ライムスター宇多丸がお送りする、カルチャーキュレーション番組、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」。月~金曜18時より3時間の生放送。

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
今週評論した映画は、『ボーダー 二つの世界』(2019年10月11日公開)です。

宇多丸、『ボーダー 二つの世界』を語る!【映画評書き起こし】...の画像はこちら >>

宇多丸:
さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン改め、最新映画ソフトを評論する新作DVD&Blu-rayウォッチメン。今夜扱うのは、5月8日にDVDやBlu-rayが発売されたばかりのこの作品です。 『ボーダー 二つの世界』。

(曲が流れる)

『ぼくのエリ 200歳の少女』の原作者ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストが、原作のみならず共同脚本を手がけた北欧ミステリー……というかまあ、ジャンル分けはなかなか難しい感じもありますけどね。ノワールの要素もあったりね。第71回カンヌ国際映画祭で、「ある視点部門」グランプリを受賞。さらに、第91回アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされた。並外れた嗅覚を使って税関で働くティーナは、ある日、自分と同じ特徴を持つ旅行者ヴォーレと出会う。その出会いが、ティーナの運命を大きく変えていく。

特殊メイクをして主人公2人を演じたのは、エヴァ・メランデルさんとエーロ・ミロノフさん、ということでございます。監督・脚本を手がけたのは、アリ・アッバシさんという方です。

ということで、この『ボーダー 二つの世界』を見たよというリスナーの皆さま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「やや少なめ」。このDVD&Blu-rayウォッチメンになってから、まあだいたいこのぐらいの量になりつつある、という感じはありますけどね。賛否の比率は高評価が9割。

主な褒める意見は、「美醜の問題、ジェンダーの問題、マジョリティとマイノリティ、ファンタジーとリアルなど、さまざまな〝ボーダー〟が絡み合う奥深い作品」「見終わった後に何とも言えない複雑な余韻が残る。いつまでも心に残りそう」「登場自分たちの造形も素晴らしく、実在感があって魅力的だった」などなどございました。一方ですね、批判的な意見としては「悪くはないがこちらの想像を超えてこなかった」などの声がございました。

■「現実のサスペンスとファンタジー。2つの要素をリアリティを持って着地させている」(byリスナー)
代表的なところをご紹介しましょう。

東京都の「ラスティ」さん。「『ボーダー 二つの世界』、配信で2回、鑑賞。予備知識がなかったため原作者リンドクビストによる映画『ぼくのエリ 200歳の少女』を視聴しました。二作の共通点としては虐げられた異端者、他者としての存在といじめ、ペドフィリア描写等による人間性に対する不信感が物語の中核になってる部分が挙げられると思います。社会に対する他者としての疎外感はアリ・アッバシ監督のインタビューでも語られているように、イラン生まれのスウェーデン育ちであるアウトサイダーとしての出自が大きく作用しており、共生と微妙な距離感の生々しい描写に、作りものではないリアリティを与えています。

巧みなのは冒頭、ボーレの登場による違和感。謎の男が登場する。挙動不審だけどティーナと似た容姿を持つことから観客は見た目に反してよき人物、純粋な存在と決めつけてしまうところです。見た目や外見によって人間を判断するルッキズムに対する批判にとどまらず、フィクションにおけるルッキズムの逆転。つまり、『容姿は醜いが心の美しい純粋な存在』といった登場人物の定形に対するアンチテーゼともなっています」ということで。

で、「後半に判明するある事実に戦慄せざるを得ませんでした」という。ちょっとネタバレを含むんで省略さしていただきました。

とかね、「……現実にあり得る犯罪にまつわるサスペンスと、ファンタジー。2つの要素をリアリティを持って着地させているように感じました」というラスティさんのご意見。

一方、批判的だったご意見もありました。「ドロップ・ダ・ボム」さん。「『見る者の既成概念に対して揺さぶりをかけますよ』と高らかに宣言している映画に関しては素直にハードルを上げて臨むタチなので、期待していたほど楽しめなかったというのが正直なところです。境界を行き来する者たちの美醜、性、倫理観と結局、人間のそれとアナロジーを用いて語るしかないという現実が人間の想像力の限界と結びついてしまうというか。既視感に関して『これは○○から』『これは○○から』と列挙して見せることはできないけれども、むんずと掴まれて『どうだ、こんな世界観は見たことあるか? 新しいだろ!』と言われたような感覚にはついぞ襲われることはなかった。面白い話ではあるが、結局、倫理的な寓話の枠から出ていないじゃんと思ったりもする」というようなことを書いていただいております。うん。

