北海道新幹線の試運転で、ついに青函トンネルを新幹線車両が通過しました。本州と北海道を結び、いよいよ新幹線が走り出した青函トンネル。
2014年12月7日未明、本州と北海道を結ぶ青函トンネルを初めて新幹線車両が走りました。2016年春の開業を予定している、北海道新幹線の試運転です。
青函トンネルは1988(昭和63)年3月13日、在来線の海峡線として開業。新幹線のほうが車体が大きいなど、在来線と新幹線は規格が異なりますが、当初から新幹線の車両が通れるサイズでトンネルは建設されました。
とはいえ、使用する電気や信号システムなどは在来線規格で造られたため、現在はそうした点について新幹線が通れるよう、改修工事を行っています。
いよいよその車両が津軽海峡をくぐり、新幹線の開業が具体的になってきた青函トンネルですが、日本の海難事故で史上最大の惨事が青函トンネル建設の大きな契機になっていたことは、あまり知られていないかもしれません。「タイタニック」の悲劇とほぼ同じ、合わせて約1500名の人命が失われたとされる1954(昭和29)年の「洞爺丸事故」です。
利便性向上が最大の目的ではなかった青函トンネル青函トンネルが開業するまで、国鉄(JRや鉄道省などを含む)は青森~函館間に鉄道連絡船を運航していました。いわゆる「青函連絡船」です。
1954(昭和29)年9月26日、九州へ上陸したのち日本海を北上した台風15号が津軽海峡に接近。気圧は960ヘクトパスカル、風速50m/秒という強い台風のため青函連絡船の運航も中止されていましたが、夕方17時頃、天候や海の状況が次第に落ち着いてきたことから、1167名の旅客を乗せた青函連絡船「洞爺丸」が函館港から青森港へ向けて出港します。
しかしその後、天候が再び悪化。暴風と激しい波浪に襲われるなか、洞爺丸は意図的に座礁して船体を安定させようとしましたが、横転、沈没してしまいました。これにより1051名の洞爺丸乗船客が亡くなったほか、貨物専用の青函連絡船4隻も沈没。一夜にして乗員乗客合わせて1430名もの犠牲者が出てしまいました。持田豊『青函トンネルから英仏海峡トンネルへ』(中公新書)によると、近くの陸地は犠牲者を火葬する煙で何日ものあいだ覆われたといいます。
本州と北海道を海底トンネルで結ぼうという構想自体は戦前から存在していましたが、この「洞爺丸事故」をきっかけに国鉄も世論も、その実現に向けて大きく動き出します。
先出の『青函トンネルから英仏海峡トンネルへ』のなかで、日本鉄道建設公団の青函建設局長などを務めた著者の持田豊氏は次のように述べています。
「青函トンネルは、北海道、東北の経済発展や社会文化のきずなを深めるという目的などよりも、安全な交通手段を確保し、大事故が今後起こらない輸送サービスをしなければならないという、人命尊重の第一義から出発したことを明記したい」
青函トンネルと、開業から50年間にわたり一度も車内の乗客が死亡する事故を起こしていない新幹線。「安全性」というキーワードで繋がっていました。
※「洞爺丸事故」に関するデータは持田豊『青函トンネルから英仏海峡トンネルへ』(中公新書)による。