インテルで活躍したロナウド photo/Getty Images
スター揃いだった当時のセリエAをも支配した
ブラジルの元祖怪物FWロナウドはキャリアの中で大きな怪我も経験しており、全盛期と呼べる期間が短いプレイヤーだったとも言える。怪我から復帰しても高い次元のパフォーマンスを披露していたものの、100%の状態ではなくなっていたところがある。
では、怪物ロナウドの全盛期と呼べる時期はいつになるのか。数字で見れば、1シーズンだけバルセロナでプレイした1996-97シーズンは印象的だ。全コンペティション合わせて57試合で54ゴールの数字を残しており、手がつけられない状態にあった。
しかし英『The Guardian』は真の全盛期をインテルへ移籍した1997-98シーズンだったと主張する。数字は47試合で34ゴールとバルサ時代より落ちたかもしれないが、当時のセリエAはスター選手が揃う特別なリーグだった。そこで1年目からセリエA25ゴールを決めたロナウドは異次元に近い存在だった。
インテル時代のロナウドについては、ともにイタリアサッカー界を盛り上げてきた当時のスター選手たちも舌を巻く。かつてロベルト・バッジョは「彼は未来から来ている。時代を先取りしたテクニック、スピードでフットボールをこなしていて、それまで誰もやったことがないものだった」と絶賛。
GKとして対峙したジャンルイジ・ブッフォンは、「彼は人間の中にいる異星人。研究室でつくられたような選手だった。パワー、スピード、直感、スキル、俊敏性を備えていて、完璧だった」と語っている。
このシーズンのインテルはロナウドの活躍もあってUEFAカップを制しており、ファイナルの相手は同じイタリアのラツィオだった。ラツィオのセンターバックに入っていたのは、イタリアで最もエレガントとも評されるDFアレッサンドロ・ネスタである。
世界最高級DFネスタでもロナウド擁するインテル攻撃陣は抑えられず、インテルが3-0で勝利。ロナウドも3点目を決めており、ラツィオの完敗だった。
このゲームについてネスタは、「あのゲームで自分のどこが間違えていたのか解明するためにビデオで何度も見てきた。0-3で負けたけど、自分のせいではないと思う。ロナウドは止められなかった。彼はとても速くて、周りの選手が止まっているかのように見える」と脱帽する。
同メディアもラツィオ戦でのロナウドはキャリアの中でも最高の90分間を過ごしたと絶賛しており、ここが1つのピークとの考えも正しいか。当時の激戦だったセリエA、そして集結したスターDFを蹴散らしていくロナウド、当時のセリエAと怪物の姿が脳裏に焼き付いているサッカーファンはかなり多いはずだ。