“ミスタープロ野球”長嶋茂雄さんの足跡をスポーツ報知では「ミスターの世界」と題した連載で振り返る。第5回は長嶋さんが佐倉一(現・佐倉)3年夏の1953年8月1日、全国高校野球南関東大会で対戦した熊谷(埼玉)のエース・福島郁夫さん(89)が登場。

千葉・佐倉市の佐倉高校を訪れて当時のスコアブックと“対面”し、長嶋さんが世に出るきっかけとなった公式戦唯一の特大本塁打をはじめ、当時を回想した。(取材・構成=秋本 正己)

 少年時代のミスターの息遣いが聞こえてきそうだ。佐倉高の正門を抜けると、1910年創建の木造洋風校舎が姿を現す。その中の校長室に福島さんは足を踏み入れた。6月6日。長嶋さんの一周忌を追悼して佐倉市の長嶋茂雄記念岩名球場で行われた佐倉と熊谷の記念試合を観戦し、長嶋さんの母校を訪れた。

 福島さんはテーブルの上に置かれた古ぼけたスコアブックに視線を落とすと、丁寧にページをめくっていった。セピア色のスコアから73年前の記憶が鮮やかによみがえってくる。「こんなに貴重なものが、これだけきれいな形で残っているとは…」。食い入るように見つめたのは1953年8月1日、埼玉県営大宮球場で行われた全国高校野球南関東大会1回戦、佐倉一対熊谷の熱戦譜。同校校長室の金庫に大切に保存されている、長嶋さんの高校時代を振り返る上での貴重な資料だ。

 時がたってインクの黒は薄れていたが、担当した佐倉一の部員が思いを込めて記したからか、字ははっきりと読めた。

長嶋選手は「4番・遊撃手」で先発。その記録を指先でなぞりながら、福島さんが回想する。「試合前日、大宮球場で佐倉一の練習を見たOBが『素晴らしい大きなバッターがいるから気をつけろ』と。名前は出ませんでしたが、それが長嶋さんでした」

 試合は曇り空の下、午前11時25分プレーボール。初回、熊谷が3点を先制したその裏、長嶋選手と最初の対戦を迎えた。第一印象は「構えが大きかった」。埼玉県内で屈指の好投手だった福島さんは右腕からのストレート、カーブが武器。自信満々に初球からストレート勝負を挑んだ。力ない二飛。「それほどでもない」と感じていた。4回無死一塁で迎えた第2打席は三遊間を破る安打を許したが「3点リードしていたので、余裕を持って投げていました」。恐れることはなかった。

 6回1死。3度目の対戦でも福島さんは真っ向から勝負した。初球ボール。2球目はストライク。3球目。大きく振りかぶって内角高めを狙ったストレートは、意に反してシュート回転しながら真ん中高めへ。「たたきつける感じでスイングされた」。放たれた打球はライナーでバックスクリーンへ飛び込んだ。「中堅手が捕ると思っていたら、そのままバックスクリーンのど真ん中へ入っていった。ベンチで見ていたマネジャーもライナーだと思っていましたからね」。スコアシートには太字で本塁打の記録が記され「350Feet(約107メートル) in BackScreen」と筆記体の注釈が付けられていた。同球場は中堅フェンスまで105メートルだったが、当時としては超高校級の一発。

長嶋選手の公式戦初本塁打だった。

 「打たれましたが、1点取られてもなんともないやと。それよりも問題はここですよ、ここ」。福島さんが声を大にしてスコアシートの一点を指した。7回の第4打席。2死一、二塁で本塁打が出れば追いつかれる場面。こん身のストレートを捉えられた。放物線が右中間へ伸びていく。「打たれた」。うなだれた瞬間、フェンス際で中堅手がキャッチ。熊谷の監督が右中間を深く守るように指示を出していたのだ。「こちらの当たりの方がホームラン性だと思いました。

すごかった」と感嘆した。福島さんは7安打を許しながら1失点完投勝利。途中から三塁の守備に就いた長嶋選手の高校最後の試合は、1時間55分で幕を閉じた。甲子園への道は絶たれたが、特大の一発が報道されて立大進学の道が開けて巨人入りへとつながっていく。

 福島さんは高校卒業後の55年に東映(現・日本ハム)入り。2年目の56年は35試合に登板して13勝11敗と活躍したが、肩や腰を痛めて通算6年で引退した。プロで長嶋さんと相対することはなかった。埼玉へ戻ると熊谷市の八木橋百貨店に勤務して外商を担当。「あの長嶋さんにホームランを打たれたことが話のタネになって成績はよかったんです」と笑って振り返った。

 高校時代の対戦から30年後の83年9月。大宮球場で行われた少年野球の表彰式で、福島さんは浪人中の長嶋さんと再会する。球場の規格は高校時代とほぼ同じ。

長嶋さんは本塁打を打ち込んだバックスクリーンを指さし、思い出話で盛り上がった。「ボール速かったよね、と言われて。うれしかったですね」。穏やかな表情でミスターと一緒に納まった写真を見つめた。

 11日に90歳の誕生日を迎える福島さん。地元で行われる高校野球の試合を観戦するなどまだまだ元気だ。「私にとって長嶋さんは神様ですよ。長嶋さんにホームランを打たれて有名になったのは私くらいじゃないですか」。夏が来るたび、あの一打がよみがえる。

 〇…長嶋茂雄さんの一周忌を追悼した記念試合は6月6日、千葉・佐倉市の長嶋茂雄記念岩名球場で行われた。佐倉野球部の創部130周年に合わせてOB会が発案し、長嶋さんが公式戦唯一の本塁打を放った試合の相手だった熊谷と対戦。現役による73年ぶりの一戦は熊谷が6―1で勝利した。

佐倉・奥村監督は「日本の野球を引っ張ってくれた方がかつてここにいて、後を継いで野球をやれている」と語っていた。

 ◆夏9戦打率・378

 長嶋さんは高校入学当初から、ズバぬけた打撃を見せていた一方で、遊撃手としての守備に不安を抱えていた。

 3年生の1953年6月14日に船橋、市川との練習試合が行われ、第1試合の船橋戦で、1試合4失策。コンバートを考えていた当時の加藤哲夫監督は、第2試合の市川戦に「4番・三塁手」で起用。“サード・長嶋”が誕生。夏の地方大会でも初戦から「4番・三塁手」で出場した。

 ちなみに、高校3年間、夏の地方大会成績は(1年は7番、2年は4番で遊撃、3年は4番・三塁、熊谷戦だけ遊撃→三塁)

  試合 打―安 [本] 点 打 率

1年(1)2―0    0 ・000

2年(3)14―7   4 ・500

3年(5)21―7[1]5 ・333

 通算9試合に・378([本]〈1〉)の高打率も、甲子園には一度も届かなかった。

 ◆福島 郁夫(ふくしま・いくお)1936年7月11日、埼玉・秩父郡秩父町(現秩父市)生まれ。89歳。秩父二中から熊谷に進むが甲子園出場はなし。55年、東映(現日本ハム)に入団。投手として通算6年間プレーし、78試合で14勝14敗、防御率2.10の成績を残した。引退後は埼玉・熊谷市の八木橋百貨店などで勤務。右投右打。現役時代は173センチ、66キロ。

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