新幹線が最初に開業したのは半世紀以上前のことですが、「新幹線」という言葉は1世紀以上前からありました。ただし、最初は高速鉄道を意味する言葉ではなかったようです。
最高速度200km/h以上で、全国のおもな都市を結ぶ新幹線。日本の鉄道を代表するものとして、その存在を知らない人は少ないでしょう。
東海道新幹線が開業したころに使われていた0系電車の保存車(2012年6月、草町義和撮影)。
新幹線が初めて世に現れたのは、半世紀以上前の1964(昭和39)年のことです。このとき、東京~新大阪間を結ぶ東海道新幹線が開業しました。東京と大阪を結んでいた幹線鉄道(東海道本線)に並行する高速列車専用の「新しい幹線鉄道」として、「東海道新幹線」と名付けられたといえます。
その後、山陽本線に並行する山陽新幹線、東北本線に並行する東北新幹線などが順次開業。いまでは「新しい幹線鉄道」というより「新幹線」自体が高速鉄道を表現する言葉として定着し、海外でも「Shinkansen」の名が広く知れ渡るようになりました。
ところでこの「新幹線」という言葉、いつごろから存在するのでしょうか。東海道新幹線の建設が本格的に考えられるようになったのが1950年代。1958(昭和33)年に建設計画が承認され、1959(昭和34)年に着工していますから、この時期に国鉄が作った造語のように思われるかもしれません。
しかし、戦前の国鉄線を運営していた鉄道省(現在の国土交通省に相当)は、遅くとも1939(昭和14)年には「新幹線」という言葉を使っていました。
このころ、鉄道省は東京~下関間を結ぶ高速鉄道を計画していました。現在の新幹線と同様、在来線(東海道・山陽本線)に並行して高速列車専用の線路を別に建設する計画でした。鉄道省は、この高速鉄道計画を「新幹線」と呼んでいたのです。
ただ、当時の新聞は「弾丸のように速い鉄道」という意味で「弾丸列車」と呼ぶことが多かったようです。戦時体制に突入していった時期でもあり、当時の世相を反映した言葉といえるでしょうか。
新幹線は「鉄道限定」の言葉ではなかった弾丸列車計画は戦時体制への突入による資材不足の影響で、1943年(昭和18)度に中止。戦後、弾丸列車計画で買収した建設用地を活用する形で建設されたのが、現在の東海道新幹線になります。いずれにしても、「新幹線」という言葉は東海道新幹線が計画された1950年代ではなく、1930年代の段階ですでに存在していたことになります。
ところが、さらに昔の新聞記事を当たってみたところ、大正時代の1910年代にも「新幹線」という言葉が使われていました。
たとえば、1914(大正3)年11月4日付の台湾日日新報は、中国大陸の鉄道新線計画を「新幹線」と表現しています。1919(大正8)年12月19日付の大阪毎日新聞も、大阪市と堺市を結ぶ新しい幹線道路を「阪堺新幹線」と記していました。
つまり、新幹線は開業から半世紀以上の歴史があるものの、「新幹線」という言葉自体は少なくとも1世紀以上の歴史があるということになります。
そう考えると、東京~下関間の高速鉄道計画が「新幹線」ではなく「弾丸列車」と呼ばれることが多かったのも納得できます。報道各社としては、道路も含まれる「新幹線」という言葉を高速鉄道計画の名称として使うことに違和感を覚え、当時の世相も重なって「弾丸列車」と言い換えていた面もあったのかもしれません。
【史料】「弾丸列車」と呼ばれた戦前の新幹線計画図

戦時中に鉄道省が作成したとみられる東海道本線・沼津駅付近の概略図。紅白の旗ざお線が弾丸列車の予定ルートで、「新幹線豫定線」と記されている(国立公文書館所蔵)。