TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週日曜17:00-17:30放送中。
2019年3月24日(日)放送
アンミカさん(part 1)
韓国生まれの大阪育ち。
JK:このところエラいご縁で、こないだのパリコレにも出ていただいて。もともと神田うのちゃんからのご縁からよね?
アン:そうそう。でも、ファッション業界で私はずっとジュンコ先生をお慕いしてきて。でもお顔をかわす機会がやっとできて。
JK:TVでは楽しかったわね!
出水:アンミカさんとジュンコさんはTBS系の「林先生が驚く初耳学」のパリコレ学で共演させていただきました。半年かけて、9人のモデルさんの中から1人を選んでパリコレに推薦するという、私も毎週楽しみに拝見していました!
JK:けっこうみんな見てるわね~(笑)
アン:ちょっといやらしいことをいうと、ジュンコ先生の回の視聴率がすごくて(笑)やっぱり先生のインパクト、おっしゃることの説得力……プロの方がモデルを選ぶ視点って、
みんな聞いたことがないですから。お洋服が持つ力とか、モデルの役割とか。
JK:だって私、パリコレ22年もやったのよ! 22年、44回。
アン:すごいことですよ。出す側が震える世界に発表する作品に、命を吹き込むモデルの役割がどれだけか。服への理解力とか、どれだけ力がいるか。
JK:前日にリハーサルをして、なのにあくる日にお寝坊で来なかったモデルもいるのよ。
アン:信じられない鈍感力! でも、そういうお寝坊さんを絶対作らないレッスンでした(笑)
出水:今回選ばれたのは、17歳の小野寺みゆさん。
アン:福岡から通ってね。正直、彼女は前半から中盤まで、中の上ぐらいの位置にいたんです。劣等生といったら失礼かもしれないですけど。毎回入れ代わり立ち代わりがあるし、得意不得意もあるので。でも切磋琢磨していただくために順位をつけなくちゃいけない。そのとき、彼女は上位までもいかないし、最下位のほうにもいかないという、比較的目立たないモデルさんだったんです。
JK:ふつう過ぎるのよね。でも、だんだん度胸が入ると違ったわね。顔が違ってきた。
アン:おっしゃる通り。ジュンコ先生のサロンでやらせていただいた、完璧なヘアメイクでお洋服を身にまとってのショウでハネたんですよ。彼女が急に頭角を現して。もともと役になりきる「憑依体質」。私はこう呼んでたんですけど、これ先生大事ですよね? お洋服やあてがわれたヘアメイクにすっと入っていく。
JK:そう、とたんに違う。小野寺さん、ついにパリに行けたじゃないですか。
アン:ありがとうございます! でも先生のショウで頭角を現してから、写真撮影会で彼女がだめだったとき、手を挙げて「もう1回やらせてください」って泣いて言ったのは彼女だけだったんです。
JK:もう今しかない、ってね。
アン:ほかの方々はゆっくり伸びていく人とか、もともと覚悟はあったけど突き破れなかった人とか。いろんな成長の過程があったんですけど、小野寺さんは急激でしたね。あと私服がおしゃれだった。
JK:そうそう。オーディションって普通の格好で来るじゃないですか。デザイナーの服じゃなくてね。その人自身をトータルで見られるのよ。
アン:先生もおっしゃってましたね。
JK:だって100人ぐらいは軽く見るでしょう。もう一気に見るから、パッと直感なんですよ。それは座ってるときとか、入ってきた瞬間でだいたい決める。それからウォーキングして最終的に決めるの。

出水:きびし~い! アンミカさんご自身も‘93年に二十歳でパリコレクションに初めて参加して、その時にも苦い経験がありました?
アン:私はダントツで背が低いので。この当時は携帯がないですから、いまみたいに携帯でつながって、この子いいねとかこの事務所いいねとかできないんですよ。私、もう大阪中の美容院に通って、「ここでパリコレ行った人いますか?」って聞いて。私変わってたんですよ!
JK:でも大阪とパリって関係ないじゃない?
