1945年夏、原爆投下直後の長崎を舞台に、被爆者救護に当たった若き看護学生の少女たちの姿を描いた『長崎―閃光の影で―』が、8月1日から全国公開された。自身も長崎出身の被爆三世である松本准平が監督と共同脚本を務め、長崎出身の福山雅治が主題歌のプロデュースとディレクションを担当した本作で、主人公の田中スミ(菊池日菜子)と関わりを持つ南原令子を演じた南果歩に話を聞いた。
-今回は、どういう経緯で出演が決まったのでしょうか。
『TOMORROW 明日』(88)のプロデューサーの方から、「果歩ちゃん、また長崎の映画を撮るんだよ。ぜひまた出てほしい」というお話を頂いたので、参加したいと。時を経て、また長崎を舞台にした映画に出演できたご縁をとても感じています。
-その『TOMORROW 明日』は、長崎に原爆が投下される24時間前の家族の話で、その日に結婚式を挙げる看護師さんの役でしたね。
井上光晴さんの原作を基に映画化した黒木和雄監督の『TOMORROW 明日』は、私の中でも忘れられない作品ですが、実はピンチヒッターとして参加したんです。長崎でのオールロケだったのでずっと長崎に滞在していました。そしてクランクインの前に、実際に戦時下で看護師をなさっていた女性からお話を伺う機会がありました。とてもにこやかな方でしたが、結婚もされずにお仕事を続けてこられたそうです。その当時の苦労話などをいろいろとお聞きして、そろそろおいとまをと思った瞬間に、その方が「ちょっと待ってください。お見せしたいものがあります」と言って、若い男性が写った1枚の写真を持っていらっしゃいました。それで「私はこの人と結婚するはずだったのですが戦争で亡くなりました」とお聞きした時に、戦争が自分の人生に近づいたように感じられました。
-『TOMORROW 明日』とこの映画に出演したことで、長崎に対する思いには強いものがありますか。
もちろんです。『TOMORROW 明日』に出てからは、8月6日と9日が来ると特別な気持ちになります。どこにいても、また広島と長崎の夏が巡ってきたなという気持ちになります。
-30年以上たってから、改めてこういう映画に出演することについて、長崎との縁を感じたりもしますか。
長崎の原爆投下の前後の話の映画に関わるというのは、とても大きな意味があると思います。特にこの映画は、とても真摯(しんし)に、そこに生きた人々を描いた映画だと思います。今年は終戦から80年という区切りの年ですが、若い人たちにとっては昭和の物語は時代劇のように感じる方もいると思います。私はもちろん昭和世代なのでそういう感覚はありませんが、やはり時間の経過とともに、被爆者の方も高齢化して、語り部の方が少なくなってきているという現実もあると思いますし、それが風化を進めている原因なのかなと思います。
-今回は、出演場面は短かったですが、主人公のスミを見守ってアドバイスをする役でした。実際に演じてみてどんな印象でしたか。
希望の象徴として、新しい命が目の前にいたので、そこに希望をつなげていこうということだと思いました。昨今は、いろんな紛争のニュースを目にする時間が多くなり、その中で一番胸を痛めるのは子どもたちの傷ついた姿なので、この作品の中でも希望の光として新しい命が描かれていて、私はそこに関わる役でした。菊池(日菜子)さんのとても真っすぐな瞳で役に一生懸命向かっていく姿が、戦時下を生きるスミさんとオーバーラップするところがありました。
-ご自分の若い頃を思い出したりもしましたか。
菊池さんは、バランス感覚がよくて、いろいろと理解している方だと思いました。それに比べて20代の頃の私は、すごく視野が狭かったので、周りに迷惑をかけながら生きていたと思います(笑)。
-松本准平監督の演出は、どんな印象でしたか。
まなざしの優しい監督で、監督の意向としてはあまりカットを割らずに撮りたいと。そこに、それぞれの役の持つ心の動きを撮りたいという監督の意図を感じました。
-完成作をご覧になった感想を。
『TOMORROW 明日』は原爆投下前までを描いていましたが、今回の映画は原爆が落ちた後の話が中心でした。もちろん戦争で命を亡くされた方の痛みが一番大きいんですけど、この映画は、残された者たちの心の傷がどれだけ深いものかということを描いていると思います。私の役は、主人公がいろんな生死の場に立ち会った後に、一つの命を手繰り寄せるように再会する場に立ち会うのですが、やっぱり人には自分の許容範囲というものがあって、できることとできないことがある。でも、たとえできないことがあったとしても、そこに気持ちを寄せることが人間らしい行動なのだと、主人公の心の動きを見ながら感じました。
-この映画を見る人や読者に向けてメッセージをお願いします。
昔、戦争があったということは頭では分かっていることだと思いますが、その時代に精いっぱい生きた、青春時代を過ごした若者たち、そして心に傷を負いながらも一生懸命未来に向かって生きていこうとした人たちが、実際にここ日本で生きていたということを感じていただければ、この映画の意味はすごく大きいものになると思います。
(取材・文・写真/田中雄二)