女優の鈴木聖奈(39)が7月2日開幕の勝野劇団公演「横浜グラフィティ・フォーエバー~あいつら、知らずに横浜語るなよ~」(同7日まで、横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール)に出演する。地道な努力が実を結び、女優デビュー20年目にして飛躍のチャンスを迎えている。

 鈴木は高校3年生で出版した小説「9月の金魚」が大林宣彦監督(2020年死去、享年82)の目に留まり、オーディションで映画「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(07年)のヒロインに決まった。「初めて着物を着させてもらって(大林監督に)『聖奈は着物が似合う』と言われたのが、すごいうれしくて」。翌08年にはNHK連続テレビ小説「瞳」の仕事が決まり、夢が大河ドラマ出演へと膨らんだ。「大河、時代劇を目指す人は日本舞踊をされているし、私みたいな小柄な人間が戦えたら、ちょっとでもチャンスがあるんじゃないかな」と、その理由を語った。

 小学校の学習発表会で声を褒められたことから、女優を志した鈴木。「お芝居がしたいから、いろいろとやっていかなきゃいけないなとは10代の頃から思っていた」。デビュー当初から限界を設けず、何事にもトライしてきた。10年に千葉真一さん(21年死去、享年82)が立ち上げた養成所「ジャパンアクションクラブ(JAC)」に入会。ラジオパーソナリティー、バラエティー番組など幅を広げ、仕事以外の時間も何かできないかを模索。「バイトをするなら(和装で働くことのできる)日本料理屋さんのホールをしたり、世間知らずだと思ったのでOL役のオファーが来た時のために不動産屋さんの事務で(働いて)、怒られながらPCを打って電話したりもしました」

 勝野劇団との出会いも、その積み重ねがあったからだった。きっかけは22年、鈴木がパーソナリティーを務めたFMヨコハマ「Sound Art Wave」に、劇団のプロデューサーを務めるキャシー中島(74)がゲスト出演したことから。放送後にキャシー直々にスカウトされ、出演に至った。

 3回目の今回は看板娘役など2役を演じる。現在1児の母で、子育てから学びが多く「キャシーさんのお母さんが戦後に死ぬ気でキャシーさんを育てるシーンをやるんですが、そこは(子どもを)産んでいなかったら分からなかったセリフ。(キャシーさんの娘で)脚本の(勝野)雅奈恵さんのセリフが、役作りをしなくても刺さるものが多い。何もしなくても泣く。出産していなかったら、娘の気持ちしか分からなくて泣いていなかったかもしれない。今は娘の気持ちも母の気持ちも分かるので、見え方が今までと変わっている」と変化を明かした。

 「昨年(の公演で)は振り付けもさせてもらった」。アクションシーンに関しては教える立場にもなった。JACで師範代になり、近くレッスンを始めることが決まっている。「まだ軌道に乗っていないけど、インバウンドのお客さんも(対象に)考えている。殺陣、アクションに力を入れてやっていけたら」と期待を膨らませた。

 大河ドラマ出演という夢も諦めていない。

「得意な武器が薙刀(なぎなた)。お姫様で薙刀を振るなり、戦時中のお嫁さんで『家族を守るよ』って薙刀を振るような役に憧れている。もしできるならお侍さんの役でもやりたい」。学生時代に苦手だった日本史も勉強中。将来を見据え、この先も精進を惜しまない。(中西 珠友)

 〇…鈴木が初めて勝野劇団公演に参加したのは、23年10月上演の「太陽にほえたら…」になる。その年の4月に第1子を出産し、わずか半年後の出来事。「今までは自分の好きなことをお仕事にしてきたので、他人が自分の生活に入ってくることがなかった。この子の半年は今しかないのに、自分を主役にしていいのだろうかと悩んで、初めはパニックになっていた」という。それでも「ご縁を大切にしてきて、何とかお仕事をいただいてきたので」と周囲に相談し、出演を決めた。本番も「(出産時にできた)傷も痛い中、ピンヒールでダンスして、娘に対する独白するシーンもあって。体力も追いつかず、本番中は過呼吸になって袖でうずくまってからじゃないと楽屋に戻れなかった」と苦労を告白。

その裏で献身的にサポートしてくれた中学の同級生の夫に感謝していた。

 ◆鈴木 聖奈(すずき・せいな)1987年2月10日、神奈川・横浜市出身。39歳。明治学院大卒。高校在学中の2004年に小説「9月の金魚」を出版。07年に女優デビュー。21年4月に結婚。23年4月に長女を出産。憧れの女優は木村多江

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