「コシノジュンコ MASACA」TBSラジオで、毎週日曜17:00-17:30放送中です。

2019年11月10日(日)放送
大黒摩季さん(part 2)
北海道札幌市出身。

1992年にシングル「ストップモーション」でデビュー。2作目のシングル「DA・KA・RA」をはじめ、「夏が来る」「ラララ」などのミリオンヒットを立て続けに放ち、1995年のベストヒットアルバム『バックビート#1』は300万枚を超えるセールスを記録しています。2010年に病気療養のためアーティスト活動を休止。2016年8月、ライジングサンロックフェスティバルを皮切りに、音楽活動を再開しています。
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出水:小さいころはどんなお子さんだったんでしょうか?

大黒:本当に暗いっていうか、引きこもりっていうか。

JK:子供のころからハスキーなの?

大黒:そう。生まれたころから。だから小っちゃいころは男の子と間違われてた。でも、女の子同士の「きゃっきゃっ☆」に入れなくて。暗いっていうか、シャイ? あの当時、私たちはピンクレディだったんですよ~。お若い方はわからないかもしれないけど(^^)そういうのできゃっきゃっしてるところに入れなくて、どっちかっていうと影連してるタイプ。ハスキーだから、いつもケイちゃん(笑)

JK:ピアノがお好きだったっていうのはお母さまの影響?

大黒:そうです。

母の夢だったらしいですよ。OL時代に彼氏とクラシックのコンサートに行って、感動して、いつかお母さんになったら娘にピアノを弾かせたいって。普通リカちゃん人形とかほしいなっていう時期に、強制的に「これ10年分のプレゼントね」ってアップライトが来た感じです(^^;)こっちは選べない、みたいな(笑)

JK:うわ~!

大黒:でもまんまとピアノがおもちゃになって。だから一層、内向的になったというか。

JK:お母さまの罠にはまったね(笑)

大黒:そう、おかげさまで(^^)最近言ってますよ、ママが周りに「私の勝利は、まきちゃんを大黒摩季にしたことなのよね」って(笑) まんまとママのトラップに引っかかり続けて生きてきたって感じです。パパが文学好きで、歌詞のヒントを与えてくれて。

JK:だから作詞作曲できちゃうのね!

大黒:そうだと思います。

出水:意外だったのは、大黒さんは89年にオーディションに合格して、スタートはバックコーラスだったんですね?

大黒:ビーイングっていう会社で、B’zだとかTubeだとかZardとか、大ヒットを築いたバンドがブレイクする前。濱田マリさんがいると思ってオーディション受けたんですけど、もういなかったんですよね(笑)それでオーディション合格したんだけど、まだ花開いてないから、バックコーラスしながら練習して、デビューを待ちましょう、みたいな。でも喫茶店でバイトするよりかは、音楽に近いから、と思って。しばしバックコーラスでした。

出水:意外ですね! でも92年にデビューしてからは、2作目の「DA・KA・RA」が110万枚のセールスを記録して、数々の新人賞を受賞。

95年のベストアルバムは300万枚を超えるセールス!

JK:これってどういう感じ? 300万人が買ったってこと? 1人1枚だもんね?

大黒:まぁ基本的に(笑)音楽バブルの時代でもありましたから、ラッキーでしたね。

JK:素晴らしい。印税もすごいじゃない?

大黒:見たことないですよ、そのころは印税なんて。実家で商売やってましたので、そちらにどんどん流れて行って(笑)私の口座はバス停って言われてましたからね! 通り道(笑)いつの間にかどっかにいっちゃてて。自分でも物欲がないし。あるとすれば、いいミュージシャン代、照明代、全部仕事にまつわるもの。あとは楽器だったりするんで。お買い物に行くタイプでもないし。それより東急ハンズとか楽器屋のほうが面白い、みたいな(笑)ハンズなんて上から下まで全部行くからね! 表裏全部!

出水:このころ、大黒摩季さんは存在しない、という都市伝説があったんですか?

大黒:だけど、ジュンコママだってもの作ってるときは少々こもるでしょ?

JK:いや、そんなにこもってない(笑)だいたいが、岸和田の商店街に生まれてるから、裏も表もないんですよ。

大黒:まあそうか。都市伝説の件は至ってシンプルで、何もない原案から曲や詩を作るでしょ。そしてレコーディングとか全部立ち会うでしょ。

最後のミックスも歌コーラスも全部自分でやるから。普通だったら、歌い手さんだったら作られた曲に歌ってじゃあねーって言って、あとはプロモーションするだけなんだけど、私は全部1週間以上ベタでくっついてるから、そうすると次がやってきて、365日中364日スタジオっていう記憶があります。お風呂に帰るだけ(^^)

JK:あらそう!

