TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週土曜夕方5時から放送中!岸野央明さん(Part 2)和楽器とパフォーマンスを融合した和太鼓集団Drum Taoのトップパフォーマーで、あらゆる和太鼓を操るマルチプレイヤー。Drum Taoは1993年に成以来、NYオフブロードウェイの全公演ソールドアウトを含め、これまで世界26か国で観客動員数800万人を超えています。
JK:今日のゲストはDrum Taoの岸野央明さん、そして麓大輔さんです! すごいですね、何色っていうの? トルコブルーの髪型になっちゃって。麓:もともと黒でしたからね(笑)出水:夏らしいですね(^^) 岸野さんは入団20年目で、麓さんは8年目ということで12年の差がありますが、先輩後輩は厳しいんですか?岸野:いや、もう友達ですね(笑)JK:でも年齢は違うでしょ?麓:今年30です。岸野:僕が38になるんで・・・多少上ですね。出水:麓さんはDrum Taoではお若いほうですか?麓:いや、僕でも中堅ぐらい。真ん中らへんぐらいですね。出水:上下関係なく、皆さん仲良くやってらっしゃるんですか?・・・後輩に聴いてみましょうかね(笑)麓:仲間っていう感じはあるんですけど、その中でもきちんと礼儀はある。
なんか不思議な関係性ですね。家族でもないし、仕事場の同僚でもないし。つねにいいものを作っている「同志」みたいな感じ。JK:いい意味で緊張感がありますね。太鼓の精神みたいなものがあるような気がする。みんな礼儀もあるし、けじめもあるし。
集団生活ってそれがないとだめですよね。岸野:そうですね、やっぱりルールは必要かなって思いますし。でもガチガチになっちゃっても本当に必要な時に意見がもらえなかったりするんで・・・僕らもクリエイティブな場ではなんの遠慮もなくできる環境を意識して普段から生活してたりします。
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出水:岸野さんは東京台東区の生まれで、小さいころから運動神経は抜群だったんでしょうか?岸野:いや、全然そんなことないです。本当に特技とかなくて、ただ父親が太鼓をずっとやってて、その影響で何となく始めて、好きで続けてて。JK:やっぱり子供の環境ってありますよね。
麓さんは子供のころは?麓:僕はずっと陸上をやってました。走ることとか跳ぶこととか。出水:岸野さんは初めてバチを持ったのは何歳ぐらいか覚えてますか?岸野:そうですね・・・始めたのは小学6年生ぐらい。家に太鼓はなかったんですが、地域のグループみたいなのがあって。そこから楽しくて、延長で和太鼓のサークルに入ったという感じです。出水:そこからTaoとの出会いは? Taoの結成された場所からは遠いように感じるんですが?岸野:Taoのメンバーの方が僕の所属していたグループにお知らせに来てくれたんです。
「今度東京で公演があるので、よかったらどうぞ」って。それで1回行かせてもらって、カッコいいなと単純に思った。正直、僕も好きで太鼓をやってたんですけど、トラディショナルじゃないですか。若者がバンドでドラム叩いてロックを演奏するのとは違う意味でやってたので、和太鼓が単純にカッコいいっていうのに衝撃を受けたんです。こういう感じならやってみたいなと思ったのがきっかけですね。出水:岸野さんは当時10代ですが、オーディションという形で入団が決まったんですか?岸野:そうです。
今は毎年2回オーディションを開いて、何十人とか何百人から選考してるんですけど、僕の時は僕ともう1人しかいなくて(笑)自動的に入る感じで、あんまり選ばれてないです(^^)出水:でもきっと光る何かを見出されたんですよ! 特技は「9個の太鼓を叩くこと」って・・・どういうことですか?!岸野:イメージ的にいうとドラムセットみたいなかんじで話題を並べて、リズムを作っていく。パフォーマンス的な要素も作るような、ね。
僕らがブロードウェイで受けた理由~Drum Tao岸野央明&麓大輔
出水:麓さんは鹿児島のお生まれですが、どんなお子さんだったのか教えてください。麓:ちっちゃいころはあんまり表立って「おら、いくぞー!」というタイプではなくて、どちらかというと隅でみんなのようすを伺うような、引っ込み系の男子でしたね。静かでした。出水:先ほどもお話にありましたが、陸上をやっていたそうですが、種目は?麓:ハードルと走り幅跳びです。
