「イバらの道の野球論」 スペシャルver.
井端弘和が読者の質問に答える!前編

 現役時代、球史に残る名ショートとして中日や巨人で活躍し、引退後も解説者、コーチとして活動する井端弘和氏。そんな井端氏に対する質問をスポルティーバのツイッターで募り、それに一問一答形式で答えてもらった。



 前編は選手時代を中心に、守備に関する裏話、試合に臨むまでの準備、「星野・落合」という名将の違いについて語った。

井端弘和が語る名将・星野仙一と落合博満の違い、立浪和義との二...の画像はこちら >>

2004年シーズン最終戦のウイニングボールを落合博満監督(右)に渡す井端(左)

──井端さんは立浪和義さんとも二遊間を組んでいたことがありますが、荒木雅博さんと組んでいた時の違いはありましたか?(「テツ」さん・東京)

「一軍の試合に出始めた2000年から、僕がショート、立浪さんがセカンドで二遊間を組むことが増えていったんですけど、当初は"おんぶにだっこ"状態でした。でも翌年には、連係プレーなどについて『お前に任せるわ』と言ってもらえたんです。

 そうやって責任を持たせてもらったことが後に生きました。2001年シーズンの途中から立浪さんがサードに回り、荒木(雅博)がセカンドで起用されるようになるんですが、荒木に対して自分からスムーズにコミュニケーションを取ることができました」

──打つほうには波があると言いますが、守備はどうでしょうか?(「Connie」さん・神奈川県)

「スランプとは違うかもしれませんが、僕は月に1、2回ほど、試合前にノックを受けている時に『合わないな』と感じることがありました。原因はわからないので、若い時はイライラすることが多かったですね。
これはレギュラーになってからですけど、キャンプなどで『バウンドが合わない』と感じた時はノックを4、5球でやめることもありましたよ。

 試合前の練習では合わないままだとダメなので、いろんなことを試しました。いつもより一歩下がって動き出しを速くしてみるとか、逆にスタートをあえて遅くしてみるとか。そういう積み重ねでいくつか対応策を用意することができました」

──著書などで「野球は股関節が大事」とおっしゃっていますが、井端さんが現役時代(あるいは現在も)股関節の柔軟性を維持するために行なっていた練習、ケアを教えてほしいです。(「野球好きの鉄則」さん・奈良県)

「現役時代は、毎日欠かさずにケアしていました。股関節だけでなく、肩周りなどの柔軟も。

ホームゲームでは球場にある器具を使っていましたが、ビジターではホテルの部屋で済ませてから球場に入っていました。

 特に内野手は、股関節が滑らかに動かないと膝や腰に負担がかかり、肉離れなどケガの原因にもなる。僕はうまく股関節が使えていたので、ケガが少なかったんじゃないかと思います」

──井端さんが一番痺れた、緊張した試合は?(匿名)

「やっぱり1年目(1998年)で初めて一軍の試合に出た時です。初打席の相手投手は阪神の(ダレル・)メイで、バッターボックスでは足が震えていました。あとは、初の開幕スタメンの試合も緊張しましたし、痺れましたね」

──現役時代、試合中に意識していたことはなんですか?(「シリウスくん」さん・神奈川県)

「相手チームのキャッチャーの配球は常に意識していました。先発投手の打順2廻り目以降、中継ぎ投手の配球もそうですし、バッターごとに配球に変化があるのかも見ていましたね」

──現役時代の登場曲はどうやって決めていましたか?(「アライバーちゃん」さん・静岡県)

「僕自身の意見や希望はありませんでした。
一緒に食事をすることが多かった、野本(圭)と新井(良太)、藤井(淳志)などに任せて、勝手に決めてもらっていました(笑)」

──現役時代に大変だったこと、うれしかったことはなんですか?(「ふみ」さん・愛知県)

「やっぱり負けるごとに気持ちは沈んでいましたよ。リーグ優勝、日本一になることが目標だったので、そこに届かなかった時は自分の成績がよくても、どこか煮え切らないところがありました。逆に優勝できた時は、打率が3割に届かなくても『頑張ったかな』と思えましたね」

──現役時代、実は苦手だった、あまり対戦したくなかった投手と理由を教えてください。(匿名)

「自分のYouTubeチャンネルなどいろんなところで言っていますが、広島の野村(祐輔)です。消えて見えるようなボールではなかったんですけど、まったく合いませんでした。振っても振っても、バットの先っぽにしか当たらない。

打てない投手に対してはいろいろな対策をするんですけど......現役を終えてから、根本的にバッティングを変えないと彼のボールは打てなかっただろうな、という結論に至りました」

──対戦した中で、牽制がうまくて盗塁は厳しいと思った投手はいますか?(匿名)

「牽制なら、阪神の西(勇輝)ですね。むしろ西しかいないかもしれない。ターンの速さが圧巻でした」

──井端さんは入団したての高橋周平選手を可愛がっていて、オフのトレーニングも一緒に行なっていましたが、どんなきっかけがあったのか知りたいです。(「神奈川県民」さん)

「一緒にトレーニングをするようになったのは、周平が入団1年目か2年目のオフでしたかね。まだまだ『これから』という選手でした。でも、練習中にはアドバイスすることもありましたけど、それ以外で口うるさく言うことはありませんでした。
あくまでオフですし、年齢差もあったので気を遣った部分もあります。

 周平は長打力が魅力ですが、現在はアベレージヒッターになり、初めて打率3割でシーズンを終えられるかもしれない。年齢も20代後半になりますし、今のスタイルのままいくんでしょうね。それならば、もっと突き抜けてほしいという期待もあります。ゆくゆくは3割3分、3割5分を打てるバッターになってほしいです」

──井端さんは中日時代、星野仙一監督と落合博満監督のもとでリーグ優勝を経験していますが(落合監督時代の2007年はリーグ2位から日本一)、両監督の違いなどを教えてください。(「危険な遊具」さん・神奈川)

「星野さんは『動』、落合さんは『静』という印象です。


 星野さんは、二軍から上がってきた選手をいきなりスタメンで使う傾向がありました。僕も1999年にチームがリーグ優勝をした時はずっと二軍だったんですけど、次の年は開幕一軍でたくさんチャンスがもらえた。優勝した次の年はあまりメンバーを変えずに戦いたい監督さんが多いと思うんですけどね。若手だった僕にとっては、思い切りのある星野さんが監督で助かった部分があると思います。

 落合さんも、新人の大島(洋平)を一番・センターで開幕から使ったりしていましたけどね。星野さんに比べると、メンバーを固定してその力を高めていくタイプだったと思います。シーズンの戦い方も一回決めたらほぼ変えない。星野さんとは別の強さがチームに生まれていましたね」

(後編につづく)