19年間にわたり横浜F・マリノスのGKコーチを務め、榎本哲也、飯倉大樹、朴一圭、高丘陽平、一森純、ポープ・ウィリアムら日本を代表する守護神を育ててきた松永成立。2025年5月に一線を退き、初めて俯瞰的な視野でサッカー界を見つめる彼の目には、近年の日本人GKの進化はどのように映っているのか。
(インタビュー・構成=鈴木智之、撮影=大木雄介)
「昔とは比較にならないほど向上」見せる日本のGK陣
25年間のGKコーチ経験を持つ松永にとって、印象的な変化の一つが日本人GKの成長だ。長年GKを見続けてきた松永の目には、近年の変化がより鮮明に映っている。
「日本人ゴールキーパーの現状を見ると、特定の年代に偏ることなく、幅広い世代でレベルの高い選手が揃っていることを強く感じます」
松永は現在の日本人GKを振り返り、感慨深そうに語った。
「海外でプレーするザイオン(鈴木彩艶)を筆頭に、大迫(敬介)、谷(晃生)。E-1選手権で代表に招集された早川(友基)。さらに上の年代だと、ポープ(・ウィリアム)や西川(周作)、飯倉(大樹)。そして若手のピサノ(・アレックス幸冬堀尾)まで、各世代に実力者が揃っていますよね」
彼らの多くはチームの中心選手として活躍しており、その実力は国際レベルでも通用することを証明している。
「Jリーグ開幕以降、フィールドプレーヤーのレベルが向上し、多くの選手がヨーロッパに渡るようになりました。GKとのレベル差を論じる声もあるかもしれませんが、GKのレベルも昔とは比較にならないほど向上しています」
外国人GKの来日についても、松永はネガティブに捉えていない。
「岡山の(スベンド)ブローダーセンをはじめ、横浜FCの(ヤクブ)スウォヴィクなど、外国人GKは手本となり、良い影響を与えていますよね。こうした多様性と競争が、Jリーグ全体のGKのパフォーマンス向上につながっていると感じます」
GKコーチの指導の進化が選手を押し上げた
なぜ日本人GKのレベルが飛躍的に向上したのか。この質問に対する松永の答えは明快だった。
「一言で表すなら、GKコーチのレベルが向上したからだと思います。
松永が強調する「理論と人間関係の両輪」という考え方は、彼自身が試行錯誤を重ねながら辿り着いた結論でもある。
「現代のGK指導は、技術や戦術の指導だけでは不十分です。動作改善、フィジカル、コンディション管理、栄養面まで、選手のパフォーマンスに関わる、あらゆる要素を指導する必要があります。どれだけ優れた技術指導をしても、栄養が不十分であれば身体は動きませんし、睡眠不足では身体も大きくならない」
GKの役割が広くなるにつれて、求められる要素も多様化していく。松永はその変化を肌で感じながら、自らもアップデートし続けてきた。
「マリノスもそうですが、今の日本サッカー界にはフィジカルコーチ、栄養士、トレーナーなど、専門スタッフが充実しています。GKの知識だけではなく、さまざまな分野の知識を統合して選手と向き合うことができるからこそ、背が高くて動ける選手が増え、幅広い年齢層のGKがトップレベルで活躍できているのだと思います」

ハイラインとビルドアップ――ポステコグルー監督との邂逅
松永は2018年から3シーズンと少し、オーストラリア人監督のアンジェ・ポステコグルーと共に働いた。この経験は、松永の長いコーチ人生の中でも特別なものとなった。
「ポステコグルーは、私がこれまで一緒に働いた監督の中で、GKに対して最も厳しい要求をする人でした」
松永は苦笑いを浮かべながら振り返る。横浜F・マリノスで19年間、さまざまな監督と働いてきた松永にとっても、ポステコグルーは格別の存在だった。その細かさは、これまで経験したことのないレベルだったという。
「スタッフミーティングでは、GKのプレーに関して『なぜこのポジショニングなのか』『なぜこのシュートを許したのか』『なぜ早く倒れたのか』と、徹底的に質問してくる。正直、うるさいなと思うこともありましたよ(笑)」
いい加減な答えは通用しないので、試合が終わると、GKの良いプレーと悪いプレーのすべてを映像にまとめて分析し、どんな質問にも答えられるように準備したという。
