女優の寿美花代(すみ・はなよ)さんが8月3日に老衰のため94歳で亡くなったことが6日、発表された。

 寿美さんを取材したのは2012年。

14年に宝塚100周年を控え、大物スターを紹介する特集面でのトップバッターとして登場してもらった。寿美さんも記者も関西出身なので取材中、ずっと関西弁でのやり取りだった。手元を見ると小さな文字で埋まったメモ用紙が握られていた。「昔のことやから、話し忘れたりせんよう、昨日思い出しながら書いてきてん」。歌劇史に残るド級の元トップスター。緊張を覚悟して臨んだが、この一言で気持ちがほぐれた。

 幼少時は無口でおとなしく、家でもどこにいるのか分からないほど。「ゆうれい、と呼ばれてね」。それが変化していく。戦争を経験したことも影響しているだろう。「勉強が嫌いで華やかな世界に憧れが膨らんで。実は宝塚が女の子だけの劇団と知らんかったんよ」。

しかも、受験に遅刻した。しかし、一瞬で寿美のスター性の片りんを見抜いた人がいたのか、試験を受けさせてもらえた。

 そのとき、寿美が着ていた厚手の上着は、毛布を型紙もなしに裁断し、自分でたどたどしく縫った粗末なものだった。「でも母が言ったんです。『あんたは素晴らしい。毛布でも着る人次第でシルクにも見えるんだよ』って。シルクってどんな生地かも知らんかったけど、その言葉が、うれしくてね」

 2014年の宝塚100周年の祭典ではステージにも登壇。紙面用に手記をお願いした。その日の夜、宝塚ホテルで手記をまとめた後、しばらく話をした。久しぶりに古巣に戻り、夫と出会ったころも懐かしく思い出されたのだろう。

 「(晩年闘病が続く)忠夫にもっともっと私にできることがあるんじゃないか、と思えてね」問わず語りに、自分を責めていた。「私は歌劇団で一生忘れることのない、思い出のぎっしり詰まった、心の宝石箱をいただいたからね」。

人生の辛苦を乗り越えられたのは、宝塚での経験があったからだった。(内野 小百美)

編集部おすすめ