アン:そうなんです! 大手の事務所に入ってたけど、もともとが160cmの身長で。モデル事務所に5回書類を送って落ちたんで……
JK:160cmだと中学生ぐらい?
アン:中学3年です。高1で11cm背が伸びたんですよ(笑)母の死に目にモデルになったってことを報告したくて、書類を20社に送ったんですけど全部落ちたんです。
出水:まぁ売り込み上手 (^^;)
アン:「それなら来てください」って言われて、梅田というところに初めて行って。そこで社長さんに会ったら「実物もちょっと……」と落とされたんですけど(^^;)身長も低いですし、陸上で日焼けもしてて、筋肉太りもしてたので。でも、「梅田に来たらまた遊びにきたらいいよ」って言われたのを真に受けて、毎週火曜日、勝手に事務所に行ったんです!「社長が言ってたコがまた来たよ」って(笑)
JK:エライ!
アン:でも私がすごくラッキーだったのは、おうちが貧しかったのと、すごく苦労していた。四畳半で7人で暮らして、引っ越しも十何回もして、不安定な生活環境だったので、安定を知らなかったんです。もし自分が安定を求めていたら「この安定からわざわざ抜け出して挑戦せなあかんの?」と思ったかもしれないですが、安定したことがないから。
JK:ハングリーなのね。ハングリー精神って大きいわね。人に見えないけど根性があるもんね。
アン:そうなんです。逆に「今よりももっといいことが待ってるかもしれない」とワクワク感でいっぱいなんです。挑戦が恐れにならない。
出水:すごーい……(゜o゜)
JK:その時は172よね。でもパリコレって170から180なのよ。172なんてもともといないのよね。
アン:そうなんです。でもその時にラッキーだったのは、1回目は3社電話してやっとオーディションしてくれたところ、「アジア人見てもいいよ」っていうところは全部落ちました。2回目、二十歳のときにいろんな偶然が重なって、パリコレに出るデザイナーさんに出会って、気に入られて出ることになったんです。
JK:デザイナーって誰?
アン:Beauty Beastっていうブランドの、93・94・95年と大阪・東コレ・パリコレと出た新進気鋭の山下隆生さんっていうデザイナーなんですけど。まず私は“自称モデル”だったので、オーディションは全然ないし、バイトだけしてるようなモデルだったんです。というのも、モデルになるときに父と3つ約束をしていたんですね。たまにオーディションを受けて、1本の単価が大きい仕事をするのを妹や弟が見ると、社会に出てからのお金の使い方を間違って覚えてしまうから「モデルをやるなら家を出てくれ」。それと「一流になるまで帰ってくるな」。それから「新聞をよんで社会の動向を見て、自分がそこで役に立ちそうな資格を取ること」。モデルっていうだけじゃなく、知性も持たないと、ほかの人と並んだ時に光るものが出てこない。オーディションで「趣味は料理です」よりは、「社会に役立ちそうな資格を取る勉強が趣味です」っていう人のほうが、その人の知性が光る。
JK:でもそれ、ピッタリじゃないですか。普通モデルって終わったら先がないんですよ。だけど、キャラクターや魅力があってモデルもできるっていうならいいけど、モデルしかできないともう全然先がないの。
アン:お父さんも、私のことを考えてくれた宝のアドバイスです。その当時はライオンが子供を突き落とすような厳しさでつらかったんですけど、おかげで今資格が20個あって、それを全部使ってプロデュースなどモデル以外の仕事をさせていただくことになったんで、本当にお父さんのおかげです。
JK:一番今までの人生でマサカ!っていうのは何ですか?
アン:実は私、パリコレに行くきっかけになる日の昼、アルバイトをしていて、私が仮所属していた事務所のマネージャーさんからお誘いがあったんです。京都のとあるクラブで、外国の雑誌がスポンサーをやっているファッションショウがあるから見に行かないかって。でも大阪から京都まで往復するお金も高いし……。「どんなショウ?」って聞いたら。スポンサーは海外だけど、出てるデザイナーもモデルもみんな素人だっていうんです。「いや、そんなプロのモデルが出てないんやったら、見に行ってもなあ、お金がもったいない」って思ってたんです。そしたら昼、アルバイトの途中で先輩とランチに行ったら財布を失くしたんです!
