毎年、夏季限定で北海道の稚内港とロシア・サハリンのコルサコフ港とを結ぶフェリーが運航されています。日本では数少ない国境越え定期航路。
日本と外国を結ぶ国際航路は数少なく、現在はロシア、韓国、中国とのあいだで数路線が就航しています。そのうちロシアへ行けるのは、韓国のDBSクルーズフェリーが運航する境港(鳥取県)~東海~ウラジオストクの航路、そしてもうひとつが、北海道の稚内とサハリン・コルサコフを結ぶ航路です。稚内~コルサコフ航路は日本側の代理店である北海道サハリン航路(稚内市)と、ロシアのサハリン海洋汽船(SASCO)の共同運行で、例年8~9月の夏季限定で運航されています。
稚内港に停泊する「ペンギン33」(画像:北海道サハリン航路)
じつはこの航路、2018年の運航にあたっては紆余曲折がありました。3月時点では前年までと同様に運航する見込みだったのですが、5月になると、北海道サハリン航路から「今季の運航を取りやめる」との発表が。これまで日ロの両社がそれぞれの国の行政から補助金を受けて運航してきたのですが、今季はロシア側の手続きが大幅に遅れ、その後に行う予定だった稚内市の予算承認が間に合わなくなってしまったためです。
両社で合意もなされたということで、運航は断念かと思われました。しかし6月に状況は一転、運航再開との発表がありました。今季のみの特別措置として、それまでは折半していた経費をロシア側が全額負担するというのです。乗客の多くは休暇中のロシア人観光客ということもあり、航路の存続にはサハリン州の強い意向がありました。
こうした複雑な経緯を辿りましたが、8月8日(水)から前年と同様、定員80名の「ペンギン33」というフェリーで運航を開始。
北海道からサハリンへの航路の歴史は1923(大正12)年、稚内~大泊(現在のコルサコフ)間の「稚泊連絡船」誕生まで遡ります。当時、北緯50度以南の南樺太は日本の領有下にあり、前年に開通した稚内までの鉄道から乗り換え、宗谷海峡を渡るための鉄道連絡船として開設されました。
しかしその後、1945(昭和20)年のソ連侵攻により航路は事実上消滅します。ソ連崩壊後しばらく経ってからの1995(平成7)年にロシア船の「イーゴリ・ファルフトジノフ号」が就航するまで、稚内~コルサコフ間の定期航路は半世紀のあいだ存在しなかったのです。
1997(平成9)年にはその定期航路が中止となり、1999(平成11)年からは日本船の「アインス宗谷」により航路が再開。約16年間続きましたが、これも貨物取扱量や利用客の低迷から2015(平成27)年に撤退してしまいました。

稚内港の大型防波堤「北防波堤ドーム」。戦前に建設され、稚泊連絡船と列車の乗り換え通路としての役割も担った。現在の航路はこの付近ではなく、港の南側にターミナルがある(太田幸宏撮影)。
そういった状況下で、日ロ両国が補助金を出すことで2016(平成28)年からの運航が決まったのが、現体制での航路です。それまでに比べて船も小さく、定員も少なくなりましたが、まずは航路を存続させることが重要という認識はサハリン側も稚内側も共通しています。
しかし、小型の船での宗谷海峡越えはなかなか難しいようです。2017(平成29)年は39往復78便の運航を予定していましたが、実際には悪天候などにより5往復10便が欠航し、就航率は約87%となりました。2018年も、8月8日から8月20日までのあいだですでに2往復4便が欠航になりました。
日本最北の航路であるうえに、夏季限定で、天候により欠航の可能性もある稚内~コルサコフ航路。現在のところ、来季の運航もまだ決定していないなど、乗船のハードルも低くはありませんが、旅好きなら、乗船しておきたい航路のひとつかもしれません。
※記事制作協力:風来堂