「ナイターの試合の後は、帰宅した深夜に映像を見直して、明け方まで編集作業。そして翌朝10時からのスタッフミーティングに臨み、そこでフィードバック。選手は休みでも、スタッフは休む暇がありませんでした」
ポステコグルーのサッカーは、GKに新しい役割を求めた。代名詞となったのが、ハイラインとビルドアップ。松永にとって、未知の領域への挑戦だった。
「GKの役割はゴールを守ることですが、それと同じぐらい、ハイラインとビルドアップが重要視されていました。そこで試合映像を詳細に分析して、ボールの位置に対してGKがどこにポジションを取っているか、どこにいるべきかをチェックして、基準を作っていきました」
GKコーチとしてのキャリアを積んできた中で、新たなスタイルへの挑戦を強いられる日々。その頃は「毎日、頭がパンパンでした」と振り返る。
厳しさの中にあった信頼関係
ポステコグルーの厳しさは、決してネガティブなものではなかった。シンプルに見える態度の奥に、確かな公平性と選手・スタッフへの期待があったことを、松永は感じ取っていた。
「いい加減な対応をすれば、すぐに見抜かれてしまう厳しさがある一方、プレーを改善すれば、認めてくれる公平さもありました。
この独特な関係性が、仕事に対するモチベーションにつながったという。
「コーチをしていて、久しぶりに緊張感を味わう日々でした。それまでは私のことを知っている監督と働くことが多く、決して甘えていたわけではありませんが、ポステコグルーと過ごす緊張感は特別でした。その緊張感の積み重ねこそが勝利につながり、最終的にはタイトルにつながるのだと実感しました」
ポステコグルーの言葉で、印象に残っていることがある。それが「お前らの勲章は何だ?」だ。
「ポステコグルーがよく言っていたんです。『お前らの勲章は何だ?』って。『勲章はトロフィーだろう。俺が獲らせてやる』と。最初は半信半疑でしたが、実際に優勝を果たしてくれましたからね」

トロフィーを獲らせてあげたい「今の状態から…」
2019年のリーグ優勝は、横浜F・マリノスにとって15年ぶりの快挙だった。
「2019年の優勝は、岡田武史監督時代から15年ぶりのリーグ制覇でした。なかなか頂点に届かない日々が続いていて、正直、無理かもしれないと思っていたところにポステコグルーが来て、優勝を成し遂げました。
松永は当時を思い出すように言う。
「ファンやサポーターのみなさんにもそうですが、選手にも一つでも多くトロフィーを獲らせてあげたいんですよね」
さらに、こう続ける。
「今の状態から頂点に持っていくのはかなり大変ですが、できないわけではないと思っています」
長いサッカー人生を振り返ると、一つだけやり残したことがある。それが「世界に出る」ことだ。1993年、目の前で絶たれたFIFAワールドカップへの道。指導者として臨んだ、2024シーズンのAFCチャンピオンズリーグでは決勝で敗戦。あと一歩のところで涙を飲んだ。
「自分の中で反省点や悔いは今でも残っていて……。だからこそ、世界の大会に出ることに関して、ものすごく強い欲求があります。アジアの頂点に立つために、クラブはいろいろ考えていると思うけれど、今のチーム状況はそこから遠のいているので、その差をどう埋めていくか。もう一度ACLのファイナリストになって、世界に行く権利をつかむところまでいく。そういうチームにならないといけないと思います」
松永のインタビューは2時間に及んだ。
2025年9月時点で、松永の次なるチャレンジの場は定まってはいない。どのような形になるにせよ、彼の飽くなき探求心は、日本サッカーを前進させる原動力になるだろう。
次なるチャレンジの場を楽しみに待ちたい。
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【連載中編】「指導者なんて無理」から25年。挫折と成長の40年間。松永成立が明かすGK人生の軌跡
<了>
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[PROFILE]
松永成立(まつなが・しげたつ)
1962年8月12日生まれ、静岡県出身。元サッカー日本代表。浜名高校、愛知学院大学を経て、1985年に日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に加入。