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7月23日(日)放送後記

小橋賢児さん(Part 2)

東京都・大田区出身。1988年に芸能界デビューした後、NHK朝の連続TVドラマ小説「ちゅらさん」など数々のドラマに出演。

2007年に芸能活動を休止した後は、映画製作やクリエイティブディレクターとして世界規模のイベントや都市開発の企画・運営に携わっています。東京2020パラリンピックでは閉会式のショウの総合ディレクターも務めました。

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JK:出会いのきっかけは15歳の時だったかしらね。イメージは今と変わらないけど。なんか運命的に出会いましたよね、うちの息子も同じような歳でね。

小橋:当時僕がDJをいじっててターンテーブルがあったんですけど、それを息子さんに受け継いでもらって、僕より上手くなっちゃって。当時僕も俳優だったんですけど、ジュンコ先生のショウにも数回出させていただいて。モデル歩きもできなかったんですけど、「楽しんで!」って言われて。

JK:かわいかったんだから~! 子役っていう感じだったわよね。

小橋:そうですね、自分自身では意識してなかったですけど、当時はアイドルっぽいところもあったかもしれないです。当時はジャニーズ以外に10代の男性はほとんどいなかったので、ジャニーズと勘違いされたり。Wikipediaに「小橋賢児は昔ジャニーズのレッスン生だった」って書かれて。

全然嘘なんですけど、僕自分で「それは本人が否定している」って書き直したんですよ。そしたらまた書き換えられた(笑)

JK:グループに入るよりも、1人だから自由にできた。今から考えたらすごくよかったんじゃない? 自由に旅もできて。その経験が他の人にはないと思うんですよ。

小橋:もともとカギっ子みたいなところもあったので、自分でいろんなところに行って、中学生のころから新聞配達のバイトをしたり、シルバーアクセサリーを1個4円で入れる仕事とか、古着のトレードとかしながら先輩から学んでいました。自分では俳優をやっているというよりも、家では見られない世界を見たいなっていう気持ちでした。

JK:旅の始まりは?

小橋:一番最初の度の始まりは、大田区の蒲田と大森から原宿と渋谷に1人で抜け出して、そこでバイトを見つけて、今やKENZOのクリエイティブディレクターになったNIGOさんとか、UNDERCOVERのジュニオさんとかと出会って、裏原宿のカルチャーを知るっていうのが僕の旅でしたね。もちろん芸能界もいろんな人生を旅させてくれた。僕は高校もほぼほぼ行ってない状態なんですけど、台本を通じていろんな社会を見させてもらうっていうのが最初の旅でしたね。

出水:俳優業では2001年放送の「ちゅらさん」にご出演していますが、あの時の小橋さんの印象が残っている人も多いと思います。

インドが僕に教えてくれたこと~小橋賢児さん

小橋:ありがたいことに・・・でもそのぐらいの年代に思い悩んでいた自分もいて。本当に自分の人生ってこれでいいんだろうかって。

みんなから「すごいね」って言われても、本当の自分を生きていないから、自分でもピンとこなかった。だから人間は直感を信じて、まずは勘違いで行動してみるってことが大事なんじゃないかな。そういう意味で、旅って自分の日常から外れて予期せぬことに出会うハプニングがあるじゃないですか。そのことが自分でも想像していなかったゴールにたどり着く、みたいな。

JK:環境の厳しいインドとかネパールにも行ってるでしょ?

小橋:俳優の時には自分で自分を決めつけていたところがあって。その後ULTRAみたいな大きなフェスをやって周りから「すごいね」って言われて、また俳優の時の勘違いしていく自分に戻っていくような気がして、「このままじゃいけない」ってバックパックを背負っていきなりインドに行きました。現金を体中に20万円分忍び込ませて(笑)俗世の生活から、いきなり1日50円のホテルに泊まる、みたいな生活を3か月しましたね。

出水:そこで取り戻したものは?

