戦車100年の歴史はまた、戦車装甲と対戦車兵器のいたちごっこが繰り返された100年間でもありました。その歴史を解説します。
戦車が戦場に登場したのは、今から約100年前の1916(大正5)年。第一次世界大戦の「ソンムの戦い」でのことです。塹壕戦に業を煮やしたイギリス軍が、兵士を乗せて塹壕を超えることができる「陸の戦艦」をつくろうと思ったことがその始まりでした。塹壕のなかから撃ち合いをするのが戦争だった時代、突然現れた鉄の塊に、兵士たちは驚いたことでしょう。しかし、すぐさまそれに対抗する術を考えだしていきます。こうして、「戦車」対「対戦車兵器(砲)」の歴史は始まりました。
増加装甲や赤外線遮断用偽装網、ミサイルや遠隔操作式IED(即席爆弾)に対するジャミングアンテナを付けた「チャレンジャー2」戦車(月刊PAZNZER編集部撮影)。
ぶつけて燃やせ! 火炎瓶と溶接装甲
最初に考え出されたのが、ガラス瓶のなかにガソリンや灯油を入れて投げつける、いわゆる火炎瓶です。これを戦車の扉の隙間や、エンジンなどに投げつけて戦車を燃やすというものでした。もっとも原始的な手段ですが、巨大なエンジンを搭載した戦車はうまく当たれば、ものすごい勢いで炎上しました。同様にカバンにダイナマイトを詰め込んで投げつけるカバン爆弾も使用されました。
当時の戦車は装甲板をリベットやボルトで留めただけのものでしたから、攻撃で緩んだり外れたりすることも多くありました。
第一次世界大戦末期になると、対戦車ライフルが開発されました。「マウザー1918対戦車ライフル」は、口径13mm、重量は15.8kgと個人装備の銃としては大きめですが、射程は500m、厚さ25mmの装甲を撃ち抜くほどの威力がありました。当時の戦車の装甲は12~15mmほどでしたから、装甲を撃ち抜くだけなら十分だったといえます。
しかし、第二次世界大戦に入ると、戦車の装甲はどんどん厚くなっていきました。そして、それに呼応するように対戦車砲も大口径、大型化が進み、大戦後期になるとその口径は80mm以上が当たり前になっていました。

第一次世界大戦時のフランスのサンシャモン戦車に、対戦車ライフルの弾で生じた破孔。当時の装甲板の薄さと、装甲板が二重構造なのがわかる(画像:月刊PANZER編集部)。

イギリス連邦軍(ニュージーランド軍)兵士が鹵獲したドイツの「マウザー1918対戦車ライフル」(画像:帝国戦争博物館)。

退役後、標的として戦車や対戦車砲の的となったイギリスのマチルダI歩兵戦車(月刊PANZER編集部撮影)。
対する戦車のほうはといえば、重量の関係から、無尽蔵に装甲を厚くするわけにもいきません。そこで考え出されたのが鋳造装甲による「避弾経始」という方法です。これは、砲塔を鋳型でお椀のような形に成形し、戦車をつくるものです。お椀のような形の砲塔は、弾が当たっても、横や上にそらす力が働きます。鋳造砲塔であれば大型の対戦車砲でも、その力を殺して、そらすということができるようになりました。
また、大型化が進んでいた対戦車砲が大きくなりすぎたため、個人で使用することが難しくなってきました。そこで生み出されたのが、無反動砲や対戦車ロケットでした。

第二次世界大戦でフィンランド軍が使用したラハティ対戦車ライフル。20mm口径で重量は約50kgあった(画像:月刊PANZER編集部)。

複数の砲弾が撃ち込まれたティーガーI重戦車の砲塔側面(画像:月刊PANZER編集部)。

肩撃ち式の個人携行型無反動砲として世界中で使用されているスウェーデン製の84mm無反動砲「カールグスタフ」(画像:陸上自衛隊)。
無反動砲というのは、反動を抑える機構を取り付けた対戦車砲のことです。
東西冷戦たけなわの時代になると、戦車の装甲にも変化が起こってきました。技術の発展により生まれたのが複合装甲や爆発反応装甲です。
「複合装甲」とは、装甲鋼板の間にチタンやセラミックなどさまざまな素材を挟み込んで強化したもの、「爆発反応装甲」は、敵の弾が当たった瞬間に外側に向けて爆発する装甲を外壁に張り付けることで、敵の砲弾の威力を殺してしまうというものです。また10式戦車などにも採用されている「モジュール装甲」は、内部を空洞にして敵砲弾の威力を殺すほか、破損部分だけを取り換えられる整備効率の良さなども考えられた最新の装甲です。

チェコスロバキアで解体されたT-72の車体前部装甲板。4枚重なった状態で、各々の中の白い部分が複合装甲のセラミック素材(画像:月刊PANZER編集部)。

台湾陸軍のCM-11戦車。奥の車両は増加装甲無しなのに対して、手前の車両は爆発反応装甲を増設している(画像:月刊PANZER編集部)。

RPG-7対戦車ロケットの射撃訓練を受けるアメリカ陸軍兵士。隣で弾頭を持っているのはインストラクター役のブルガリア軍兵士(画像:アメリカ欧州軍)。
こうした装甲の発展により対戦車兵器は歯が立たず廃れていくかと思われました。しかし、そちらも独自の発展を続けていきます。
無反動砲やロケットランチャーに続き、開発されたのが対戦車ミサイルです。ミサイルとは、日本語では「誘導弾」と呼ばれ、目標に向かって自ら飛翔していく兵器の総称です。高い命中精度と安全性を誇る対戦車ミサイルは、そのまま対戦車砲の主役になっていくかと思われました。しかし、そうはなりませんでした。

最新の赤外線画像誘導方式により優れた命中精度を誇る01式軽対戦車誘導弾(画像:陸上自衛隊)。
1991(平成3)年の湾岸戦争ごろまでの大戦車戦は、現在ではほとんど行われることはなく、市街戦を中心としたゲリラ戦が数多く行われるようになっています。こうした場合、遭遇戦が多く、また距離は至近で速射性が求められるようになります。このような戦いでは、敵の位置を正確に入力してからでないと撃つことのできない対戦車ミサイルは不利で、目視で構えてすぐに発射できる対戦車ロケットなどが有利に働きます。また、ミサイルはどうしてもコストが高く、通常の無反動砲や対戦車ロケットのほうが、使いやすいという面もあります。
現在、対戦車兵器として主力になっている無反動砲や対戦車ロケット、対戦車ミサイルという3つの兵器。

「バズーカ」の愛称で有名なアメリカ製のM20対戦車ロケット弾発射器。自衛隊でも最近まで現役だった(画像:月刊PANZER編集部)。