かつての栄光に影を落とした、イングランド史に残る2つの悲劇
‘89年4月15日。すし詰めのサポーターたちを“ヒルズボロの悲劇”が襲った photo/Getty Images
リヴァプールのリーグ優勝が刻一刻と近づいてきた。残り9試合で2勝。
最後のリーグ優勝から30シーズン。永い月日が流れたものだ。あの当時、リヴァプールはロングボールとショートパスを融合し、ずば抜けて強かった。80年代は3連覇と2連覇を含み、実に6回もイングランド1部リーグを制している。70年代も5回優勝。また、チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)も、70年代と80年代にそれぞれ2回ずつ勝ち取っている。
イングランド・フットボール=リヴァプールといって差し支えなく、マンチェスターの2チームやチェルシーなどはその他大勢に過ぎなかった。GKレイ・クレメンス、DFマーク・ローレンソン、アラン・ハンセン、MFグラエム・スーネス、FWケニー・ダルグリッシュ、イアン・ラッシュなどなど、70~80年代の主力は永遠のアイドルであり、いまでもサポーターに熱く支持されている。
しかし、ある事件によってリヴァプールのイメージは失墜した。85年5月29日の“ヘイゼルの悲劇”──。
さらに、89年4月15日に起きた“ヒルズボロの悲劇”にもリヴァプールは関わってしまった。FAカップ準決勝の対ノッティンガム・フォレスト戦。ゴール裏に収容人員をはるかに上まわる両チームのサポーターが詰めかけた結果、スタジアムの一部が倒壊。死者96名、重軽傷者766名という、イングランド・スポーツ史上最悪のアクシデントだ。
ふたつの事件により、リヴァプールとイングランド・フットボールの権威は著しく傷ついた。UEFAはとくに“ヘイゼルの悲劇”を重視し、厳しいペナルティーを科している。「リヴァプールは7年(その後6年に短縮)、そのほかのクラブは5年、ヨーロッパの主要大会への出場を禁じる」。イングランド・フットボール全体の競争力が低下し、リヴァプールは70~80年代の主力がピークを過ぎていたため、世代交代すら満足に図れなくなっていった。
イングランド1部リーグがプレミアリーグと改称された92-93シーズンからも最終盤まで優勝に絡めず、93-94シーズンには優勝したマンチェスター・ユナイテッドに32ポイント差の8位という屈辱まで味わっている。
生え抜きのタレントたちが躍動 奇跡の優勝となるはずが……
![[特集/リヴァプール解剖論 04]ついに春到来 不死鳥リヴァプール・ヒストリー](http://imgc.eximg.jp/i=https%253A%252F%252Fs.eximg.jp%252Fexnews%252Ffeed%252FTheWorld%252FTheWorld_279121_1d9a_2.jpg,quality=70,type=jpg)
04-05シーズンのCL、3点差をはねのけて奇跡の優勝を手にした。カップを掲げるは若き日のスティーブン・ジェラード photo/Getty Images
2000年代に入り、リヴァプールは徐々に上向いていった。マイケル・オーウェンを擁した00-01シーズンは、FAカップ、リーグカップ、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)の“カップトレブル”を達成している。下部組織からスティーブン・ジェラード、ジェイミー・キャラガーが育ち、シャビ・アロンソ、ルイス・ガルシア、ホセ・レイナなど、スペインからやって来た助っ人も貢献した。圧倒的な運動量でサポーターの支持を得たディルク・カイトも忘れてはいけない。彼らの活躍により、リヴァプールはユナイテッド、アーセナル、チェルシーとともにビッグ4と呼ばれ、チャンピオンズリーグでも彼らプレミアリーグ勢を軸とする優勝争いが繰り広げられた。
