趣味を楽しむ社内サークル活動として、社員で吹奏楽団を結成している鉄道会社があります。かつては、ある理由から多く存在した「鉄道会社の吹奏楽団」ですが、この職業ならではの苦労もあるようです。

ダブル指揮者は「どっちも路面電車の運転士」北陸の古豪吹奏楽団

 日本で何らかの趣味を持つ成人の人口は1億人規模ともいわれ、企業でも同じ趣味を持つ人々のサークル活動が行われています。鉄道会社やバス会社などにもさまざまな趣味のサークルが存在しますが、交通業界では古くから定番といえるもののひとつに、アマチュア吹奏楽団があります。

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京都鉄道博物館で演奏するJR西日本吹奏楽団(画像:JR西日本吹奏楽団)。

「鉄道会社の吹奏楽団」のなかでも精力的に活動を行っているのが、富山県を中心に活動する富山地方鉄道の吹奏楽団です。1959(昭和34)年の結成から60年以上の歴史を誇るこの吹奏楽団は、地域での演奏活動のみならず、全日本吹奏楽コンクール出場歴2回と実績も堂々たるもの。現在は新型コロナウイルスの影響で合奏を行っていないそうですが、平常時は50人ほどの団員が、業務のかたわらで音楽を楽しんでいます。

 富山地方鉄道は鉄道線・軌道線(路面電車)合わせて100km以上のもの営業距離を持ち、会社としての規模は地方私鉄においては国内最大級。団員の職種は、電車や路線バスの運転士、駅員、整備・保線、本社勤務など、もはやこの吹奏楽団だけで小さな鉄道会社を運営できそうなほどです。常任指揮者の2名は、「動力車操縦者運転免許」を所持した路面電車の運転士および元運転士です。

 年1回の定期演奏会(2020年は中止)は、鉄道線の定期券やICカード「えこまいか」を所持していれば無料で入場できるため、沿線のファンが多く訪れます。そのステージは、かなりの大曲(ムソルグスキー「展覧会の絵」、ホルスト「惑星」など)からポップス、ヒット曲、普段耳にする機会がない「富山地方鉄道社歌」まで演奏されるほか、懐かしい自社鉄道の映像も使われる時があり、耳だけでなく目も楽しませてくれます。

 昭和30年代、40年代には、こうした鉄道・バス・フェリーなど運輸事業者の吹奏楽団が全国至るところに存在しましたが、現在では多くが規模縮小を余儀なくされています。

実は「運輸事業者と吹奏楽」には、つながりがあるのです。

ファンファーレが必要だった昭和の鉄道

 戦後の高度成長期にさしかかる頃、鉄道などの運輸事業者は自社社員による吹奏楽団を積極的に設立し、福利厚生で楽器や練習場を提供するケース多く見られました。戦後日本の経済事情ではまだ一般の人が気軽に管楽器を買える状況になく、労働者が吹奏楽を楽しむには企業の力が必要だったのです。

 また吹奏楽団は、路線の開通や駅の開業など記念式典では重宝するため、先に述べた富山地方鉄道吹奏楽団も自社の駅ビル・施設にとどまらず、国鉄北陸本線の電化、富山空港の開業セレモニーなど、他の事業者にも引っ張りだこだったといいます。

運転士は指揮者?「鉄道会社の吹奏楽団」多かったワケ 昭和に全盛 仕事との両立に苦心

宇奈月温泉駅前で演奏する富山地方鉄道吹奏楽団。2016年「湯の街ふれあい音楽祭」にて(画像:富山地方鉄道吹奏楽団)。

 このころには京成電鉄(千葉県)、国鉄大宮工場(埼玉県)、青函船舶管理部(国鉄青函連絡船の運営元)などに社員・職員どうしの吹奏楽団があり、コンクール出場など盛んに活動を行っていました。その他にも東急電鉄、近畿日本鉄道、徳島バスなど自前の楽団を有する企業は枚挙にいとまがなく、鉄道や運輸事業と吹奏楽は密接な関係にあったといえるでしょう。

 しかし、のちにモーターリゼーション(自家用車の増加)の影響によって運輸事業者の多くが業績を落とすと、それとともにこれら吹奏楽団は徐々に活動を縮小していきました。富山地方鉄道も路線の廃止が相次ぎ、団員は最盛期の3分の1まで減少、存亡の危機ともいえる状態が長く続いたそうです。

 加えて、2008(平成20)年に「全日本吹奏楽コンクール・職場の部」が部門再編になったことや、リーマンショックによる各社の業績悪化に左右され、鉄道に限らず企業の吹奏楽団は全般的に厳しい状況に置かれています。しかし、こと「鉄道会社の吹奏楽団」の場合は、「街から街へ人を運ぶ」企業ならではの問題を多く抱えながらも活動しています。

練習も本番も全員集合は困難 それでも…

 鉄道業界は、1日8時間・週40時間制の労働基準法第36条を基本とする一般企業と違い、労働基準法施行規則などによって、不規則な長時間勤務や泊まりも伴う「変形労働時間制」が適用されます。社会人の吹奏楽団は各地域に数多くありますが、多くが決まった曜日・日時に練習を行うため、鉄道員の入団はかなり困難でしょう。

 そうしたなか鉄道会社の吹奏楽団は、全体練習のスケジュールを固定せず「集まれる時に集まる」練習体系を敷いたり、いないパートは同じ楽器の誰かがカバーしたりするなど、状況に合わせた練習を行っています。

 なかにはJR西日本吹奏楽団のように、広島や米子などに勤務するメンバーが数百kmを移動(費用は各自負担)して、大阪での合奏に駆けつけるケースも。しかし練習だけでなく、本番でも揃っての出場が難しいため、かつて実績を上げていた富山地方鉄道をはじめ、多くの団体が吹奏楽コンクールへの出場を取りやめています。

 また所属する団員も、個人練習には困難が伴います。

わずかな時間で「指回し」(演奏時の指の動きを楽器を持たずに練習する)や、個人でカラオケボックスを借りて練習(店の許可を得た上で)するなど、さまざまな工夫で練習時間を捻出しているそうで、全員集まって毎日何時間も練習できた学生時代とは、やはり勝手が違うようです。

運転士は指揮者?「鉄道会社の吹奏楽団」多かったワケ 昭和に全盛 仕事との両立に苦心

JR九州吹奏楽団。「JRグループ音楽連盟 第4回定期演奏会@北九州」にて(画像:JR九州)。

 それでも、鉄道員のプレイヤーたちはマスコン(鉄道車両のハンドル)や保線の腰道具を楽器に持ち換え、少ない時間で吹奏楽の響きを作り上げています。彼らを突き動かしているのはやはり「音楽が好き」「吹奏楽が好き」という気持ちではないでしょうか。

 なお2020年は新型コロナウイルスの影響により多くの団体が活動を休止していますが、通常時には、西日本・東日本・九州などJR各社の吹奏楽団は鉄道施設でのコンサートが多く、プログラムには社歌や鉄道に関する曲が目立ちます。

また名鉄ブラスバンド部が自社(名古屋鉄道)スポンサーの競馬レースで披露する「名鉄特急のミュージックホーン風ファンファーレ」は、中京圏の競馬ファンにはおなじみではないでしょうか(2020年は無観客開催のため生演奏なし)。

 コンサートを行える環境になり演奏を見かけた際には、ホームやコンコースに響く吹奏楽の響きに耳を傾けてみましょう。ひょっとしたら華麗にソロを決めている奏者が、実はいつもよく見る運転士さんだった、などということもあるかもしれません。