「境界を行き来している者たちの物語はある意味、どこまでも人間臭く共感可能で、映画世界の中では全く違和感なく語られていくわけで。彼らがなにがしかの部分で超然とした存在として屹立していてほしかったなと思います」というご意見でございました。

■ネタバレせずに良さを伝えるのが超難しいタイプの一作
ということで私も『ボーダー 二つの世界』、アマゾンプライムの配信で一旦購入して、実は今回のガチャが当たる前に見て。

その後、Blu-rayを改めて買ってBlu-rayでも拝見しました。と言うのはですね、この配信バージョンだと、とある重要な場面にですね……これは『ぼくのエリ』でもありましたけど、とある重要な場面に、ボカシがかかっていてですね、「ああ、やっぱりボカシがかかっちゃうんだ」と思ったら、これ、日本では昨年の10月11日に劇場公開された時のバージョンと、Blu-rayでは、実はこれ、ボカシがかかっていないんですね。まああの、はっきり言って架空のアレなんで、別にボカシはいらないよ、という気もしますが。まあ、たしかにエグみのある描写ということで。まあ、その違いがあるということを、皆さんにも一応、記録としてお伝えしておきます。

2018年のスウェーデン・デンマーク映画ですね。日本でも昨年公開されて、その時からすでに高い評価を得ていましたね。ただ当時、その劇場公開タイミングで皆さんの絶賛を聞いていても、いまいちどんな映画なのか、具体的な画が、あんまり浮かんでこなくてですね。なんかぼんやりした印象のまま僕、ここまで来ちゃったんですけど。このタイミングでようやく遅まきながら見てみたら、なるほどこれは、ネタバレせずに良さを伝えるのが超難しいタイプの一作だぞ、ということが改めてわかった、というね。

要は、中盤で、ある驚くべき真実が明らかになって、巨大な価値観の転倒が起こる、というタイプの作品。で、もちろんこの映画はとても丁寧に作られているので、そこに至るまで、序盤からすでに、そこに向けた布石というのが着々と置かれ続けてきている。

たとえばその主人公ティーナが、現行の社会に一応適応はしているけども、はっきり居心地は悪そうな感じ。それと対照的に、自然の中では調和と幸せを見出しているっぽい様子であるとか。

そのティーナが出会うこと謎の男ヴォーレのですね、明らかに奇妙な行動。そして、それになぜか親しみを感じてしまって、そんな自分にも戸惑っているティーナ……など、そういう布石が置かれてるので。いずれ遠からず、何でそうなのかという、いわゆる驚きの真相というのが明かされるだろう、ということ自体は予想がつく。しっかり、その始まりからずっと、布石を置いているので。

ただ、それにしても本作『ボーダー 二つの世界』で明かされるその「真相」のですね、驚き度っていうのが、すごい。元は小説なんだけど、それを身も蓋もない「現物」として見せるというか、つまり、映像ではっきりと、そのエグみも込みで、直接突きつけてくる感じ。まさに映画ならではのインパクト、パワーによって、なかなかなレベルの「ギョギョッ!」な展開になっている。画で見せられるから「ぐおーっ!」っていうことになる。そこで受けるそのショックのデカさ、クラクラとする感覚こそが、本作『ボーダー 二つの世界』鑑賞体験の白眉、と言ってポイントなので、公開時に皆さんがぼかして語っていたのもすごくわかりますし、僕も今日、これ以上何も言えねえ!っていうのもありますので。

まあ、いつも断りがない限りそうしてるつもりですが、今夜もこれから、核心を突くような決定的なネタバレはできる限り避けますし、聞いてからでも鑑賞時の面白みが減じないような配慮はしているつもりですが、例によって、予備知識全くのゼロで見たいという方はですね、まあ20分後ぐらいにお会いしましょう、という感じでしょうかね。

