広岡達郎が語る巨人の現状と次期監督候補(前編)

 セ・パ交流戦開幕前日の5月25日、巨人・阿部慎之助監督が長女への暴行の疑いで現行犯逮捕。翌日記者会見を行ない、監督辞任を発表した。

それに伴い、オフェンスチーフコーチの橋上秀樹氏が監督代行として、交流戦から指揮を執ることになった。

 そんな状況のなか、交流戦ではセ・リーグのチームで唯一勝ち越すなど、チームは快進撃。ついにセ・リーグ首位に躍り出た。橋上監督代行の就任後、「雰囲気が変わった」という声も聞かれるようになったが、巨人のレジェンドOBである広岡達郎氏は現状をどう見ているのだろうか。

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【首脳陣同士が議論を重ねることが大切】

「交流戦で勝ち越したとはいえ、決して強さを感じる戦いではなかった。そもそも阿部の頃から打順が固定されていないのだから、それでチームが強くなるわけがない。ベテランに頼らず、チームの若返りを図って若手を積極的に起用するのは大いに結構だ。ただ、若い選手を育てるのであれば、最低でも10試合はスタメンで固定して使わなければ成長しない。

 1、2試合で結果が出なかったからといって、すぐにベンチへ下げていては若い選手は萎縮してしまう。いきなり華々しいデビューを飾り、その後もコンスタントに打ち続けなければ、巨人ではレギュラーを獲れないという風潮があった。だが、今の巨人はそれほど強いチームなのかと言いたい」

 広岡の持論は、打順の固定化ができないようではチームの真の強さは生まれないというものだ。それ自体は間違っていないし、監督もわかっているはずだ。ただ、今の巨人を見ていると、固定化できないゆえに試している期間がどうしても長くなってしまっているように思える。

「そのなかで橋上はよくやっていると思う。ただ、野村(克也)の教え子がシーズン終了まで監督代行を務めるなんて、ふつうは考えられないことだ。今の巨人はそれしか選択肢がない。そのこと自体が、巨人の厳しい現状を物語っていると言えるだろうな」

 さらに広岡氏が続ける。

「橋上はオフェンスチーフコーチ時代、阿部にきちんと進言していたのだろうか。立場が変われば見える景色も変わるのは当然だ。おそらく、当時は思うように意見を言えなかったのだろう。というのも、今の橋上は投手コーチらの意見に積極的に耳を傾けているという。裏を返せば、自身がコーチだった頃は自由に進言できる環境ではなかったことの表れではないか。要するに、コーチが積極的に監督へ意見を伝え、首脳陣同士が議論を重ねることが大切なのだ。

 オレが監督をやっていた頃は、周囲から独裁的に見られていたかもしれない。しかし、森(祇晶)や黒江(透修)は遠慮なく意見をぶつけてきた。

時には痛いところを容赦なく突かれることもあったが、だからといって排除しようと思ったことは一度もない。すべてチームのための意見だとわかっていたからだ。だからこそ、彼らの言葉に耳を傾けた」

 チームスポーツである以上、「和」は大切だ。しかし、組織の指揮系統はどうしても監督を頂点としたトップダウンになりがちである。だからこそ、監督が独善的な采配に陥らないよう、周囲のコーチがしっかりと目を光らせる必要がある。

 にもかかわらず、監督が人事権を使って気心の知れた者ばかりを集めてしまえば、それはただの仲良しクラブだ。チームがうまく回っている間は問題ないかもしれないが、ひとたび状態が悪くなれば機能しなくなる。

 指揮官のマネジメント能力と、コーチ陣の積極的な提言・指導力。その両者が融合してこそ、チームは成長するのである。

【負けが込んだ時に真価が問われる】

 橋上氏は1983年、安田学園高(東京)からヤクルトにドラフト3位で入団した。1990年から監督を務めた野村克也氏の薫陶を受け、その後は楽天などでコーチを歴任。2014年には巨人の一軍打撃コーチに就任し、リーグ3連覇に貢献。

その後も楽天、西武、ヤクルトでコーチを務め、阿部監督就任2年目の2025年に巨人の作戦戦略コーチとして復帰。2026年からはオフェンスチーフコーチに就任した。

「監督代行として指揮を執った当初は、さすがにぎこちなさも感じられた。しかし今は、のびのびと采配を振るっているように見える。阿部の野球を継承しながら、自分なりの色もうまく加えている。

 ただ、いま勝てているのは優勝しなければならないという重圧から解放されている部分も大きいだろう。だからこそ、本当に問われるのは負けが込んできた時だ。その時に、橋上の真価が試されるのは言うまでもない」

 ただ広岡氏は、今の風潮について、こう苦言を呈す。

「近年は『選手に過度なプレッシャーや罰を与えてはいけない』という雰囲気があるが、それが本当にプロフェッショナルなのか。プロはアマチュアではない。優勝しなければならないという重圧に打ち勝ってこそ、頂点に立った時の喜びも大きい。そして大きなミスを犯せば責任を負う。

それは当然のことだ。問題は、その当たり前のことを当たり前に受け止め、実践できない選手や指導者が増えていることだ。そこに今の野球界の危うさを感じる」

 昔と今では、選手たちの気質や価値観が大きく異なる。当然、広岡氏もそのことは十分に理解している。それでも、球場に足を運んでくれるファンのために全力を尽くすというプロフェッショナルな姿勢は、昔から変わらない。そのためには厳しい競争や自己鍛錬が欠かせない。広岡氏が言いたいのは、そういうことなのだ。

 そして広岡氏は、橋上監督代行にこうエールを送る。

「監督とコーチの風通しがよくなったのは間違いない。でも、それが勝利につながっていると思ったら大間違い。何度も言うが、今はプレッシャーのない状況で戦っているだけ。それが理由で勝ち続けているのなら、もはや巨人ではない。

もっとプライドを持って戦ってくれ、と言いたい」

 さらに広岡氏は、次期監督問題についても言及した。

つづく>>


広岡達朗(ひろおか・たつろう)/1932年2月9日、広島県生まれ。呉三津田高から早稲田大に進み、54年に巨人に入団。1年目からショートの定位置を確保し、新人王とベストナインに選ばれる。堅実な守備で一時代を築き、長嶋茂雄との三遊間は球界屈指と呼ばれた。66年に現役引退。引退後は巨人、広島でコーチを務め、76年シーズン途中にヤクルトのコーチから監督へ昇格。78年に初のリーグ優勝、日本一に導く。82年から西武の監督を務め、4年間で3度のリーグ優勝、2度の日本一に輝いた。退団後はロッテのGMなどを務めた

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