12月3日、中日を退団して自由契約になっていた松坂大輔が、14年ぶりに西武に復帰することが決まった。今年はケガの影響もあり、2試合に先発して未勝利。
同級生である”松坂世代”の中には、今シーズン途中から阪神のクローザーを務めた藤川球児など現役で奮闘する選手もいるが、一方で引退を発表した選手も多い。ベイスターズ、巨人などで世代を代表するスラッガーとして活躍し、来季から巨人の二軍野手総合コーチを務める村田修一氏に、プロ野球を共に盛り上げた男たちについて聞いた。
2009年のWBCをチームメイトとして戦った村田(左)と松坂(右)
──まずは、今シーズン限りで引退を発表した選手について伺います。ヤクルトで85勝(68敗)を挙げた館山昌平投手は、日本大学時代のチームメイトでもありましたが、引退に関しては事前に連絡があったんですか?
「館山本人から電話があって知りました。驚きはしませんでしたよ。
あれだけ肘にメスを入れて”球界の手術王”とも言われましたが、その度に不死鳥のように蘇って150キロ前後の球を投げていた。大学時代から変わらずハートが強い投手でしたね。同じ釜の飯を食った館山が頑張ってくれたから、僕も頑張ることができたと思っています」
──投手としてはもうひとり、広島で79ホールド・165セーブを記録した永川勝浩投手もユニフォームを脱ぐことになりました。
「永川とは東都大学野球時代から戦ってきました。当時の亜細亜大学は、永川と木佐貫(洋/来季は巨人の二軍投手コーチ)の”2枚看板エース”のチームでしたね。プロ入り後も含め、僕の打率を下げてくれたピッチャーのひとりです(笑)。広島のクローザー、中継ぎとして活躍しましたが、決め球のフォークボールはカーブのような曲がりで落ちるんですよ。今で言うと、ソフトバンクの千賀(滉大)の”お化けフォーク”に近いでしょうか。縦の変化が大きくて、現役時代には本当に苦労しましたね」
──また、巨人時代に共にプレーした日本ハムの實松一成捕手は、二軍バッテリーコーチとして巨人に戻ってきましたが。
「サネは佐賀学園高校時代、九州地区では誰もが知っている選手でした。僕は東福岡高校で投手をしていて、練習試合も何回かやりましたけど、『何が實松じゃ』と意気込んで投げて二塁打を2本打たれたのが最初の記憶です(笑)。彼は高校卒業後にプロに入って2006年から巨人でプレーし、僕が2012年にFAで移籍してチームメイトになった時には、チームの規律などを教えてくれ、ほかの選手たちとの”懸け橋”的な役割も果たしてくれました。おかげでチームになじむことができましたし、巨人時代は本当に彼に支えられました。
もうひとつ、忘れられないエピソードがあります。サネと食事する際は、先輩や後輩の選手と一緒に和気あいあいの雰囲気で行くのが定番だったんですが、僕が巨人を退団する2017年の交流戦前に、『ふたりで(食事に)行こう』と誘われたんです。
──その時はどんな話をしたんですか?
「その年の前半戦、僕はスタメンでの出場が減って代打での起用が多くなっていて、『前年も結果を残したはずなのに……』という悔しさが表情や態度に表われていたんでしょう。気持ちも切れかけていたんですが、それを感じたサネは、『気持ちはわかるけど腐ったら終わり。シュウ(村田コーチの愛称)にはみんな期待しているし、チームに影響を与えられる選手。交流戦はDHがあってチャンスもあるから頑張ろうよ』と言ってくれたんです。
その言葉を受けて気持ちを入れ直し、交流戦から出番が増えて最終的には打率.262、14本塁打の成績でした。規定打席には達せず、そのシーズンで退団することにはなりましたが、それなりの結果を残すことができたと思います。
──続いては選手ではなく監督になるのですが、”松坂世代”で初めてプロ野球の指揮官となった平石洋介・前楽天監督(現ソフトバンク一軍打撃兼野手総合コーチ)については?
