元社長・恩田聖敬が思う「FC岐阜ではなくなった日」。留めてほしかった株式49.9%の意味
拡大する(全1枚)

FC岐阜元社長 恩田聖敬 特別寄稿 2022

 先日、株式会社岐阜フットボールクラブ(FC岐阜運営会社)の「社友」を拝命しました。恥ずかしながら私は社友という言葉を聞いたことがなかったので辞書で調べました。「社友ーー社員以外で、その会社に関係があり、社員待遇を受けている人」とありました。大手企業では退職された方々の社友会というものもあるらしいです。また社友の任期は生涯だそうです。なお今回、私以外の歴代社長も社友に任じられました。私はそのことが何より嬉しかったです。FC岐阜が設立から今に至る歴史を全て尊重すると改めて宣言したのです。

元社長・恩田聖敬が思う「FC岐阜ではなくなった日」。留めてほ...の画像はこちら >>

社長を退任された当時の恩田聖敬氏(写真:本人提供)

 FC岐阜には「岐阜県のお荷物」と言われた時代がありました。FC岐阜は2005年から猛烈なスピードで地域リーグ二部、一部、JFLと全て1年で駆け上がり、2008年にJリーグ加盟(現在のJ2)を成し遂げました。しかし身の丈に合わないスピードゆえに、会社は財政危機に陥りJリーグからも経営改善を求められるほどの状況になります。

 当時の今西和男社長のやり方には強引すぎると批判も多かったと聞いています。その後、薫田大二郎社長の時に現在の筆頭株主である岐阜県出身の藤澤信義氏との出会いがあり、金銭的支援に加え人的支援として当時藤澤氏が代表を務める会社に勤めていた岐阜県出身の私に社長の白羽の矢が立ったわけです。

 ラモス瑠偉監督や川口能活選手を迎え、FC岐阜は一躍岐阜県中にブームを巻き起こし2015年シーズンに営業利益ベースで黒字化を果たしました。けれども歴史を見れば、結果として私が社長の時に経営的成果が出ただけであって、「地域に根ざした子供たちに夢を与えるスポーツチームを岐阜県に作る!」というFC岐阜の魂は、今西さんを筆頭に歴代社長の手によって作り上げられたことは社長在任中にひしひしと感じていました。