ただひとつ、「評判いいらしいから」というぐらいで見ようとしている方に一応言っておくと、一定数の方は、ひょっとしたら生理的嫌悪感を感じてもおかしくないような描写や展開を、多数含みます。というのは、まさにそのことによって、我々の既存の価値観に強く揺さぶりをかけてくることを意図した作品だから、っていうことですね。

■原作は傑作『ぼくのエリ』のヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの短編小説
原作は、スウェーデンの作家ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストさん、2006年に出した短編集に入っている小説です。日本でもハヤカワ文庫から出ております。このヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストさんといえば、先ほどから、番組の冒頭からいっぱい話題に出しています、2004年に出した小説『MORSE -モールス-』の、2008年の映画化版。自ら脚本も務めた、トーマス・アルフレッドソン監督作、日本題『ぼくのエリ 200歳の少女』。僕は前の番組、シネマハスラー時代の2010年8月8日に評しました。あの大傑作であるとか、そのハリウッドリメイク、2010年の『モールス』とかで知られる方、っていうことですよね。

その、「もうひとつの世界」が実は脈々と受け継がれていて……というようなところとか、諸々今回の『ボーダー』とも通じるところがある作品ですけども。今回の『ボーダー』のその脚本にもね、リンドクヴィストさんは関わっていますけれども、長編映画化にあたって、いくつか、かなりアレンジを加えてるわけです。それに関しては、共同脚本としてクレジットされている、イサベラ・エクルーフさんという方。この方は実は、『ぼくのエリ』にも、「ロケーションアシスタント」ということで参加されてる方らしいですけども。

そして、やはり監督のアリ・アッバシさんの持ち込んだそのアイデア、というのが大きな位置を占めている、ということらしいですね。たとえば、今回劇中で出てくる、その最低最悪におぞましい犯罪グループの話。これは映画オリジナルですし。結末に向けた展開も、よりその主人公のティーナの「境界線上」感、つまりまさに“ボーダーライン”のど真ん中で揺れ動いているんだ、というバランス、そこを強調したものになってたりする、という感じですね。原作だと主人公ティーナは、もっとパキッと割り切って進んでいっちゃうんですけどね。

このアリ・アッバシさん、イラン出身で、現在はデンマーク、コペンハーゲン在住。なんでもテヘラン工科大学に行っていて、そこからストックホルム王立科学アカデミーで建築を学んで、デンマーク国立映画学校に行って……みたいな。それで今はデンマーク、コペンハーゲンに住んでいる、北欧をベースに活動されている、という方。先ほどのメールにもあった通り、彼自身が、それぞれの社会の中で、さまざまなその「境界線」というものを、強く意識せざるを得ない立場であってきたということ、そうだったであろうということも、想像に難くないですよね。

で、長編映画は、この『ボーダー』の前に実は1本、2016年に『Shelly』という、デビュー作となる作品を撮っているんですけど。僕ね、今回、その本編を見られていなくて、すいません。ソフトとかがどうしても手に入らなくて、これは見られてなくて申し訳ないんですけども、予告編とか、英語版のウィキペディアのあらすじ紹介などから判断するに、まあ『ローズマリーの赤ちゃん』×『オーメン』的なホラーのようで。これもまた要するに、「もうひとつの世界が、実は脈々と社会の裏側で受け継がれていて……」という話だし。あと、妊娠・出産をめぐるスリラーでもある、という点なども、今回の『ボーダー』とはっきり通底する部分だという風に思いますね。原作者のその、ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストさんとも共鳴する部分かと思います。

■見事なのはテーマやメッセージと直結した主人公たちの造形バランス
ということで、ここからですね、まだ致命的なネタバレにならないだろう、というあたりをお話していく……要するに序盤から中盤にかけて、チラシとか予告などでも、あらすじとして明らかになってる範囲の話から、順にしていきますけど。まず冒頭。その主人公のティーナは、フィンランドからスウェーデンに入ってくる、フェリーの税関の職員をしてるわけですね。で、その制服を着たティーナが、まあフェリー脇の水辺に立っているわけです。海峡なのかな? 海峡を臨む水辺に立っている。

で、まずその、2つの隔てられた世界、その境目にいる主人公ティーナ、っていうこの構図からしてもう、分かりやすく象徴的ですよね。で、その水辺のところにいるティーナは、なんか草のところにいたコオロギかなんかの虫を手に乗せて、何か思うところありげな様子を見せている。で、実はこの「手にコオロギを乗せて」っていうのは、映画本編の、まさにラストのラストと完全に対をなす描写になってる。コオロギ使いというのが……というのは、映画を見終わってみるとわかる。「頭のところと対になっている」っていうのが分かるわけですけど。