そして04-05シーズンは決勝に進出。前半で0-3のビハインドに立ちながら、54分からわずか6分で追いつき、PK戦の末にACミランを破った。21シーズンぶりのドラマティックな戴冠こそが、フットボールの歴史にその名を残す“イスタンブールの奇跡”である。
しかし、プレミアリーグではユナイテッド、チェルシー、アーセナルだけではなく、地元の怨敵エヴァートンの後塵を拝する5位に終わった。チームの継続性も選手個々の能力も、ビッグ4のなかで最も劣っていることを露呈した。
また、07年にリヴァプールを買収したアメリカ人実業家のジョージ・ジレット、トム・ヒックスもリヴァプールを投資の対象としか見ておらず、補強プランも短絡的、なおかつ経済的にゆとりがなかった。サポーターとの関係が冷えていく。
情熱家クロップの招聘、クラブの緻密な強化プランがついに花咲く
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情熱家というにふさわしい指揮官クロップ。彼の子供たちもピッチを縦横無尽に、エネルギッシュにゴールを目指す photo/Getty Images
3年後、そんなリヴァプールに転機が訪れる。『フェンウェイ・スポーツグループ』(以FSG)による買収だ。ジレット、ヒックスと異なり、『FSG』は豊富な資金を持っていた。さらにボストン・レッドソックスやラウシュ・フェンウェイレーシングといったスポーツ関連のビジネスも手がけているため、ありとあらゆるプランを緻密に進めるノウハウも心得ていた。
ジレットとヒックスが作った借金を瞬く間に返済し、ドルトムントを退任してフリーだったユルゲン・クロップにも素早くコンタクト。この人選によってリヴァプールが上昇曲線を描いていったことは、改めていうまでもない。
ダルグリッシュはレジェンドだ。ホジソンは好々爺で、12-13シーズンから指揮したブレンダン・ロジャーズもすぐれた指導者ではある。
一方、クロップは熱い、熱すぎるほどだ。つねにテクニカルエリアに立ち、選手のパフォーマンス、審判のジャッジに一喜一憂する。サポーターにすれば感情移入がしやすい。なおかつ記者会見ではウィットとユーモアに富んだ対応で、シニカルなタイプが揃うイングランドのメディアを虜にしている。「監督として、人間として尊敬できる」(ロベルト・フィルミーノ)、「監督が嫌といっても一生ついていく」(トレント・アレクサンダー・アーノルド)、「ケガで一年以上も使いものにならなかったのに、いつも気にかけてくれた。いまの僕があるのは監督のおかげ」(アレックス・オックスレイド・チェンバレン)、選手間の評判も上々だ。
この人間性もクロップの魅力であり、彼を軸とするリヴァプールの強化委員会は、綿密、かつ長期プランに基づいて補強を図っている。アリソン・ベッカー、フィルジル・ファン・ダイク、アンドリュー・ロバートソン、ジョルジニオ・ワイナルドゥム、サディオ・マネ、モハメド・サラー、フィルミーノなどなど、就任後4シーズンの補強は成功例が非常に多い。
しかもファン・ダイクを除くと、移籍市場を賑わせた選手ではない。クロップが標榜する“ヘヴィメタル・フットボール”に適応するタレントだけを獲得し、プレミアリーグに馴染むまで時間を与えてきた。
28節のワトフォード戦に敗れ、無敗優勝の夢こそ潰えたリヴァプールだが、仮にファン・ダイクが重要な局面でスリップしても、30シーズンぶりのリーグ制覇は、プレミアリーグと改称されてからの初優勝は動かしようがない。「けが人が相次いだ」「監督と主力のソリが合わなかった」「補強が失敗した」……。他クラブは言い訳を並べたくもなるだろうが、すべて負け犬の遠吠えだ。
『FSG』体制下のリヴァプールはフロントも現場も充実している。ライバルとのレベル格差も開きつつある。クラブ創設から128年を迎えたいま、彼らの春は永く続く。
文/粕谷 秀樹
※電子マガジンtheWORLD243号、3月15日配信の記事より転載
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