私はヴァヒド・ハリルホジッチのことを選手時代から知っている。扱いにくく、気まぐれで、同時にすばらしい才能の持ち主だった。

 ハリルホジッチはモロッコ代表を率い、カタール行きの切符を手にしたものの、またしても本大会直前で代表のベンチから追いやられた。多くの人が、ハリルホジッチは解任されるべきではなかったとも言っているが、こうした処遇は何もこれが初めてではない。

 2010年にはコートジボワール代表を南アフリカW杯に導き、2018年には日本代表にロシアW杯出場権をもたらしたが、どちらも大会前にクビを切られている。また反対に、自ら突然、監督の職を辞することも一度ならずあった。リールやディナモ・ザグレブでは、チーム幹部との折り合いが悪く、彼の態度が不遜だったこともあり、好成績をあげながらもベンチを去っている。

 モロッコ代表監督を解任されてから数日後、私はハリルホジッチ本人と電話で話したが、今回の解任はかなりのショックだったようだ。

すでにエジプトの強豪アル・アハリから、かなりいい条件のオファーがきているらしいが、しばらくはサッカーから離れて休みたいというのが彼の本音のようだ。

「かなり腹が立ったというか、激怒した」

 ハリルホジッチは誰かに怒りをぶちまけたかったかのように、語気荒く語った。

モロッコでも解任されたハリルホジッチに真相を直撃「裏表のある...の画像はこちら >>

モロッコ代表監督を解任されたヴァヒド・ハリルホジッチ氏photo by Thor Wegner/DeFodi Images viaGetty Images

「モロッコサッカー協会の幹部が、代表チーム全体の利益よりも選手個人の野心を優先させるということが、私には理解できなかった」

 最初はすべてが完璧のように見えた。

 モロッコはハリルホジッチにとっては特別な場所だ。彼の監督としての成功はモロッコからスタートしている。1997年、彼はラジャ・カサブランカを率い、国内リーグを制し、アフリカ・チャンピオンズリーグ優勝を果たした。

そこから本格的な監督人生が始まった。

「モロッコ代表監督を引き受ける前、アルジェリア代表をブラジルW杯で活躍させた経験を踏まえ、私はこう言った。『協会幹部や選手だけではなく、サポーターも私のやり方と仕事をリスペクトしてほしい。リスペクトはすべての大前提であり、代表監督を受けるにあたっての曲げられない私の信念だ。つまり、意見の衝突などはあり得ない』と。皆がそれを受け入れたのだが......」

W杯出場を決めて和解したが...

 彼が監督に就いた当初の、チームの空気はあまりいいものではなかったとハリルホジッチは言う。それが3年間の仕事を経て、固く結ばれたチームが出来上がった。

彼はそう信じている。

「今年1月のアフリカ・ネーションズカップに、私は3人の有名選手を連れていかなかった。彼らは素行に問題があり、チームの和を乱すと判断したからだ。その時は何の問題もなかった」

 3人の選手とはチェルシーのハキム・ツィエク、最近アヤックスからバイエルン・ミュンヘンに移籍したヌサイル・マズラウィ、そしてシャルケからマルセイユにレンタルされているアミーヌ・アリだ。

「チームワークがすべての成功のカギであるというのに、チームの上に君臨しようとする選手たちがいるのは信じられなかった。私は彼らの驕りを叩き、身勝手な行動を禁じた。

たとえば、彼らが話し合いの場や練習に遅れてくるのを認めはしなかったし、彼らの都合で抜けることも許しはしなかった。水タバコを吸ったり、一晩中プレイステーションをして遊んだりすることも禁じた。

 彼らが自分たちの国歌をまともに歌えないのにも私は苛立ちを感じた。私は選手たちに、代表チームと自分たちの祖国にもっと全身全霊をささげてほしかった。私には私のルールがあり、私はそれがいいものであると信じている。一部の人を満足させるために、それを曲げたくも迎合したくもない。

