「森本毅郎・スタンバイ!」(TBSラジオ、月~金、6:30-8:30)7時35分からは素朴な疑問、気になる現場にせまる「現場にアタック」。毎週月曜日は東京新聞との紙面連動企画。
今日は、先日の九州豪で町全体が浸水した佐賀県武雄市でのボランティアなどの支援について取り上げた「こちら特報部 2年前も豪雨災害 佐賀・武雄」の記事に注目しました。佐賀県武雄市は、二年前にも豪雨災害に見舞われ、ようやく生活を立て直しかけた矢先、再び今回の豪雨災害となってしまいました。

「二回目はきつかぁ・・・」「もうこんな生活いやだ・・・」

そこで、まずは、二年前に続き、武雄市内の一般社団法人「おもやいボランティアセンター」を手伝う、神戸の「被災地NGO協働センター」の増島智子さんに、現在の様子を聞きました。『かなり精神的なダメージは大きいと感じます。みなさん「もう二回目はきつか~」とかっていう言葉がホントにあって、涙ながらに「つらい、きつい」っていう声が毎日のように聞こえてくるし、私も実際に行って、「もうこんな生活いやだ、死にたい気持ちだ」っていう風に取り乱す方もいらっしゃるので、数か月前にやっと新しくなったのよ、壁が、床が、っていう方も、たくさんいらっしゃって、だからね、実際に関わった建築士なり、ボランティアのスタッフも、行くのが辛くて、自分たちが二年前に関わって一緒に修復をお手伝いした方もいらっしゃるので、ほんとに悔しいと思いますね。そういう意味では、被災者の方と同じように、心折れそうになりながら、頑張ってますね。』(「被災地NGO協働センター」増島智子さん)たった二年で、同じ地域に、しかも前回よりも大規模な豪雨災害が起こってしまった。やっと復旧へ向かっていたのに・・・。精神的なダメージは大きい、というのは想像に難くないです。数か月前に新しい壁や床が入ったとありましたが、被害を受けた家から運び出す家具も、新品が多く、ボランティアのみなさんも、胸が詰まる思いだ、と。また、そういう状況なので、家の修復や片付けだけではなく、心のケアがいつも以上に大切だな、と感じているそうです。当然、経済的負担も大きくなりますから、壁や床もすぐに外したりせず、使えるものは使って、経済的・精神的負担を少しでも減らせるような支援になるよう、本当に慎重に関わっている、ともおっしゃっていました。

コロナ禍でのボランティア活動

これはつまり、細やかで丁寧な支援、ということになるわけですが、その行く手を阻むのが、コロナ禍であるという事実。再び増島さんのお話です。
『人数がなかなか集まらないのは確かですね。大々的にボランティアさんにお声をかけられなかったりということもあって、回り切れていないんですね、被災者の方のところに、スタッフもちょっと手が回らなくて。なので、県外で後方支援という形で、例えば被災者と直接つながっている方は、お電話で状況を確認して、後方支援として、やること見つけながら、みなさんに関わって頂いてます。コロナももちろん災害ですし、この水害も災害ですし、コロナ禍でのボランティア活動っていうのをもう一回、今までの活動を含めて、学びなおしたり、洗いなおしたりしながら、やらなきゃいけないのかな、というのは思いますね。』(「被災地NGO協働センター」増島智子さん)コロナだと、なかなか県外からの支援は入れませんから・・・。ボランティアの募集や取りまとめは、いくつかの団体がありますが、もっとも一般的な社会福祉協議会では、コロナ対策で県内の人に限っています。(おもやいボランティアセンターでは、制限は設けていませんが、向かう前に事務局にご確認ください。)そのため、ボランティアが足りず、被災地では、被災者同士が助け合う場面が多くみられるそうです。そうした中で、コロナ禍での新しいボランティアの形として、県外のボランティアの方が、県外で出来ることを探して支援する。例えば、電話で様子を聞いて、調査して、現地スタッフに伝えたり、他にも、必要な物資を車で運んで、チャっと下して、とどまらずに、すぐに帰るボランティアがいたり。また、前回は武雄市に来ていた神奈川の女性は、今回は物資を送る支援にした。すると『こんなに遠くの方が気にかけて、支援してくれるのね』と被災者の方は少し元気が出たそうです。
(ちなみに8月28~29日の土日はボランティアも少し増えたそうでよかったのですが、なにしろ気温が高くて、被災者の方たちの疲労の色が濃くなったように見えました、と増島さんが昨日の夜、話していました。)

記者にできることはこれしかないから

「忘れずに、気にかけている」まさにこれが、今回の記事のテーマでもありました。記事を書いた東京新聞特別報道部の佐藤直子記者はこう話します。『私も書きながらつくづく思ったのは、ちょうどコロナだけじゃなく、東京五輪が重なったんですね、そうすると、そうすると東京のメディアは、まあ私の所属するところもそうですけど、どうしてもコロナがあるし、五輪とこの二つに傾いちゃうわけで、こんな大きな豪雨災害なのに、全然そのニュースが少ないわけです。あ、また今日も載らなかった、っていうか、ちょっと申し訳ないけど忘れちゃったっていう日もあったりとかね、すごく自分自身も薄くなっちゃうわけなんですね。それで、武雄の人たちね、武雄だけじゃないですよね、あちこち被害出てますけれども、そういう人たちが、自分たちのことをちゃんと見てくれている人たちがいるんだ、っていう風に思って立ち上がる、ほんとにちょっとでも助けになれないかな、ということを考える、こう書きながら、ほんとに自分も忘れてたな、ということを思い、記者としてできることはそれしかないんじゃないか、と思って今回のような記事になったということです。』(「被災地NGO協働センター」増島智子さん)佐藤さんが入社4年目の地方支局員だった時に、阪神淡路大震災がありました。実家も近いし、取材に行きたかったが、新人で、記者としては何の役にも立なかったそうです。そこで、仮設住宅の人たちの話し相手になるボランティアになりました。その時に、今回の増島さんらのボランティアの方々と出会い、以来25年以上、関わり続けて、彼らの活動について、災害支援について、記事を書いてきました。「記者にできることをする」ということですが、今回の記事をきっかけに、「東京新聞で見ました」「私もできること考えます」という声が、被災地に関わるボランティアに届いているそうです。ニュースを扱う番組のレポーターとして、この佐藤さんの実感は、とても重く受け止めました。
現地に入らなくてもできる支援もある・・・自分には何ができるのか、改めて考えてみたいと思いました。
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