で、税関でのそのティーナ、特殊能力を生かした働きぶりっていうのを、まず見せていくわけですけど。これ、原作小説だと、もうちょっと第六感的なっていうか、より超能力寄りなニュアンスで描かれていたそれがですね、これはまさにこの映画版、映画ならではのブラッシュアップ要素と言っていいと思いますが、よりフィジカルな、肉体的な能力として……つまり「嗅覚」として描かれる。何かよろしくないことをした人間が放つ臭い、マイナスフェロモンが分泌されたのかな?っていうか、それに鋭く反応する、という。鼻をヒクヒクしている、というね、ちょっと動物的な描写というのになってると。

で、この主人公ティーナ。エヴァ・メランデルさんというこのスウェーデンの俳優さんが、後に、先ほども言ったようにアカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞にもノミネートされた特殊メイクと、あとは体型作りなどもされたようですが、見事に「体現」してみせるですね、まずはその絶妙というほかない造型バランス。これがやっぱりね、本作の、さっきから言っている映画ならではの達成、成功ポイントと言っていいと思いますね。

要はですね、この主人公のティーナと、その後から出てくる謎の男ヴォーレも、単体で見ると、普通の人間といえば普通の人間なんですね、全然。なんだけど、でもやっぱり何かどこか普通じゃない、はっきりと異物的な存在感も感じさせる、というような、まさにボーダー。境界線上のバランスで、いろいろ造型されていると。

つまりそのティーナのビジュアルそのものが、テーマ、メッセージと直結しているわけですよ。この感じ……いや、人間といえば人間なんだけど、でもまあ、なんか違う感じがするといえば違う感じ、しますね、っていうこのバランスこそが、テーマと直結する。そうした印象はですね、その税関に、謎の男ヴォーレ……演じてるのはエーロ・ミロノフさんというフィンランドの俳優さんで、フィンランドの俳優さんだからこそ、スウェーデン語に微妙に訛りというか、違和感がある、というところもミソなキャスティング、ということらしいんですけど。

このヴォーレとティーナが対峙した時に、その彼らの造型バランスが、さらに際立つことになる。さっきから言ってるように、ティーナ単体で見ると、「ああ、いや別にこういう……普通の人といえば普通の人でしょう」って思うんだけど、そこにヴォーレが来ると、「あっ!」って。つまり、彼らの顔立ちそのものに共通点がある、っていう感じが際だつ。観客にもはっきりわかるバランスになってるわけです。つまり、突き出た額に対してら奥まった瞳。あと、やはり非常に大きく特徴的に張り出た鼻梁、鼻筋。あとは唇が薄い分、ちょっと出っ歯気味になっている歯並びとか骨格など、骨格全般。どうやらそのヴォーレとティーナは、「同族」同士であることをほのめかしていると。

■「ありのままの自分をレリゴーしてイントゥ・ジ・アンノウンしたら本当の自分を発見した」話
で、この造型バランスがですね、インスパイア元、モデルのひとつとして、監督のアリ・アッバシさんは、「ネアンデルタール人をモデルにした」という風に……まあ先ほどメールでも書いてあった方がいましたけども、そういう風にインタビューで言っていて。これ本当に膝を打つ、なるほど!っていうあたりですね……つまり、「もうひとつの人類」っていうことですよね。で、彼ら自身、その同族感っていうのを文字通り肌で感じているのか、ヴォーレはハナからね、もちろんそのティーナに対して最初からすごく諸々距離近めに接してくるし、ティーナはティーナで、もちろん最初は警戒しているし、認めたくはない感じなんだけど、でもはっきり惹かれているし、なんなら2度目に会った時とか、やっぱりちょっと笑っちゃってるっていう。で、鼻をヒクヒクさせて、匂いを嗅ごうとしたりしている。

