FC岐阜元社長 恩田聖敬 特別寄稿 2022

 先日、株式会社岐阜フットボールクラブ(FC岐阜運営会社)の「社友」を拝命しました。恥ずかしながら私は社友という言葉を聞いたことがなかったので辞書で調べました。

「社友ーー社員以外で、その会社に関係があり、社員待遇を受けている人」とありました。大手企業では退職された方々の社友会というものもあるらしいです。また社友の任期は生涯だそうです。なお今回、私以外の歴代社長も社友に任じられました。私はそのことが何より嬉しかったです。FC岐阜が設立から今に至る歴史を全て尊重すると改めて宣言したのです。


元社長・恩田聖敬が思う「FC岐阜ではなくなった日」。留めてほ...の画像はこちら >>

社長を退任された当時の恩田聖敬氏(写真:本人提供)

 FC岐阜には「岐阜県のお荷物」と言われた時代がありました。FC岐阜は2005年から猛烈なスピードで地域リーグ二部、一部、JFLと全て1年で駆け上がり、2008年にJリーグ加盟(現在のJ2)を成し遂げました。しかし身の丈に合わないスピードゆえに、会社は財政危機に陥りJリーグからも経営改善を求められるほどの状況になります。

 当時の今西和男社長のやり方には強引すぎると批判も多かったと聞いています。その後、薫田大二郎社長の時に現在の筆頭株主である岐阜県出身の藤澤信義氏との出会いがあり、金銭的支援に加え人的支援として当時藤澤氏が代表を務める会社に勤めていた岐阜県出身の私に社長の白羽の矢が立ったわけです。

 ラモス瑠偉監督や川口能活選手を迎え、FC岐阜は一躍岐阜県中にブームを巻き起こし2015年シーズンに営業利益ベースで黒字化を果たしました。

けれども歴史を見れば、結果として私が社長の時に経営的成果が出ただけであって、「地域に根ざした子供たちに夢を与えるスポーツチームを岐阜県に作る!」というFC岐阜の魂は、今西さんを筆頭に歴代社長の手によって作り上げられたことは社長在任中にひしひしと感じていました。

 今もJリーグ参入を目指す地方クラブが数多くあります。FC岐阜は10年以上前のまだJ3リーグもない頃にそれを達成しました。この結果は快挙だと私は思います。ゆえに私は私の前の歴代社長に最大限の敬意を払っております。人は歴史からこそ学ぶことがあります。

古くからFC岐阜を支えてくださったサポーターや持株会の皆様にとって社友のニュースは皆様の長年の活動を表彰するに等しいと思います。本当におめでとうございます! ありがとうございます。

 しかし現在FC岐阜は、過去の過ちを繰り返しています。藤澤氏が再び財政支援せざるを得ない状況になりました。新たに第三者割当増資を藤澤氏が受けると昨年12月に発表されました。これにより藤澤氏の持株比率は現在の49.9%から64.2%と過半数を大きく超えることになります。

これについて藤澤氏には全く非はありません。むしろ感謝しかありません。

 けれども、FC岐阜が岐阜県のチームなら藤澤氏に頼る以外の選択肢はなかったのかを残念に思います。かつての経営危機と同様に岐阜県の政財界は今回もFC岐阜を本質的に救えませんでした。もちろんコロナ禍でスポンサーを継続いただいた企業様は多数ありますが、結論として岐阜県はFC岐阜を守ることに対して白旗を上げたことになります。

 藤澤氏は2014年にも増資をしています。

当時の社長は私です。藤澤氏と私は敢えて持株比率49.9%にこだわりました。これには藤澤氏の「FC岐阜は私のものじゃなく岐阜県のチームです」というメッセージが込められています。ビジネスの世界では会社を支配したいならば当然過半数の株を取ります。ビジネスの達人の藤澤氏が49.9%に留めた意味をFC岐阜関係者は真剣に考えなければいけなかったのです。

「ここまで助けたからあとは岐阜県で何とかしてください」、少なくとも私はその意味を肝に命じて社長を務めていました。

将来的には岐阜県内企業からの増資や岐阜県内銀行からの借入枠の確保も視野に入れていました。しかしALS(筋萎縮性側索硬化症)が全ての目論みを奪い去り、私は社長を退任しました。その後の動きは私にはわかりかねます。

 今回の増資で少なくとも私はFC岐阜が岐阜県のチームではなく藤澤氏のチームになったと思っています。49.9%の増資から8年、チームのためとは言え、果たしてこれが藤澤氏の本意だったかはわかりません。Jリーグのチームに特定の親会社がいるのは珍しくはありません。しかし私にとって今回の増資は藤澤氏の「あくまで支配しない、FC岐阜を岐阜県に託したい」という思いを岐阜県とFC岐阜が受け取れなかったと理解しています。増資の決議をする4月27日の株主総会に藤澤氏以外の大口株主である岐阜県、岐阜市の出席はなかったそうです。とても寂しく思います。

 これからFC岐阜がどこへ行こうと岐阜県ではなく藤澤氏次第です。チームが強くなればそれでいいと思われる方が関係者の大半かも知れません。だけど私は「地域に根ざしたチームを岐阜県に作る」という歴代社長の執念のバトンを受けた身です。藤澤氏におんぶに抱っこ、果たしてこれで良かったのか? 社友を拝命した今だからこそ考えてしまいます。

FC岐阜社友 恩田聖敬

【Profile】
恩田聖敬(おんだ・さとし)
1978年生まれ。岐阜県出身。京都大学大学院航空宇宙工学専攻修了。新卒入社した上場企業で、現場叩き上げで5年で取締役に就任。その経験を経て、Jリーグ・FC岐阜の社長に史上最年少の35歳で就任。現場主義を掲げ、チーム再建に尽力。就任と同時期にALS(筋萎縮性側策硬化症)を発症。2015年末、病状の進行により職務遂行困難となり、やむなく社長を辞任。翌年、『ALSでも自分らしく生きる』をモットーに、ブログを開設して、クラウドファンディングで創業資金を募り、(株)まんまる笑店を設立。講演、研修、執筆等を全国で行なう。著書に『2人の障がい者社長が語る絶望への処方箋』。2018年8月に、気管切開をして人工呼吸器ユーザーとなる。私生活では2児の父。




※ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだん痩せて、力がなくなっていく病気。 最終的には自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器をつけないと死に至る。 筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、運動をつかさどる神経が障害を受け、脳からの命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり筋肉が痩せていく。その一方で、体の感覚や知能、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通。発症は10万人に1人か2人と言われており、現代の医学でも原因は究明できず、効果的な治療法は確立されていない。日本には現在約10000人の患者がいると言われている。