C・ロナウドを仕留めた、エグい角度のタックル
長きに渡りプレミアリーグを盛り上げてきたルーニー photo/Getty Images
パトリック・ヴィエラをかわして左サイドから進入し、右足一閃! 16歳の若者が放ったミドルシュートは、名手デイビッド・シーマンの指先をかすめながらゴールに突き刺さった。
2002年10月19日、エヴァートンのウェイン・ルーニーの一撃はたしかに強烈だった。当時のプレミアリーグ史上最年少ゴール(16歳360日)でもあった。
しかし、03年ボクシングデイのマンチェスター・ユナイテッド戦も凄かった。左サイドから突破を図るクリスティアーノ・ロナウドを、一発で仕留めたエグい角度からの深いタックル。ルーニーの旺盛な闘争本能を示す強烈な一撃だった。
彼は喧嘩上等の姿勢でピッチに立ちつづけた。足首を削られ、顔面にエルボーを食らっても、薄ら笑いを浮かべながら倍返し、ときには3~4倍返し。相手のボールホルダーにプレスをかける際は長い距離でもスプリントを仕掛け、縦横無尽にピッチを駆けまわった。
香川のハットトリックをほとんどお膳立てした
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キープ力も抜群。3人のDFに囲まれても、ものともしない photo/Getty Images
04年夏にユナイテッドに移籍した後、ルーニーは新加入の選手と即座に美しいハーモニーを奏でた。C・ロナウドやカルロス・テベス、パク・チソンの特性を理解し、13年3月のノリッジ戦で香川真司がハットトリックを達成したときも、ほとんどお膳立てしている。
08年夏から4シーズン、ユナイテッドで苦楽をともにしたディミタール・ベルバトフも、ルーニーを高く評価するひとりだ。
「ワッザ(ルーニーの愛称)からは申し分ない角度、スピードでパスが出てくる。タイミングも最高だ。ボールをキープしていて2、3人に囲まれても、必ずといっていいほどサポートしてくれた。
ベルバトフのコメントが証明するように、フットボールI Qにすぐれるルーニーは、いまなにをすべきか、チームにとって最良の選択肢はパスかシュートか、もしくはフリーランなのか、瞬時に判断できていた。
およそ20年前、すでに一流の戦術家として名を馳せていたカルロ・アンチェロッティも次のように語っている。
「ルーニーは特別だ。ユナイテッドのなかで、イングランド代表のなかで、ただひとり状況に応じたプレイができる。オフ・ザ・ボールの動きも秀逸だ」
抜きん出た存在だとメッシでさえ絶賛する
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背番号を10番へと変更した2007-08シーズン。欧州制覇を成し遂げビッグイヤーを掲げる photo/Getty Images
フットボールIQにすぐれて献身的なタイプは、使い勝手がいい。だからこそアレックス・ファーガソン監督は、前線に、二列目中央に、ウイングに、ときには中盤センターにルーニーを起用したのだろう。オーナーのグレイザー・ファミリーが背負った莫大な借金により、補強ができなかったポジションの穴を埋めるピースとして使いつづけた。
もちろん、ルーニーは納得しない。ユナイテッドのためとはいえ、オールラウンダ―として稀有な存在だったとしても、ポジションが固定されないとパフォーマンスに響く。“便利屋”のような扱いにプライドも傷ついた。他クラブと異なり、週給も上がらない。
いつしかルーニーはファーガソンとユナイテッドに不満を抱き、12-13シーズンの終盤にはトランスファーリクエストを提出したと報じられた。ファーガソンも報道を事実と認めた。
ここがターニングポイントである。
当時、ユナイテッドのサポーターにとって、ファーガソンは“ 現人神”のような存在だった。神さまが「あの子はユナイテッドでプレイしたくないといっている」と発言したのだから、大衆は信じる。
ルーニーが「週給に関して話し合ってはいるが、トランスファーリクエストは出していない」と弁解しても、信じる者は少なかった。要するに、メディアコントロールでファーガソンが圧倒的に上だったのだ。交渉の一部を暴露しつつ、「ユナイテッド側に一切の非はない」と世間に印象づけたのである。
こうして、ルーニーの肩身は徐々に狭くなっていった。ファーガソンが退任した2013年以降は、加齢によるコンディション不良も影響し、大したインパクトも残せないまま、17年夏に古巣エヴァートンへ戻っていった。
しかし、ユナイテッドで記録した253ゴールはクラブ最多であり、彼がいなければチャンピオンズリーグ、プレミアリーグ優勝はありえなかった。11年2月のマンチェスター・ダービーで決めたオーバーヘッドは、リーグの歴史を彩る美しく、パワフルな一撃だった。
ルーニーは正真正銘のレジェンドであり、引退して一年半以上が過ぎた現在も、イングランド・フットボールの宝だ。
「ひとつの世代にひとりだけの選手。抜きん出た存在だった」
あのリオネル・メッシもリスペクトし、最大限の賛辞を送っている。
文/粕谷 秀樹
電子マガジンtheWORLD(ザ・ワールド)273号、9月15日配信の記事より転載