しかも、その匂いが「あれっ、この匂い……いい!」みたいな感じになっちゃってる、っていうね。で、ですね、実際ティーナはですね、ちゃんと仕事もあるし家もある、ヒモ然とはしているけども、一応同居しているローランドというパートナーもいる。まあ普通の人でもあるわけです、彼女は間違いなく。なんだけど、街にいればやはり、なにかこう異物として、差別的な視線にもさらされる一方……これ、原作小説だと、彼女がその差別的な視線で、「普通の社会」というのに傷つけられた過程というものが、小説だと言葉で説明されていたりしますけども。まあ、映画でも非常に簡潔な描写で、やっぱり差別的な視線にさらされて居心地が悪い一方、家の近くの森の中を、1人で、しかも裸足で! 歩いていたりとか。

あるいは裸になって……また今度は裸体のですね、毛深さ感とかも、やはり絶妙なバランスなんですけど、湖で泳ぐ時とかにはですね、やっぱり彼女は、すごく真に解放されて、本当に居心地がよさそうに見える、という。キツネとか、そしてトナカイとかと仲良く……『ナウシカ』的なね、動物とかと交信している感じ。でも、犬とは敵対する。つまり「イヌ」っていうのはあれ、成り立ちからして、完全に人間側なんで。犬は人間社会が産んだものだから、なんででしょうね、敵対するんですよね。

で、たとえばその再会したヴォーレにですね、なんかウニョウニョした虫を捕まえてるヴォーレに、「美味しいよ!」なんて勧められて。「ダメよ……」って。「嫌!」とかじゃなくて「ダメよ……」「なんで?」「いや、みんながそう決めたから……」って。要するに、いかにその、「何がダメか、アリか」っていう「普通」という境界線というものが、根拠がないものか、っていうのを示す、本人も自信なさげな受け答え。意味的にもすごく的確な上に、すごくキュートですよね。「いや、みんなが決めたから……」っていうこの感じ。

で、実際にその虫を食べてみたら、「あれ? たしかに……イケる!」みたいなこの表情。これはもちろんその前に、さっきね、山本さんともお話しした通り、同居人のローランドとの夕食……人間的な夕食ですね。まずそうなミートソーススパゲッティーを、実際まずそうにもぐもぐと口に入れる、というくだりとの、対比にもなっている。そんなこんなでですね、ゆれ動く主人公ティーナの心理をですね、セリフではなく、あくまで表情の微細な変化であるとか、言動そのもの、行動そのもの、あるいはビジュアルで見せて語っていく、という。まさにそのティーナとヴォーレの造形、バランスを含めてですね、この語り口がまず、本当にお見事ですね。非常に純映画的な語り口、という感じだと思います。

で、言っちゃえばこれね、テーマとしては、それこそ同じく北欧物でもあると言っていい、『アナと雪の女王』、それも特に『2』を含めたあの『アナと雪の女王』と、すごく通じるところが多い話ですね、お話そのものは。ずっと周りの「普通」の人たちと違う自分、っていうのを自覚していて、違和感も感じつつ……能力もあるけど、浮いてもいる、化け物扱いもされる、そんな自分を抑え込み、生きてきた人が、ありのままの自分をレリゴーし、イントゥ・ジ・アンノウンした結果、小室敬幸さんも言っていたように、「Show Yourself(みせて、あなたを)」っていう……つまり、自分自身を発見する、という。本当の自分を発見する、という話という意味で、もう完全に『アナ雪2』やないか!っていうことだし。

まあ、本来のアイデンティティーを肯定するっていう意味では、もっとこう卑近な例を出すならば、『みにくいアヒルの子』的な話なわけですね。また、これも『アナ雪2』にも盛り込まれていたテーマでしたけど、北欧先住民というのがいるわけです。映画『サーミの血』でも描かれた北欧先住民、サーミ人の、現行の北欧社会での言っちゃえば被差別的な立ち位置、などといった現実の人種、民族問題っていうのも当然、背景には横たわっているわけですね。

■作品のテーマを直接的なビジュアルとしてあえて見せつけてくる
ただですね、この『ボーダー 二つの世界』がすごいのはですね、そうしたテーマをですね、さっきから言ってるように、あくまで具象として、具体的なビジュアルとして、人間社会の中にいる「他者」というのを突きつけてくるわけです。画として、それこそ生理的嫌悪感をもよおす人もかならず出てくるであろう、エグい直接的表現をあえて見せつけることで、その「多様な価値観」っていうね、ともすれば誰もが同意するであろう、きれいごとの理念になりかねないその「多様な価値観」という概念を、剥き出しの真実、現実として提示しようとしていると。で、観客に問うてくるわけですね。「その“多様な価値観”っていうのは、こういうことだぞ」と。

