◆報知プレミアムボクシング ▷後楽園ホールのヒーローたち第25回:後編 渡辺雄二

 あの時間を練習に使っていたら…。今となっては後悔しても仕方がない。

だが、渡辺にとって女性ファンの存在は、ボクシングをしていく上での大きなモチベーションになった。「女性ファンが多いというのは、すごくうれしいこと。誇らしいことでした」と話す。その人気は世界初挑戦の1992年前後が頂点だった。ジムワークの時間になると花束やプレゼントを持った女性がジムの前に集まり出し、練習が終わるのをじっと待っていた。

 「自分で言うのも恥ずかしいですが、当時はモテてました。ジムの外に女性が待っていて『地方から来ていて今日は泊まりなのでホテルに来てください』と驚くようなことを言われました。そういう子が毎日、ジムの外で待っているんです」

 渡辺の所属していた斉田ジムの初代会長・斉田直彦は厳しい指導で有名だった。渡辺がジムに入門したのは中学2年の時。高校も斉田の勧めで静岡の沼津学園(現・飛龍高)に進学し、インターハイ準優勝、国体Vという成績を残し拓大に入学。しかし、「寮生活が嫌だった。遊んでいる友達がうらやましかったし、彼女にも会いたくて…」と入学式の翌日に退学した。

その後ジムに戻り20歳の時にプロデビュー。斉田にとっては息子同然だけに、性格もすべて分かっていた。練習を終えジムを出る渡辺に、斉田は毎日のようにやや厳しい口調で声をかけた。

 「雄二(渡辺)、寄り道しないでまっすぐ帰れよ」

 会長は渡辺の行動が怪しいと感じると、ジム周辺を見回りに出ていた。「それも分かっているんですが、自分の好みの子がいると、(遊びに)行きたくなっちゃうんです。会長が見回りをしているので、駅で待ち合わせをしていても、わざと遠回りして行くんですが、そういう時に限って見つかりました」

 写真週刊誌にもお世話になったが、ラッキーなことにマイナスイメージの記事ではなかった。「後楽園ホールに女性を集めるボクサー」と特集され、「スキャンダルとかではなかった」と口にするが、そんな生活は当たり前のように出会いと別れを繰り返す。「これまで3回結婚して、離婚も3回しました。子供は5人います。結婚していても常に彼女はいました」という人生を歩み、現在は独り身だという。

 ボクサーとしての渡辺の強さは「けんかファイト」にあった。ジャブを打ち、直線的に前に出て乱打戦を仕掛ける。

そして圧倒的なパワーで最後はKO勝ちに持ち込む。日本王座を獲得した91年10月の赤城武幸(新日本木村)戦。世界挑戦目前といわれるチャンピオン赤城を2回KOで仕留め、一気にブレークした。そのパワーは日本、東洋太平洋レベルでは無敵だった。「自分はけんかファイトを仕掛けて、相手をその土俵に引きずり込んで勝ってきた。だが、ヘナロ・エルナンデス(最初の世界戦、92年11月、6回TKO負け)には通用せず、テクニックでやられた。ウィルフレド・バスケス(2度目の世界戦、97年3月、5回KO負け)には試合前からオーラを感じてしまった。完全にのみ込まれた」と世界の壁の高さを痛感した。

 女性ファンと楽しい時間を過ごしたという渡辺だが、ボクサーとしての努力を怠っていたのかといえば、そうではない。初めての世界戦でプロ初黒星を経験すると「勢いだけで勝てるような甘い世界ではない。テクニックが違いすぎる」と、出稽古を積極的に取り入れ、新しいことを吸収しようと必死だった。海外で名伯楽といわれるトレーナーにも師事したが、結果に結びつけることはできなかった。

 心技体―。技術や体躯(たいく)の前に位置する心が乱れていた。一時的な欲求を優先したことで、長い積み重ねの先にある夢が少しずつ遠ざかっていったことは事実だろう。練習を終え家に帰り休むのか、それとも深夜まで遊び歩くのか。「心の強さを持てなかった」ことを今一番、悔やんでいる。世界戦で対峙(たいじ)した2人の王者は、確かに実力者だった。リングに上がって「自分の勝ちを信じ切れなかった」と本音を明かしたが、技術的な部分を切り離しても、心の声がそうなるのは必然だったようにも思える。

 引退後は水道関連、警備などの会社を経て、2年前にトレーナーとして古巣の斉田ジムに戻った。引退から25年がたったが、ジムは現役時代と何一つ変わっていない。唯一変わったことは、パンチを打つ側から、パンチを受ける側になったということ。「チャンピオンを作りたいです。チャンピオンを作って、斉田ジムの名前をまた全国区にしたい」という希望を持つ。

90年代初頭、屈指の人気を誇り一時代を築いたボクサーは、失敗談を美化したり、包み隠そうとしたりはしない。テレビ朝日系バラエティー番組「しくじり先生―」を見ているかのような現役時代。プロを目指す練習生には、決まってアドバイスする言葉がある。「俺みたいになるな!」(近藤 英一)(敬称略、おわり)

 ◆渡辺 雄二(わたなべ・ゆうじ)1970年5月2日、東京都練馬区出身。中学2年からボクシングを始め、沼津学園高(現・飛龍高)でインターハイ準優勝、国体優勝。90年5月にプロデビュー。92年11月にWBA世界スーパーフェザー級王者ヘナロ・エルナンデス(米国)に挑戦するが、6回TKO負け。プロ11戦目で初黒星を喫し、王座獲得に失敗。97年3月には3階級制覇のWBA世界フェザー級王者ウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)に挑むが5回KO負け。獲得タイトルは日本スーパーフェザー級、東洋太平洋フェザー級、同ライト級。プロ戦績は25勝(23KO)5敗1分け。身長173センチの右ボクサーファイター。

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