに会見で福田社長は「入院が長引くかわからず深刻に考えていませんでした」と明かした。事故に関する記者会見が亡くなった後になったことに福田社長は「治ると信じておりましたので、記者会見を定期的に開く必要性も感じておりませんでした」と明かした。
会見では、再発防止策として、これまで巡業バスは、自社所有でその都度、2名ずつ外部の運転手に委託していたが、社有車の運行を廃止し外部のバス運行会社に委託することを決めたことなどを明かした。
長尾選手は、2003年9月13日、北海道釧路市生まれ。小中学校ではアイスホッケー、高校では柔道を経験した。2023年12月に東京・新木場1stRINGで行われた公開入門テストに合格し24年4月1日に入門。同年10月22日に後楽園ホールでの井上凌戦でデビューした。身長164センチ、体重75キロと小柄な体格も闘志あふれるファイトスタイルで将来が期待されていた。
追悼式が行われた後楽園ホールは昨年デビューした記念の地。世界ジュニア王者を夢見ていた長尾選手。希望に満ちた初陣の地が11か月後にあまりにも悲しいリングになってしまった。