小橋:やっぱりインドは自分たちの常識が全く通用しないんですよ。

JK:常識がないのよね。

小橋:たとえば旅行客が迷ってると、道を知らないのに道を教えてくれるんですよ。知らないのに! 言われた通りの道を行くと、道がない。元に戻ると、また反対側の道を教えるんですよ。

「お前道知らないだろ?」って言っても、インド人のYesって首を横に振るので、NoなのかYesなのかわからない(笑) 電車も10時間遅れるので、最初はイライラするんです。でもインド人はイライラしてない。なんでかと思ったら、結局自分の常識に相手の常識をはめてるからイライラしてるんです。

JK:固定観念ね。

小橋:じゃあ自分の常識を変えてみよう、と。電車が10時間来なくて街から出られなかったら、楽しんでみようと。そしたらいきなり街で準備が始まって、「明日はインド最大の祭りがあるんだよ」って。電車が遅れたから遭遇することができた。

JK:スケジュールなんていらない、あるがまま! そういう観念って大きいわね。旅をするとき、何時何分にあれしてこれして・・・って仕事をこなしてるみたいで、楽しむっていう要素ないもの。まだ出会ってないのに先に決めちゃうのはもったいないですよ!

小橋:なんとなく目標の骨組みを立てるのはいいんですけど、その骨組みに縛られてしまう・・・人生もそんな感じじゃないかな。

JK:目の前にあるものを楽しむってことですよね。

マサカっていう経験はどうですか?

小橋:自分の人生がすべてマサカなんですけど(^^;)まさか自分が万博のプロデューサーになるなんて! それを目指してなったわけじゃない。でもいつも思うのは、目の前の環境に全身全霊でやっていくこと。僕の場合は身体を治すっていうことと、来てくれる人を楽しませたい。そのために試行錯誤した結果、今の未来の僕が勝手にやってきたという感じです。ゴールが自分の想定とは違ってても、自分で想像しえぬゴールにたどり着く方がいいじゃないですか。

小橋:いまは世界が分断する激動の時代、AIも台頭したり、パンデミックもあったり、一見すると大変。でもこういう時代にキーになるのが万博、それから日本人じゃないかなって。20世紀は物質文明、21世紀は心の時代と言われている。心の時代を牽引するのに、日本人が本来持っていた「結ぶ」「和合する」心が世界を調和するんじゃないかなと思っていて。「今の日本なんていけてないよ」「万博なんて必要ないよ」って言う人もいると思うんですが、万博って国を挙げて、企業もあらゆるものが何かの力で動き、あらゆる人たちが世界からやってくる。万博と関係なくても、このタイミングを使った方がいいと思うんですよね。地域ごとのお祭りの本質も願いであり、地域の人たちがつながって寄り合っていくこと。

それを日本という国で新時代の祭りを作っていく。

JK:集まることで文化が生まれる。そういうきっかけが日本にあるわけですから。

小橋:そうなんです! 今の日本は過渡期だと思っていて、いろんな膿が出てきている。でも逆にそれだけ露呈してるってことは変わりつつあるということ。日本人の魂が目覚めていって、本来持っている「和合調和」の心が世界に広まっていくと、世界がより美しくなっていくんじゃないかな。

JK:世界中が平等にコロナを体験して、新しい文化を求めてる。そのタイミングが万博ですよ。不思議ね、万博のテーマも「いのち輝く未来社会」でしょ。聞いた時はなんだろう?と思ったけど、そのあとコロナになったでしょ? 予言的だわ! 命なんて今まで深く考えてなかったのにね。

小橋:命っていうのは人間だけじゃなくて、自然も含めたすべての命。日本は古くから自然と自分たちを切り離してなくて、自然も「おのずとあるもの」という考えがあった。

だからきっと導かれているんじゃないかなって。自分たちに気づいてほしいっていう思いも込めました。

出水:現在はThe Human Miracleの社長として会社を経営していますが、どんな活動をしているんですか?

小橋:主にイベントが多いんですけど、これまではイベントという1~2日の出来事でしたが、最近は都市開発にも携わるようになりました。僕は体験を作るプロデューサー/ディレクターだと思っているので、なぜ人は集うのか? どういう感情がそこに芽生えるのか? そのためにはこういう空間が必要で、こういう場所が必要だっていう「体験設定」を作って、建築家にオーダーするということをやり始めています。感情のある街、心のある街にしていきたい。いろんな人の助けを借りながら、それを紡いで一つの形にしていく。それは人生も同じかなと思います。

OA楽曲
M1. Hide & Seek / Imogen Heep

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