JK:えーっ!
アン:それも前日がお給料日だったりして、けっこうな額が入ってたんです! それで先輩にランチ代を借りたんですよ。でも私、お金の貸し借りだけは親から厳しく言われてたんで、先輩と次に会うのが次の休みの1週間後だったんです。こんな大金を先輩に借りるのは申し訳ないと思ったんで、自転車で家に帰って貯金箱を割りに帰ったら、生まれて初めてお父さんから手紙が入っていたんです。
出水:ええっ?
アン:そしたら、お父さんからすっごいきれいな日本語で、「チャンスは突然来るから、前から来たら人は甘えてしまって努力を怠るけど、突然上からとか後ろから降りかかる。神様は自分が気づかないところにチャンスを落としてくくれるから、常にアンテナも張っていないとだめなんだ」ってことが書いてあったんです。
JK:いいお手紙! すばらしい!
アン:ああ、このお手紙ってなんか意味があるなぁとふわ~っと思って、貯金箱をお金を出したら、パリ行きのために思いのほか貯まってたので、「今日の京都のショウ行ってもいいかも」と思ったんです。じゃあ行こう、と思って、マネージャーさんに「行きたいです」って電話をしたんですよ。バイトが終わってから待ち合わせて京都に行ったら、そこで「君面白い顔立ちしてるね」って声をかけてくれたドイツ人のカメラマンさんが、いま世界の10本の指に入るノーバート・ショルナーで。当時もドイツのELLEとかiDとかエッジの利いた雑誌の表紙を撮影していて。京都の舞妓さんをiDの表紙に取るために。
JK:ああ、そのために来てたのね。それが出会っちゃった。
アン:はい。それで、「明日竹藪で面白い作品撮りをするからこない?」って言ってくれて。「今日ショウで出てた、若手の面白い服を作るデザイナーの服を使うから」っていうのがBeauty Beastの山下さんだったんです。

アン:そのご縁から、Beauty Beastの山下さんにかわいがっていただくようになって、いろんな関西の雑誌だったり、流行通信の表紙にモデルとして選んでくださって、ショウで毎回使ってくださることになって、東京コレクションでデビューできることになって、っていう。私の初めてのコンポジットが、水着のモデルとかちょっとダサイのしか持ってなかったんですけど、洋書に出た写真が増えていったんですね。でも、その写真がどういう雑誌に出たのかはあまりわかってなくて。後日いただいた洋書を見たら、FACEっていうロンドンの雑誌の中表紙に! 裏にビョークが載っていて、カトリーヌ・ドヌーヴが裏表紙だったり、エッヂの利いたすごい雑誌なんですよ。アジア人がこの雑誌に載るのも初めてでしたし、それがその年のヨーロッパの広告賞で賞を取ったんです。
JK:いいカメラマンに会いましたね! やっぱりカメラマンなんですよね!
アン:本当に彼との出会いが奇跡。彼が日本で撮る表紙でどんどん使ってくれるようになったんで、あっという間にコンポジットに洋書の表紙が増えて。大阪でそんなモデルさんはいないので、だーっと仕事が増えて、仮所属だった事務所にも正式に入ることができて。山下さんも海外で火がついて、パリコレに出ることになって、一緒に連れてってもらえることになって……。
JK:ああ、そういうことだったの!
アン:だから、マサカです! 財布を失くさなかったら、こういうことはなかったでしょうし、借りたお金はすぐに返せと親から教育されていなかったら、当日貯金箱を開けに家に帰ることもなかったでしょうし。
JK:運命ってそういうものよね!
=OA楽曲=
M1. Human Behaviour / Bjork
◆3月24日放送分より 番組名:「コシノジュンコ MASACA」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20190324170000