女優の檀れいが毎回、その日にまつわる話題や風物詩などを交えてお届けする「檀れい 今日の1ページ」。
今週は、スポーツにまつわるお話をご紹介します。
1960年のきょう、力道山さんが主宰する「日本プロレス」で2人のスターが同時にデビューしました。それが、当時22歳のジャイアント馬場さんと、17歳のアントニオ猪木さんでした。そこで今朝は、日本のプロレスを語る上で欠かすことの出来ないお二人の足跡をご紹介します。
まずは、身長2メートル9センチを誇り、「東洋の巨人」とも呼ばれたジャイアント馬場さんの入門までの経緯から。1938年、新潟で生まれた馬場さんは10歳の頃から家業を手伝っていたそうです。野菜を積んだリアカーを引いて、往復10キロもある朝市へ通ってから、学校に向かっていました。鍛え抜かれた足腰は、まず野球で開花。小学生の頃から、大人の草野球チームに入り、エースで4番。高校時代は甲子園には出場していませんが、巨人にスカウトされて、高校を2年で中退し、プロ入りしました。それから5年間、巨人でプレーした後、現在の横浜に当たる大洋のテストを受けて合格しますが、春のキャンプ中にお風呂場で転んだ事が原因で腕にケガ。投手生命を絶たれました。
しかし、その時、力道山さんは道場にはいなかったそうです。その理由がブラジル遠征でした。このブラジル遠征で、力道山さんがスカウトしたのが、猪木さんだったのです。
猪木さんは13歳の時に、生まれ育った横浜からブラジルに移住。ブラジルでは陸上の砲丸投げで優勝するなど、天才的な運動神経を誇る青年だったそうです。その後、ブラジルでスカウトされた猪木さんと、力道山に入門を認められた馬場さんが出会って、1960年のきょう、同時にデビュー。馬場さんと猪木さんは、初めは同じ団体で活躍しますが、その後、馬場さんが全日本プロレス、猪木さんが新日本プロレスを設立し、袂を分かちます。
馬場さんと猪木さん。お二人を知る関係者はどのようにご覧になっていたのか?かつて新日本プロレスで猪木さんを支えていた新間寿さんは今年の2月のインタビューで二人の関係性を証言しています。「ジャイアント馬場さんが日本一の富士山で、私たち新日本プロレスは日本で2番目の山、北岳だった。一戦一戦、猪木さんが闘う事で、山頂に草履を積み重ねて、馬場さんを越える事を考えていました」。
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◆9月30日放送分より 番組名:「檀れい 今日の1ページ」
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