日本で初となる野球のウィンターリーグが、今年から沖縄で開催されることになった。その名も『ジャパンウィンターリーグ』。

 プロ、アマを含めてシーズンオフの12月以降での本格的な開催は日本初のことで、社会人チームに所属する若手選手はオフシーズンにレベルアップを図り、プロを目指す選手には窓口を統一したトライアウトの場に位置づけられる。

 初年度の参加プレーヤーはアマチュアのみとし、メジャー、NPBのスカウトも賛同する見通しで、21試合分の選手の評価を定量化(スタッツ、トラッキングシステムでの数値データ、動画解析)することによりリモートでスカウティングができるシステムを導入するなど、新時代のトライアウトを形成していく。

元巨人・大野倫が描く日本初のウインターリーグの未来図。「ゆく...の画像はこちら >>

ジャパンウィンターリーグのGMに就任した大野倫氏

日本初のウインターリーグ

 一般的にウィンターリーグといえば、11月からのオフシーズンにプエルトルコやドミニカといった中南米やオーストラリア、台湾などの温暖な地域で行なわれる海外のリーグを指し、過去NPB球団も若手を中心に派遣してきた経緯がある。

 それとは別に、誰でも参加できるアメリカ国内で行なわれるトライアウトリーグもある。平成以降の野球漫画の金字塔『メジャー』(小学館)の主人公である茂野吾郎が単身アメリカに渡って参加したのが、それだ。今回、日本初の試みを実地するのは後者である。

 運営する株式会社ジャパンリーグの鷲崎一誠代表は、「プロでもアマチュアでもない第3のコミュニティーをつくることで、陽の目を浴びていない選手に光を当てて輝ける場、そして現役野球人生が完全燃焼できる場になるようにウィンターリーグを沖縄で開催します」と力強く語った。

 GMには、90、91年2年連続甲子園準優勝の沖縄水産の立役者であり、九州共立大から巨人へ入った沖縄のレジェンド・大野倫が就任。

「いろんなことがあって泣く泣く野球を断念してしまった選手は日本中にごまんとおります。その時は不慮の出来事により野球を辞めることで解決したかもしれないが、のちに『続けていたら......』と後悔が募るものです。日本の場合、15、18、22の年齢で選択肢が求められ、そこで人生が決まってしまう場合があります。高校3年間、大学4年間で選択した道から外れてしまったら、それでおしまいだったのが、独立リーグという受け皿ができた。

 でも運営状況がギリギリの独立リーグも選手の半分以上はコネクションでの採用がほとんど。

じゃあ、コネクションも何もない選手は、心にモヤモヤを抱きながら行き場を失う。そういう選手たちにきちんと実戦の場を提供してあげることこそ、ウィンターリーグの大きな役目であると思っております」

 90年近くの歴史を持つNPBを頂点としての野球は、国技以上のメジャースポーツと言えるのに、なぜ今までウィンターリーグがなかったのか。

 じつはこれまでに沖縄でのウインターリーグ構想は何度もあったが、すべて暗礁に乗りあげた。そこには沖縄という独特の地域性も関係している。

 いくら資金面が足りていても、地域の協力がなければ実現できない。ましてや沖縄は横のつながりが47都道府県のなかでも一番強い。

自治体の協力はもちろん、沖縄経済界だけでなく野球界の重鎮たちにも三顧の礼を持って挨拶することが重要なのだ。

 資金や球場確保よりも前に仁義をきちんと通せられるかどうか。鷲崎代表は沖縄にコネクションがまったくないなかで、浦添商業から亜細亜大学、沖縄社会人チーム・エネジックで投手として活躍し、のちに副代表を務めることになる知花真斗にたどり着き、思いの丈を述べた。

「私と会う前に鷲崎代表はコネも何もないなか、たったひとりで自治体へのアプローチをやっており、これはホンモノだと感じました」(知花副代表)

 そして、沖縄の英雄である大野をGMに立てることで、ウィンターリーグ沖縄開催の成功に向けて沖縄県内バックアップ体制を磐石としたのだ。

野球チームも募集!?