JK:そっちで将来やろうとは思わなかった?麓:それが小学生のときに、初めて出た県の大会で優勝したんですよ。そこから「俺行けるかな」と思って頑張ってたんですけど、中学1年生のときに「やっぱり僕より成績がまだまだたくさんいるんだ」と思い知って(^^;)陸上でオリンピックに出たい、という思いもあったんですけど、その時ぐらいからいろんな興味を見つけていかなきゃな、と。JK:それで太鼓に出会ったのはなんで?麓:Taoです。2013年の九州ツアーを初めて見たんですけど、最初和太鼓だっていう先入観なく、総合舞台芸術みたいなイメージで見に行ったから、ものすごい迫力と、パフォーマーの一糸乱れぬ統一された動きに気付いたら鳥肌が立ってて・・・端っこのほうで泣きながら、すごいな!って。次の日には調べて、履歴書を送る準備をして。JK:なんにも知らない子に見せるって大事よね! 私も同じような感じかもしれない(笑) 全然思ってもみなかったから。出水:麓さんがオーディションを受けたときはどんな感じだったんですか?麓:僕が受けた時は、ランニング、リズム感テスト、自己表現アピールとか種目とかがちゃんと決められてて、現地での一次審査が合格だったら最終面接みたいな審査だったんですけど、夏の暑い日で、ランニングからのテストで汗だくになって(笑)JK:岸野さんとだいぶ違うじゃないですか! でも得意なところなんじゃないの?麓:いやあ僕、短距離選手なんで(^^;)長距離は苦手で、必死に頑張ったんですけど。出水:岸野さんはそういった場に立ち会ったり?岸野:見てました(^^)「今タイム●秒ですね~」とか言って。麓:だから僕としては、舞台上で憧れた先輩方が審査員として座ってるから、緊張して! あの岸野さんがいる!とか思って。JK:岸野さん、ご自身のマサカっていう思い出はある?岸野:Taoでやってるとマサカの連続ですよ! そんなことある?!っていうのが日常茶飯事なんで・・・JK:紅白は?岸野:あ、紅白もマサカですね。12月の中頃に急に「紅白に行くことになりました」って言われて、そこから準備して。僕ら1月1日から毎年演奏することが決まってるんですよ。それが大分で、朝からあって。でも紅白のオファーをいただいて、やってみようということになって・・・朝1番で大分に戻りました。間に合いました!
僕らがブロードウェイで受けた理由~Drum Tao岸野央明&麓大輔
JK:それからブロードウェイもあるじゃないですか。岸野:ブロードウェイもマサカでしたね。挑戦するってなって向こうへ行って、でも実際チケットがなかなか売れなくて、みんなでポスター貼ったりとかやってたんですけど、寸前まで厳しい状況だったんですよ。で一番最後にプロモーションで出たTV番組が好評で、翌日にはソールドアウトしてたっていう。実際すごい反応でした。麓:本当、あれはもう、ブロードウェイに立てるのがすごいことなんだなあって。立ってるときはあんまり気づかなかったんですが、翌日ぐらいにすごいんだってしみじみ実感するところでした。出水:一番違うのはお客様のリアクションですか?岸野:最初はなんか、目が肥えてるっていうか、品定めされてるっていうか。それが徐々に打ち解けて、受け入れられている感じを僕らも楽しめるようになっていって、最後は一体感。JK:見てもらえればいいいんだけど、見るまでは「日本から来たのね」っていう程度なんですよ。そこが難しいね。歌舞伎だのなんだの行ってるけど、もちろん理解してる人もいるけれど、自然にNYのフィーリングと合うっていうのは難しい。だからあれが受けたっていうのはそこなんですって。確かにNYのフィーリングに合うわよね、あの勢い。岸野:その時に言われて嬉しかったのが、日本のアーティストがNYに行くと、日本人の観客が多かったりするらしいんですが、僕らがやったときは100%現地のニューヨーカーだったんです。JK:TVがラッキーでしたね。岸野:結局番組のオファーをくれた人も、僕らがいろいろ宣伝してるのを見て声をかけてくださったので、少しずつの努力が実を結んでよかったなと思います。出水:最後に、Drum Taoの今後の目標や、こういう風になってほしい、という思うことはありますか?麓:今はコロナの状況下ではあるんですが、Drum Taoが心のワクチンというか、日本を明るくできる存在として前にどんどん進んでいって、お客さんが元気になってもらえるような集団を目指していきたいと思います。JK:いいじゃないですか! 心のワクチン!麓:打ちにきてください(笑)岸野:そうですね、毎年作品を作り続けているんですが、これを継続して自分たちでも最高だなと思える作品をめざして、いつまでもTaoの応援をしていただけるよう頑張っていきたいなと思います。==OA楽曲==M.BEAT BEAT/Drum Tao