映画『幸福の黄色いハンカチ』に登場した北海道の網走、陸別、新得、そして夕張。公開から40年が経過したいまの、作品ゆかりの地を訪ねました。
【本記事は、旅行読売出版社の協力を得て、『旅行読売臨時増刊 昭和の鉄道旅』に掲載された特集「名場面に彩られた昭和鉄道旅」の一部記事を再構成したものです】
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1977(昭和52)年製作・公開の映画『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』は高倉 健(健さん)主演の人間ドラマだ。今DVDで見返すと、北海道夕張市や新得駅、旧陸別駅など映画ゆかりの地を訪ね、往時に思いを馳(は)せてみたくなった。
「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」の五軒長屋の炭鉱住宅内部に展示された赤色のマツダ「ファミリア」。
作中で、健さんは網走刑務所での刑期を終えた元炭鉱夫「島 勇作」に扮(ふん)した。勇作が、後に結婚するスーパー店員「光枝」(倍賞千恵子)を見初(そ)めた時の回想シーンがある。この時、店の天井にズラリと下がっている大阪万博PRの「EXPO'70」の小旗が秀逸だ。網走刑務所での刑期は6年3か月という設定なので、服役したのは大阪万博があった1970年の頃だ。
スクリーンの中の夕張はにぎわっていた。子どもが大勢いるし、商店も軒を連ねて活況を呈している。財政危機に見舞われたその後の夕張市とのギャップは大きい。2019年3月末には、石勝線夕張支線(新夕張~夕張間16.1km)が廃線となる。夕張炭田の石炭運送用の夕張線に起源を持つ同線は、127年の歴史に幕を下ろすのだ。
夕張市の人口は1960(昭和35)年には約11万6000人だった。その後、石炭産業が斜陽化して人口は減るが、この映画が撮られた1977(昭和52)年にはまだ約5万人いた。筆者は1975(昭和50)年に同市を訪れ、石炭を運ぶ長大な貨物列車を目撃した経験がある。
夕張支線を保全してほしい 観光鉄道として復活するかも現在夕張市の人口は約8300人。鉄道の利用客も少なくなった現実は、残念ながら受け入れざるを得ない。ここからの復活のカギは「観光」だろうと思う。夕張市内の映画ロケ地を保存した「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」は2017年4月、公開から40年の節目にリニューアルオープン。来場者は前年より約2割増え、同年は約2万4000人だった。

炭鉱で栄えた夕張に根付く「一山一家」の文化を支えた五軒長屋の炭鉱住宅。後方には黄色いハンカチがはためく。
夕張支線も産業遺産として保全してほしい。2017年台湾北部を旅し、かつて石炭でにぎわい、衰退した街を見た。
映画『幸福の黄色いハンカチ』は、その公開年に始まった日本アカデミー賞で、第1回の最優秀作品賞をはじめ、監督、脚本、主演男優、助演男優、助演女優など各賞の最優秀を獲得した、日本映画史上に輝く作品となった。この映画ではまず「花田欽也」(武田鉄矢)が、赤色の乗用車で、東京から釧路までフェリーでやって来る。
あっという間に舞台は網走の駅前に。欽也は、たまたま知り合った「小川朱美」(桃井かおり)、出所したばかりの「勇作」と、阿寒湖温泉、陸別、新得などを経由して夕張へ3泊4日の旅をすることになる。
「陸別駅」跡には運転体験ができる施設3人は阿寒湖温泉で1泊後、内陸に向かい、当時の国鉄池北線「陸別駅」に到着する。池北線はその後第3セクター路線「ふるさと銀河線」になるが、2006(平成18)年に廃止となる。だが、鉄道を愛する人々によって「陸別駅」の駅舎や線路の一部が残された。そこは鉄道車両の「動態保存」を目的とした保存展示施設「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」として2008(平成20)年にオープン。運転体験などができることから、全国から鉄道愛好家がやってくる。

第3セクター時代の「ふるさと銀河線」(画像:久保ヒデキ)。

「陸別駅」は現在、「道の駅オーロラタウン93りくべつ」となっている。

三角屋根の上に時計台がある新得駅の駅舎。
「勇作」は、「陸別駅」で列車に乗ろうとしたが、結局は3人のドライブ旅を続ける。そして、新得駅近くまで来て、「勇作」はまた列車に乗ると言いだすが、「朱美」が熱心に引きとめた。
新得は全国的にそばの名産地として知られている。駅近くにあるそば屋の名店が、駅構内に支店を出している。ここが、私の知る限り北海道で3か所しか残っていない「ホームで食べることができる立ち食いそば」の一つだ。
新得駅は北海道の「重心の駅」なのだという。この場所で北海道を釣り上げると、ちょうどバランスがとれて、北海道が水平に持ち上がるそうだ。
さて、この新得駅から夕張市の新夕張駅へは、現在ならば石勝線が結んでおり、所要時間も1時間少々だ。だが、同線の開業は1981(昭和56)年。映画が撮られた時期は、新得駅から根室本線、函館本線、室蘭本線などを経由してぐるっと回り道をしなければならなかった。
このルートをたどって進むドライブの道中、「勇作」の状況が段々と明らかになってくる。夕張で炭鉱夫として働いていた「勇作」は、「光枝」と幸せな結婚生活を送っていたが、いろいろな巡り合わせから、繁華街でぶつかった相手を死なせてしまう。殺人罪で服役した「勇作」は「光枝」と離婚した。「勇作」は、出所直後の網走で、「光枝」にあてて葉書を出していた。「もし、まだ一人暮らしで俺を待っててくれるなら」という思いがあり、「光枝」に、待っているなら「鯉のぼりの竿に黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ」と書き送っていたのだ。
「勇作」は何度も怖気づきながらも夕張に近づいていく。夕張市の西隣の栗山町の交差点を過ぎた辺りで、やっぱり行かないと言いだす「勇作」。
車は坂道を上り、いったん引き返すが、再び坂道を上って夕張に向かう。物語は大団円へ……。

鹿の谷3丁目食堂の名物カレー蕎麦。
このじれったいシーンが撮影された「坂」が気になった。周辺は田畑が広がる平地で、坂などない場所のはずだった。
この冬、夕張駅を訪れ、駅に隣接するバリー屋台村(ゆうばり屋台村)にある鹿の谷3丁目食堂で、地元名物の「カレー蕎麦(そば)」(700円)を食べた。石油ストーブにあたりながら、「カレーそばつゆ」をからめてすするそばは絶品。あったかくて幸福な気持ちにひたれた。
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・幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば
4月28日から6月までは9時~17時(7月~8月は~17時30分、時期により終了時間は異なる。11月5日から冬季休業)/540円/電話0123・57・7652
・ふるさと銀河線りくべつ鉄道
運転体験の詳細や予約は電話0156・27・2244
・鹿の谷3丁目食堂
11時~17時(水曜は~15時)/木曜休/電話0123・52・3338

『旅行読売臨時増刊 昭和の鉄道旅』。特別企画は「片渕須直監督・のんが語る『この世界の片隅に』ある人・街・景色」、付録は1964年当時の国鉄営業局貨物事務用鉄道路線図。
【写真】黄色い付せんがびっしり! 炭鉱住宅の内部

「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」の五軒長屋の炭鉱住宅内部は、来場者が大切な人にあてたメッセージがしたためられた黄色い付せんがびっしりと貼り付けられている。