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2月13日(日) 放送分
阿木燿子さん(Part2)
長野県長野市生まれ。1969年に作詞家デビューし、1975年に手がけたダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒット。
出水:作詞家デビュー作「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」はどんな経緯で作詞することになったんですか?
阿木:「LP出させてもらえそうだから何か書いて」って言われて・・・今でも覚えてるんですけど、コタツになぜかミカンがあって(笑)肩ひじ付きながらスーパーのチラシの裏に書きなぐって、という経緯でしたね。
JK:でもなんで「ヨコハマ・ヨコスカ」なの?
阿木:私が横浜の育ちで、その当時父と母が横須賀に住んでいて、ちょうど縁があったのと、私が燿子だからそれにひっかけて。よく「港のヨーコは阿木さん自身がモデルですか」って聞かれるんですけど、とんでもないです!
出水:コタツにミカン、という話がありましたが、いつもリラックスした形で作詞しているんですか?
阿木:メロディを先にいただくことが多いから、すごくメロディを聞きこんで、寝ながら・・・っていうか、頭の中にずっとリフレインしているので、寝ようとすると「これならハマるかな?」と思って書き留めて、また寝ようとするとアイデアが落っこちてくる、みたいな感じで、朝方には出来上がってます。
JK:真夜中の出来事なのね!
阿木:だから自分の潜在意識を働かせてるのかしら。私は寝るけど、あなた頑張ってね、みたいな(^^) 逆にあんまり執着して、いいものを出そうとするとダメ。何度も聴いたうえで放置する。
JK:そこですね。あんまりこだわらないで、ちょっと手を休めた時にポッとね。デザインでもそういうことありますよ、考え過ぎた時に「もういいや」って一瞬あきらめると、「あっ、できるじゃん!」みたいな。
阿木:そうなんですよ! 不思議ですよね。
JK:そうなんですね! 1500回も味わって(笑)
出水:阿木さんと宇崎さんのタッグといえば山口百恵さんの数々の名曲が思い浮かびますが、百恵さんの曲はどのように作詞していたんですか?
阿木:百恵さんは一番思い入れが強いですね。最初から比べると、百恵さん1曲ごとの進歩がすごくて! 学習能力のすごさは本当に唖然とするくらい。一度「ここはこういうニュアンスで歌ってほしいんだけど」って言うと見事にクリアなさって! だから時間がすごく短かった。百恵さんの引退間際は超がいくつもつくぐらい過密で、5分単位で対談なさってたから、曲を覚える時間なんてあるのかなと思ってたんだけど。
出水:レコーディングはどのぐらいの時間で?
阿木:だいたい2時間ぐらいで済ませるのかな? それも夜中なんです。全部の仕事が終わって、スタジオに入るのが9~10時ぐらい。でも百恵さんはディレクターから「ここはこうだよ」って言われると「はい、わかりました」って言って、見事に! だからテイクが早い。21歳ですもんね。でも若いとか年取ってるとか、男性とか女性とか、そういうレベルを超えてた。
JK:でもあれだけ一世を風靡しても永遠に続けないで、すかっと辞める勇気って・・・ふつうあり得ないですよね。
阿木:辞めても、途中で戻ろうかな、とふつう思いますよねえ??友和さんも自分の気に入ったお仕事を選ぶ方なので、生活大変かなと思ってのちのちお聞きしたんですけど、百恵さんが「家を売ろうかと2人で話したんですよ」って。百恵さんがカムバックすれば何億も稼げるだろうに! そういうことは考えなかったんだなって、ただただ感動しました。ぶれない! プロの歌手であり、プロの女優であり、プロの奥さんであり、プロの母親だと思う。
JK:何やっても優秀なのよね。
阿木:友和さんも紫綬褒章を取られて、家庭もバックアップして。家庭人としても本当にプロフェッショナル! 対談のときに「浮気は1回もしない」っておっしゃってて。エライ! スゴイ!

JK:人生でマサカっていう出来事はありますか?
阿木:私の人生そのままがマサカって感じはあるんですけど、作詞家になったのはマサカでした。なれるとも、なろうとも、なりたいとも思っていなかったから・・・主人が作曲家志望だったので、一番身近だった私が「何か書いて」って言われてちょこちょこ、手慰み程度に書いて・・・いざレコード出していただけるってことになった状況で書いたのが「港のヨーコ」で、それがヒットしたので。本当にこんなことが起こるんだ!って。
JK:ヒットってどんな気分ですか??
阿木:なんとも言えない不思議な気分でした。歩いているとパチンコ屋さんから流れてくる。
JK:私も経験ありますよ、ロンドンで信号待ちしてたら、後ろの人が「Hey Jude♪」って歌ってるの。ヒットってそれですよね。全員が歌ってるの! ああ、こういうものなんだって思った。
阿木:一つの妖精がいるとして、それが細胞分裂して日本中に広がって、妖精たちがあちこちで歌ったり、口ずさんだりしてくれるような・・・それは楽しかったですね。
JK:ジュディ・オングさんの「魅せられて」も華やかで、ファッショナブル。
阿木:あの曲は本当にジュディさんが広げてくださったと思う! 天女の羽衣のように世界観を広げてくださって・・・アレンジと曲と詞、そして歌う方。それがパチンとハマった。
JK:本人も芸術家だから、一緒になった感じですね。
阿木:横から見てうっとりするくらい、ゴージャス。あれは他の歌手には出せない!
出水:そういったヒット曲を阿木さん自身が口ずさむことはないんですか??
阿木:ないです、ないない(^^;)私が歌うと童謡みたいになっちゃって、全然ゴージャス感がでないから。

出水:時代の流れが変わって社会のありようも変わると、作詞で使う言葉やフレーズも変わったりするんですか?
阿木:やっぱり「歌は世につれ、世は歌につれ」で、やっぱりその時代の言葉ってありますよね。
JK:タイトルって大切ですよね。
阿木:大切です! タイトルは「顔」ですもんね。タイトルがひらめいたら、曲はだいたいできてる。「魅せられて」は安産だったので、15分ぐらいしかかかってないぐらい。安産の方がいいんですよね。タイトルが先に閃いて。でも詞には「魅せられて」って言葉は入ってこない。タイトルとサビと頭の一行ができれば、できたも同然。
JK:道が開けるわけですね! タイトルはイメージだから、簡単な一言がひらめくって大きいですよね。それを1500回も!
阿木:そうですね、名付け親しています(^^)
JK:これからコロナが明けたら、何をやりたいですか?
阿木:旅行に行きたいです! あとはすごく身近だけど、大掃除(笑)コロナでできるかなと思ったら、なかなかできない。

OA曲
M.さよならの向こう側/山口百恵
M.魅せられて/ジュディ・オング