彼らは獅子身中の虫、内側からチームを食い荒らす存在だった。それに、彼らがいなくとも十分に結果が出せることを、私は証明してみせた」

 しかしこれらの選手たちの人気は絶大で、サポーターばかりかメディアまでもが素行の悪い選手たちの肩を持ち、ハリルホジッチは厳しい日々を過ごした。

「だが、W杯予選のコンゴ戦に勝利し、カタール行きを決めた時、モロッコのムハンマド6世国王から直接、笑顔で感謝の言葉をかけられ、私はこれですべてがうまくいくと確信した」

 W杯への切符を手に入れたことで衝突は解消するかのように見えた。ハリルホジッチ自身もそう感じ、また、アリやマズラウィとの関係も改善された。

「私は絶対的な忠誠を求めた」

 しかし、そこでトルコのアダナ・デミルスポルでプレーするユネス・ベランダが再び諍(いさか)いに火をつけた。ハリルホジッチは彼もアフリカ・ネーションズカップの代表に招集しなかった。

「たとえヤツが俺を呼んだとしても、俺は応えない。俺にとってヤツは死んだも同じだ」と、ベランダが『アルジャジーラ』のインタビューで発言すると、ハリルホジッチもそれに応酬する。

「選手とこうした話をする必要はない。なぜなら、代表に誰を呼ぶかは、私が決めることだからだ。私はチームに貢献することのできる選手を選んだ。競争は激しいのだから仕方がない」

 ハリルホジッチがパリ・サンジェルマン(PSG)を率いていた時の選手だったフランス代表ジェローム・ロタンも反ハリルホジッチキャンペーンに唱和した。

「ヴァヒドはすべてやりたい人間なんだ。ピッチでは必要不可欠な彼のアシスタントたちのことだって、心の底では信頼しちゃいない。現代の監督は優秀な心理学者でもあるべきなんだが、ハリルホジッチと彼の仕事のやり方はまだ90年代のままだ」

 ロタンがフランスのメディアにこう述べると、これにもハリルホジッチはすぐざま反論した。

「ジェローム、お願いだから勝手にクビを突っ込まず、私を放っておいてくれ。君は長いこと薬を飲んでいないんじゃないか? だからそんなたわごとを言うんだ」

 誰とは言わないが、ハリルホジッチは代表チーム内部にも彼を失墜させようとする人間がいたと信じている。誠実な顔をしながら、ハリルホジッチの言動を逐一上に報告していたのだと彼は非難する。

「私はチームの人間に絶対的な忠誠を求めていた。だからこういった裏表のある人間は大嫌いだ。二枚舌を持った蛇だよ」

 もちろん、ハリルホジッチに対して肯定的な意見も聞かれた。元モロッコ代表のキャプテン、アブデスラム・ウアドゥもそのひとりだ。

「今回起こったことは、サッカーのため、スポーツのため、そしてモロッコという国のイメージのためにも、よくないだろう。サッカー協会の会長は、完全にサポーターに踊らされている。ハリルホジッチはカタールでチームを率いるべきだった」

 最終的にハリルホジッチは、双方合意という形で契約解除に応じた。契約は来年の夏までだったので、彼はそれまでの報酬150万ユーロ(約2億円)を受け取る。

 だが、ハリルホジッチが求めているのは、金ではなく尊厳である。だからこそ日本代表を不本意な形で辞めさせられた時、日本サッカー協会の田嶋幸三会長に対して慰謝料として1円を請求したのだ(後に取り下げ)。彼は当時のことを回想してこう言った。

「会長は私を解任した理由を、選手とのコミュニケーションがうまくいっていなかったからと説明したが、それは真っ赤な嘘だし、馬鹿げている。実際は何人かの選手からロシア行きのチームに入れてほしいという要請があり、その背景にはスポンサーとの利害関係があったことを、彼は知っていたはずだ」
 
 いずれにせよ、ハリルホジッチが3回にわたり、W杯にチームを導きながら解任されているのは事実である。これは決して偶然ではないだろう。彼のスパルタ的な仕事ぶり、そしてそれに反発する選手が常に一定数いるのは確かなことだ。そしてなにより、彼の強すぎるほど強い信念。自分が絶対であると信じていることが、大きな武器であるのと同時に、自身を傷つける諸刃の剣ともなるのである。