 大野は沖縄の野球熱をうまく具現化する施策をずっと温めていた末、満を持してジャパンウインターリーグGMに就任したのだ。それもこれもお世話になった野球界に恩返しするためである。

「鷲崎代表が何度も現地の自治体や関係者のもとに足繁く通ってくれたおかげで、4球場を開催場所として契約。

いずれもNPB球団がキャンプで使用している球場で、試合運営のノウハウがあり、芝の養生などの問題も十分にクリア。沖縄には、バスケットボールの琉球キングスをはじめとするプロスポーツ球団の成功例があります。ほかにもサッカーのFC琉球、ハンドボールの琉球コラソン、プロ卓球リーグの琉球アスティーダ......一番人気のスポーツの野球だけが立ち遅れていました。

 アマチュアを主眼としてトライアウトでプレー環境を用意するだけでなく、メディカルからメンタルな部分までアプローチし、参加する社会人野球の選手たちがレベルアップを図ることも望んでおります。ゆくゆくは、審判、トレーナー、データーアナリストなど野球に関わる者すべてがレベルアップするような人材育成の場を構築していかなくてはならないと思っています」

 初年度は11月24日から約1カ月にわたって、所属の異なる選手、無所属で活動している選手などの混成6チームで行なう22試合による総当たりのリーグ戦。アマチュア選手120人をHP等で募集。

進路が決まっていない高校3年生や大学4年生はもちろん、社会人はオフの実戦の場を欲しているチームのニーズにマッチし、数チームから選手派遣についての問い合わせがすでにきているという。また大野は、全国強豪の草野球チームにも募集をかけていきたいと考えている。

「沖縄は草野球も盛んで、平気で145キロを投げるピッチャーがおります。全国大会に出る地方の大学のエースが卒業して草野球に情熱を傾けるんです。現役時代と同じエネルギーでジムに通って身体を鍛え、草野球をやる。燻っている気持ちを昇華させてあげたい気持ちがあります。

 僕は、巨人からダイエーへとトレードされて戦力外通告となった時に、当時2回あったトライアウトを両方とも受けました。完全にいらないと言われるまでチャンスの芽を自分で潰していったんです。『あの時こうしていれば......』という後悔の念だけはなくしたくなかった。ウィンターリーグは、そう言った区切りの場でもあるんです」

完全燃焼できる場にしたい

 鷲崎代表も同じ思いだ。

「佐賀西高では甲子園出場はなく、慶大に進むも公式戦では一度も出場機会がないまま学生生活を終えました。高校・大学の7年間は一番練習した時期でした。そういったモヤモヤを抱えながらカリフォルニアのウインターリーグに参加し、本職の二塁手として出場機会をつかみ逆方向の右中間へ本塁打を打つなど活躍することができました。独立リーグからオファーはなかったんですが、達成感を得られたと同時にしっかりと整理をつけることができました。この経験が、今回のウインターリーグ構想実現への大きな原動力になりました」

 知花副代表も訥々と語る。

「浦添商業から亜細亜大学に行き、卒業する頃にはヒジがボロボロだったけど、地元の社会人チーム・エナジックに入社。5年間プレーし、いつまでやるのかなと悶々としていたなかで、都市対抗予選でノーアウト満塁の場面で急遽登板し、三振、ゲッツー。たまたま親も見に来ていて、これで区切りができたと思いました」

 鷲崎代表、知花副代表、大野GMともに野球に人生を賭け、紆余曲折しながらも幕引きを自ら引いた。自身で理解して納得することが大事であり、かつ何事も熱を篭らせず、きちんと放出させてあげることが健全な精神と肉体を形成する。

 不遇な選手、ケガや病気で埋もれた選手、納得できない選手......それぞれの野球にきちんと折り合いをつけるために、真剣勝負で野球をする場所を提供する。これがウィンターリーグの本質でもある。

「将来的にはNPBの育成選手だけで単体チームを編成するなど、さまざまな案を示しながら参加を呼びかけていく意向。ゆくゆくは世界中の選手が集う場にすることを究極の目標に掲げています。ウィンターリーグを行なうことで形骸化した野球界に風穴を開け、未来の子どもたちがよりよく野球ができる環境をつくっていくために動くのです」

 大野GMの野望は、いま始まったばかりだ。