大黒:だからそんなことしてると、プロモーションなんかしてる暇がないんです! そうするといないんじゃないかって。TV出ないから。そうすると、あれよあれよと2人いるんじゃないかとか、曲と詩は別人じゃないかとか噂が増えて行ったんですよね。

出水:去年リリースされた待望のNewアルバム「Music Muscle」は、全27曲収録されてるんですよね!

JK:ふつうこんなに歌える?

大黒:考えてみてくださいよ、年1で10曲ずつリリースしたとして、6年間で60曲でしょう? それを考えれば少ないですよ(笑)でも、みんなからお腹いっぱいって言われる(笑)

出水:直訳すると“音楽筋肉”ですが、どういう思いを込めているんですか?

大黒:そもそもこれが高音筋なんですよ。これを遺影にしようと思って(^^) 戻れた証。これがあっても病気で生きれなかったけど、鍛えなおして新しい自分に作ってもらったから。

JK:すごいわね、筋肉隆々よ! 鍛えてるわけ?

大黒:そうですね、ツアー前とかツアー中はキープで、このくらいムキムキします。つき方がもう男っぽいですよね。柔らかいところあんまりないんだよな(笑) まあ、これは6年間休んだたまものですね。あの休みがなかったら、こんなにできてない。

JK:でも6年間でマイナーになるんじゃなくて、たまものっていうのがすごいね。

大黒:最初の3年はくさり気味だったんだけど、途中からなんか開き直って。いじけてる時間ってすごく無駄な時間だなーと思って、途中から入院中にしかできなかったことをして。あれほどもりもり映画見たり音楽聞いたことはなかったな。

出水:インプットの時間にあてた、っていうことですね。

JK:それもひとつの運命ですね。自分の生き方ができたっていう。わざと計画したってわけでもなくてね。

大黒:うん、多分。すごいナイスな時間でしたよ! トランポリンみたいな感じです。ようするに、私の人生跳ね上がる前に、必ず下がるっていう(笑)だけど、下がんないとトランポリンって高く上がらないじゃないですか。トランポリンだと思えばいいなって。

JK:人生のマサカっていろいろあると思うんだけど、最悪っていうのと最高っていうのと、何かある?

大黒:ジュンコママに会ったとき、マサカと思ったよ! マサカ私が世界のコシノ・ジュンコと一緒の空気吸ってるわ~!みたいな(笑)そのあとすぐかわいがってくださって。だからまさかそんなすごい人たちと……。まさかヒデ(中田英寿)があそこまで!とか。まさかの連続ですよ! ハムの人(別所哲也)が親友になったりね(笑)TVでハムを配ってた人が親友として存在するわけですから! マサカの人生万歳ですよ!

人生はトランポリンのようなもの~大黒摩季さん

出水:いつも大黒さんパワフルに活動されてますけど、のどのケアとか体調管理はどのようにしてるんですか?

JK:でもいつも風邪ひいてるみたいな声だから(笑)

大黒:そうそう(笑)みんな私が深酒してるみたいに言うんですけど、いたって健康第一です。よく寝て、よく食べて、よく運動して血行良くして。それが基本ですね。あとはおばあちゃんに言われた通りにやればいいんです! 帰ってきたら手を洗いましょう、とか、うがいをしましょう、とか。アナウンサーとかDJもそうじゃないですか。寝るときにマスクして寝るとか。そんな根本的なことですよ。ケミカルなことしたってだめ。

JK:今風邪ひいてる人はこれを参考に(笑)

大黒:風邪ひいてる人は、あれがいいですよ、お鍋するじゃないですか、あの中にどっさどさネギを入れるんですよ。

あと生姜。その後ポン酢とかかんきつを入れるでしょ。それ粘膜にいいんですよ。生姜は殺菌してくれるし、ネギ類は中から粘膜を柔らかくしてくれる。そうするとずーっと温かくなる。私はそういう「風邪鍋」ってのをやってます。いいですよ、「風邪鍋」! つみれとか何を入れたっていいんだから。だしのところに、ありとあらゆるネギを入れて!

JK:うちはネギ家族だから(笑)

大黒:もうばんばん入れていいですよ! あと生姜。千切りでも輪切りでもいいんですよ、入ってれば。そうすると、体の中に薬も回るし、汗だくになりますよ!

人生はトランポリンのようなもの~大黒摩季さん

OA楽曲
M1. ら・ら・ら / 大黒摩季
M2. 女はつらいよ / 大黒摩季

◆11月10日放送分より 番組名:「コシノジュンコ MASACA」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20191110170000

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