全国47都道府県すべてに陸海空、いずれかの自衛隊の基地や駐屯地があります。地元の人にとっては馴染み深い名称であっても、そうでない人にはなかなか読めないところも多々あります。

難読の陸上自衛隊駐屯地を5つ、見て行きます。

難読漢字を使ったり当て字だったり 奥深き駐屯地名称

 陸海空の各自衛隊で最も人員規模が大きいのは陸上自衛隊です。陸上自衛隊の駐屯地は奈良県以外の全国46都道府県に合計150か所以上あります。それだけあると、馴染みがない限り読み方がわからないような難読駐屯地もいくつか見受けられます。そうした駐屯地を5つ挙げてみました。

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玖珠駐屯地に所在する西部方面戦車隊の前身である第4戦車大隊の10式戦車と96式装輪装甲車(柘植優介撮影)。

玖珠駐屯地(大分県玖珠町)

 玖珠は「くす」と読みます。駐屯地がある玖珠町は玖珠郡に属し、町の中心には1級河川の玖珠川が横切るように流れ、玖珠盆地が広がっています。まさに「玖珠」とはこの地域では様々な場所で見られるポピュラーな名称なのですが、「玖」と「珠」の両方の字とも、多用される字ではないため、馴染みがないと読めないことも多いようです。

 しかし、「くす」の地名自体は歴史が古く、西暦730年代にはすでに「久須」や「球珠」という形で呼ばれていたそうです。

 玖珠駐屯地は陸上自衛隊が発足したのちにできた駐屯地で、1957(昭和32)年9月2日に開設されました。2020年現在は九州で唯一の戦車部隊である西部方面戦車隊などが所在し、10式戦車や96式多目的誘導弾など、九州ではここにしかない装備もあります。

倶知安駐屯地(北海道倶知安町)

 倶知安は「くっちゃん」と読みます。「蝦夷富士」の愛称で知られる羊蹄山の北側に位置する倶知安町にある駐屯地で、羊蹄山のふもとに位置します。「倶知安」という地名の由来は諸説あるそうですが、いずれも北海道の先住民族であるアイヌ民族の言葉に由来します。

 倶知安駐屯地は陸上自衛隊発足直後の1955(昭和30)年9月に開設され、2020年現在は96式多目的誘導弾システムを運用する北部方面隊舟艇対戦車隊をはじめとして、教育部隊や他国の工兵にあたる施設科部隊などが所在します。

 北海道はアイヌ語が由来の地名が多いため、倶知安以外の陸上自衛隊の駐屯地名にもその傾向がうかがえます。

1000年以上の由緒ある名称の場合も

 使われている漢字はそれほど難しくなくても、慣れた読み方ではない場合があります。

「玖珠」ってどう読むの? 「倶知安」「目達原」ほか難読名称の陸上自衛隊駐屯地5選

目達原駐屯地に所在する第3対戦車ヘリコプター隊のAH-64D戦闘ヘリ。後方は西部方面ヘリコプター隊のCH-47JA輸送ヘリ(柘植優介撮影)。

目達原駐屯地(佐賀県吉野ヶ里町)

 目達原は「めたばる」と読みます。九州の地名では「原」を「ばる」と読むことが多く、陸上自衛隊関連に限ってみても、熊本空港の敷地内に設けられている高遊原分屯地は「たかゆうばる」、大分県別府市にある十文字原演習場は「じゅうもんじばる」とそれぞれ読みます。

 地名の由来は、飛鳥時代の豪族である米多(めた)氏が治めていた地、「米多の原」が転化し「目達原」になったといわれています。

 目達原駐屯地は、太平洋戦争中の1943(昭和18)年に開設された、旧日本陸軍の飛行場が前身です。

そのため短いながら滑走路があり、ヘリコプター部隊である第3対戦車ヘリコプター隊や西部方面ヘリコプター隊などが所在します。また九州沖縄地区の陸上自衛隊の補給や整備を一手に担う、九州補給処が置かれています。

祝園分屯地(京都府精華町)

 祝園は「ほうその」と読みます。「祝」の字の読み方で「ほう」というのはあまり用いないため、これも難読地名といえるでしょう。

 精華町は京都府のほぼ南端に位置する町で、町の中心駅が祝園駅(JR片町線)および新祝園駅(近鉄京都線)になります。両駅を含む周辺地域が祝園地区になりますが、陸上自衛隊の祝園分屯地はそこから離れた西側の丘陵地帯に広がります。

 もともと祝園分屯地は旧日本陸軍の弾薬庫として開設された場所で、昭和初期から太平洋戦争終了までは日本最大級の弾薬庫として用いられました。そのため、戦後も10年あまりアメリカ軍が使用し、日本に返還されたのち1960(昭和35)年12月に陸上自衛隊の分屯地として開設されました。

 現在も、近畿地方唯一の陸上自衛隊弾薬支処として用いられています。

名所旧跡が残る駐屯地

 全国でも珍しい、敷地のなかに城跡が残る駐屯地も、難読名称のひとつといえるでしょう。

「玖珠」ってどう読むの? 「倶知安」「目達原」ほか難読名称の陸上自衛隊駐屯地5選

新発田駐屯地の正門。正面奥の警衛所の屋根にシャチホコがある(柘植優介撮影)。

新発田駐屯地(新潟県新発田市)

 新発田は「しばた」と読みます。漢字は難しくないのですが、新潟県の難読地名として時折取り上げられます。

 新発田の名称の由来は諸説ありますが、室町時代の1450年ごろの記録にはすでに「新発田」という地名が出てきます。そしてこの地を治めた豪族として新発田氏が登場し、新発田城の築城などで地名として定着しました。

 新発田城は明治維新後、旧日本陸軍の宿営地(衛戍地)に流用され、太平洋戦争後に陸上自衛隊が発足すると自衛隊の駐屯地に転用されます。そのため、駐屯地の一角に石垣および櫓があるという全国でも珍しい駐屯地で、毎年行われる駐屯地記念行事では城郭をバックに部隊が整列します。

 所在部隊は第30普通科連隊などで、前述したように城の残る駐屯地のため、駐屯地正門やその傍らにある警衛所(警備詰所)などは、白壁にシャチホコを載せた瓦屋根造りの凝った外観です。

 自衛隊の基地名および駐屯地名は、駅名と同じように所在地の歴史を記す指標になっていることがあります。難読名称であることは、むしろ古い歴史を持っていることも多いのです。