「PL学園高校と同志社大学でも主将を務めていたこともあって、リーダーシップに優れ、すばらしい野球観がある人物だと思っています。指導者になったのは僕のほうが遅いので、平石は目標であり、『いつか自分も監督に……』という希望を持たせてくれますね。
ベイスターズでチームメイトだった藤田(一也/楽天)からは、『コミュニケーションをとても大切にする』と聞いています。期待する選手を積極的に起用する印象があって、巨人からトレードで移籍した和田恋もすぐに一軍で起用してくれ、初ホームランを打った時は僕もうれしかったですよ。今後もさまざまな選手を育てていってくれることを楽しみにしています」
── 一方で現役の選手としては、阪神の藤川球児投手が今シーズンは56試合に登板。
「今でも第一線で活躍できているのは、ストレートの球威が戻ったからでしょうね。だいぶ昔に、ストレートは人差し指と中指をほとんど開けないで投げると、本人から聞きました。普通ではやらないことですが、それほどボールのスピン量へのこだわりがあるんだと思います。
そういったこだわりが”火の玉ストレート”復活につながり、変化球も効果的に使うことができるようになった。藤川は通算250セーブまであと少し(241セーブ)なので、早く達成して松坂世代から初の名球会入りを果たしてもらいたいです」
──ソフトバンクの和田毅投手は、今年の日本シリーズ第4戦で日本一を決める勝利を挙げるなど勝負強さを発揮しましたが、ここ数年のレギュラーシーズンは少し不本意な成績になっていますね。
「毅は、ケガが多い中でよく投げていると思います。僕が現役時代に、杉内(俊哉/現巨人二軍投手コーチ)と新垣(渚)の”同級生トリオ”がホークスに揃っていた時は、『どうやって打てばいいのか』と頭を悩ませました。でも、毅との対戦成績が一番よかったかな(笑)。今では、現役で頑張っているのは毅だけになったので、ひとつでも多く勝ち星を積み上げてほしいです」
──ちなみに、同じチームの指導者になった杉内コーチとはどんなやりとりをするんですか?
「杉内とは、投打とも『選手にガツガツ感がない』と話をします。一軍での経験数が少ないことも影響しているのか、二軍での結果で満足してしまう傾向があるのかなと思います。『もっと活躍して、一軍でプレーしたい』という意欲は、僕たちのほうがあったように感じるんです。突然一軍に呼ばれ、東京ドームの観衆5万人の前でプレーできる可能性は常にある。『その準備が本当にできているのか?』ということをより意識させるよう、来シーズンに向けて杉内やほかのコーチたちと試行錯誤していきたいと思っています」
──先日、世代の象徴である松坂大輔投手の、西武への入団が決まりました。村田さんからエールを送ってもらえますか?
「状態さえよければ、これまでの経験とスキルで勝てる投球ができるでしょうから、何よりケガをしっかり治すことが第一ですね。やはり大輔がこの世代のトップですし、彼がいたからこそ、僕を含めたほかの選手も奮起してプロの一軍で活躍できたんだと思っています。胸を張って、『俺が松坂だ!』という気持ちでマウンドに上がり続けてほしいです」
──少し先の話になりますが、松坂投手が現役を終えて指導者になった場合、適性があると思いますか?
「それはわかりません(笑)。僕もそうですが、やってみないとわからない部分が多いんです。思っていることが選手に伝わらないと指導者としては失格ですし、その勉強もしないといけない。そもそも、大輔が指導に興味があるのかもわかりませんからね。もしかしたら『野球から少し離れたい』と思うかもしれないですし。とにかく現役のうちは、ひとつのアウト、ひとつの勝利にこだわって限界まで投げ切ってほしい。『もう投げられません』となったあとに、大輔がどんな判断をするのかは僕も注目しています」
──最後に、村田コーチにとって”松坂世代”とは?
「周囲がどう言うかはわかりませんが、僕たちの世代で一時代を築き、プロ野球を引っ張ることができたと自負しています。みんなが集まれば『俺たち、頑張ったよな』と自信を持って言えると思います。僕らの世代でチームを結成したら、今でもけっこう強いんじゃないかな(笑)」
■村田修一(むらた・しゅういち)
1980年12月28日、福岡県生まれ。2002年ドラフト自由獲得枠で横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。2007、2008年と2年連続で本塁打王に輝き、ゴールデングラブ賞を3度受賞するなど、横浜ベイスターズ、読売ジャイアンツで15年にわたり活躍。2018年はBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーし、そのシーズンをもって現役を引退。今季は巨人のファーム打撃兼内野守備コーチとして指導者の道をスタートし、来季からは二軍野手総合コーチを務める。