だからこっち(観客)側にも、きれいごとではない、本当に価値観、発想の転換を突きつけてくる、という。そこがやっぱりこの『ボーダー 二つの世界』の、優れたところであり、面白いところだと思います。で、その揺さぶりが極に達するのがですね、もちろんそのジェンダーの境もグラついてくる、あのラブシーンですね。はい。まさに、先ほど言ったぼかしが出てくるところ。Blu-rayではぼかしがなし、公開版でもぼかしがなしのところ。ニューッとね……まあそれはいいんですけど(笑)。はい。

そしてですね、やはり前半からずっとそのサブストーリー的に進んできた、さっきも言った、とある口にするのもおぞましい、最低最悪の犯罪グループの所業があるわけです。本当に鬼畜の所業があるわけですけど、それと絡んで明らかになる、驚きの……これはちょっとネタバレになるから言えない。驚きの、その「生命のあり方」というかね……まあだいたいですね、ちょっと言ってしまいますけど。「胎児」っていうのはですね、見方によっては気味悪いものであるっていうかね、ありますし。映画でもそういう描写、いっぱいありますけど。この映画はですね、さらにそこを嫌な感じでデフォルメして、突いてくる。胎児というものの薄気味悪さというのものを(デフォルメして提示してくる)。

ネタバレしない範囲で、具体的なタイトルを伏せつつ言うならば、僕はデビッド・リンチの『◯◯◯◯◯◯◯◯』とかデビッド・クローネンバーグの『◯◯◯◯』あたりを思い出しました。気持ち悪さの質的に。またですね、前述のその犯罪グループの、要はですね、表面は取り繕ったおぞましさというか、これ、あの『ミレニアム』シリーズであるとか、もちろん『ぼくのエリ』とかもそうだったですけど、北欧ノワール特有の、なんか取り澄ましたヤバさという……まあアメリカとかともさらにちょっとエグさのレベルが違う、でも表面的には取り澄ましている感じ、みたいな、独特のバランス。ありますよね。北欧ノワール、そういう面白みというかエグみ、怖みみたいなものも、この『ボーダー 二つの世界』にはあると思います。

そしてもちろん、主人公たちの正体の、衝撃ですね。「えっ、そっち?」「そっちも『アナ雪』?」みたいな衝撃ですよね(笑)。しかもそれがまた、これもネタバレしないように言うけども、まあ後から調べると、その伝承にちゃんと則った描写が重ねられてるんですよね。「を怖がる」とか、あとは「子供をさらう」っていうのも実はそれだったりする、ということですね。ということで、まあ筋立てとしては実は極めてシンプルながら、主演俳優2名の、もちろん見た目のね、その特殊メイク含めた作り込みなども含めた、キャラクター造型、ビジュアルそのものが、メッセージと直結する、まさに純映画的な語り口と、それまで見ていた世界観、世界の意味が反転するような、鮮やかなその衝撃っていうのが、堪能できる一作ということで。

まあ恐らくこれは本当に、『ぼくのエリ 200歳の少女』同様ですね、一部の熱狂的なファンではあると思うけど、後世に脈々と……まさに脈々と語り継がれて、受け継がれていく、カルト的な一作、という風になってくんじゃないでしょうか。なかなかちょっとその、生理的なOKラインというところで、受け付けられない人もかならずいる、という警告はしつつも、ぜひこのタイミングで、なるほど評判も……これ、見ないと何とも言えないやつなので、ぜひぜひウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』です)

宇多丸、『ボーダー 二つの世界』を語る!【映画評書き起こし】

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
(ガチャ回しパートにて)
宇多丸:今ね、ZOOMのチャットでやり取りをしていて、「そういえば、あれも……」ってういところで、あのヴィンチェンゾ・ナタリの『スプライス』感もちょっとありましたね。たしかにね。
山本匠晃:『スプライス』。いいですねえ。
宇多丸:あ、でもあんまりいろいろと言うとネタバレになるな、これ(笑)。

◆6月5日放送分より 番組名:「アフター6ジャンクション」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200605180000

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