JRも私鉄も、都市部では1990年代まで冷房のない電車が走っていました。汗だくになりながら皆、通勤通学したものです。

地下鉄では暑さ対策でトンネルを冷房したことも。今こそ当たり前になった冷房車の歴史を振り返ります。

渋谷ハチ公前にいた青ガエル 現役時代は非冷房車

 2020年8月3日(月)、東京の渋谷駅ハチ公前広場から「青ガエル」こと東急旧5000系電車の5001号車(デハ5001)が搬出され、8月6日(木)に秋田県大館市の観光交流施設「秋田犬の里」に設置されました。旧5000系は丸みを帯びた車体とタレ目に見える先頭車の顔つきで、愛嬌のある姿をしています。渋谷駅では観光案内所や待ち合わせ場所として、鉄道ファンだけではなく、多くの人々に親しまれました。

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日比谷線で使用されていた営団3000系電車は非冷房だった(画像:photolibrary)。

 しかし筆者(杉山淳一:鉄道ライター)にとって現役時代の旧5000系は嫌いな車両でした。なぜなら「暑かったから」。旧5000系は冷房を搭載していませんでした。

 旧5000系が大井町線(当時は田園都市線)の主力車種だった1980年代、筆者は高校通学で乗っていました。梅雨どきや夏休み前、プラットホームで列車を待っていて緑色の電車がやってくると「ハズレた! 銀色の8000系電車や8500系電車なら冷房付きで涼しいのに……」と思ったものです。鉄道ファンとして旧5000系の功績は知っています。

しかし暑がりな利用者としてこの電車は苦手でした。大井町線の利用者の多くが同じ気持ちだったと思います。

 東急電鉄の冷房車は1971(昭和46)年から。8000系の一部に冷房装置が搭載されはじめました。しかし冷房車両の運行本数は少なかったと記憶しています。2本くらい待っても冷房車が来なくて、しかたなく3本目に乗って遅刻ギリギリ、という思い出もあります。

詰襟に汗がたまる… 車内で涼しいのは連結部…

 自由が丘駅(東京都目黒区)で東横線に乗り換えても、冷房車に当たれば幸運という時代でした。しかし渋谷駅で地下鉄銀座線に乗り換えると、こちらは全車が非冷房でした。高校の制服は詰襟だったため、開襟シャツが許される時期の前後は襟に汗がたまるほどの暑さでした。

「灼熱通勤」の思い出 都会でも日常だった冷房のない電車 懐かしいけど戻りたくない…

熊本電鉄5000形として走った東急旧5000系電車「青ガエル」。譲渡先でも非冷房だった(2008年8月、杉山淳一撮影)。

 東急で最後に冷房化された路線は世田谷線です。

緑色の150形電車はずっと非冷房でした。筆者は新入社員時代の半年間、世田谷線の世田谷駅のそばに住んでいました。蒸し暑く、混み合う車内で汗をダラダラ垂らして通勤しました。電車の連結部の窓から吹き込む風が一番強く、その場所を目指して乗り込みました。三軒茶屋駅(東京都世田谷区)で新玉川線(現・田園都市線)に乗り換えるとホッとしたものです。東急電鉄の電車の冷房化100%達成は2001(平成13)年のことです。

 首都圏では1990(平成2)年頃まで非冷房車がたくさん走っていました。国鉄(現・JR東日本)の電車も非冷房車が多かったと記憶しています。ちなみに「通勤地獄」と呼ばれた時代は1960年代後半です。乗車率300%の大混雑は冷房車がない頃でした。夏は灼熱地獄だったと言えそうです。

数字で見る通勤電車の冷房化 山手線での冷房車の見分け方とは

 通勤電車の冷房車は1968(昭和43)年に京王井の頭線で導入されました。

国鉄では1970(昭和45)年に山手線で初登場しました。山手線の冷房化率は1974(昭和49)年に31%、1978(昭和53)年に54%と過半数になり、1982(昭和57)年に76%まで上昇しています。運転室付近の3両か4両が冷房車で、中間車は非冷房という編成もありました。103系電車のうち、運転台窓が高い後期形は冷房付き、そんな見分け方でした。山手線の冷房化率100%は、全編成が205系電車に置き換わった1988(昭和63)年頃と思われます。

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山手線で使用されていた205系電車。非冷房の103系電車を置き換えた(2002年3月、伊藤真悟撮影)。

 一方の地下鉄は開業当初、「地下トンネルは夏に涼しく冬に暖かい」という触れ込みでした。電車はすべて非冷房でした。しかし、その神話は高度経済成長が崩しました。都会の気温が上がり、乗客の増加に合わせて電車を増発し「熱源」が増えたためです。

『Tokyo Metro News Letter』第69号(2017年8月)は東京メトロにおける冷房化の歴史を紹介しています。

1964(昭和39)年に日比谷線が開業した頃から地下鉄内の気温と湿度が上昇傾向と判明し、対策の検討が始まりました。まずは駅の冷房化に着手。1971(昭和46)年に銀座駅と日本橋駅で冷凍機を使った冷房装置が稼働し、33度だった駅構内の温度が24度まで下がったそうです。

トンネル内を冷房した営団地下鉄 今は?

 トンネル内冷房も同時に実施されました。銀座線の稲荷町~上野間で、トンネルにパイプを巡らせて、8度の冷却水を循環させる方式です。その後、採用路線は増えていきました。車両の冷房化が進まなかった主な理由は、消費電力が大きくなるからでした。しかし、省エネルギー車両の開発により冷房装置を稼働させる方針となって以降、トンネル内冷房は終了しているとのことです。

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トンネル内に設けられたパイプに冷却水を循環させ、トンネル全体の冷房を試みた(画像:東京メトロ)。

 営団地下鉄(現・東京メトロ)は、1988(昭和63)年から日比谷線、東西線、千代田線、有楽町線、半蔵門線で冷房車両を導入し、1990(平成2)年から銀座線、丸ノ内線にも冷房車両を導入します。1988年に11%だった冷房化率はその後、順調に上がり、1996(平成8)年、ついに冷房化率100%を達成します。これは営団車両の実績で、相互直通運転先の車両は1988年に30%、1996年に100%になりました。

当初は直通相手がリード、しかしゴールは一緒。まるで同じ目標に向けて力を合わせたような推移です。

熊本で青ガエルに再会 懐かしいけど暑かった

 青ガエルこと東急旧5000系は、熊本電鉄で2016(平成28)年まで営業運行していました。筆者は2008(平成20)年の夏に乗車。懐かしく思いましたが、やはり8月の熊本は暑いものでした。車内には「冷房装置を取り付けたかったけど車体強度が足りなくてできません」という内容の掲示がなされていました。最後まで走った青ガエルの引退は寂しいですが、沿線の人々は冷房車への置き換えでうれしかったのではないかと思います。

 当たり前だった非冷房車。その暑さも懐かしい思い出です。しかし、もう冷房車のない時代には戻れません。蒸し暑い電車は思い出だけで十分です。

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