現役時代は日本ハム、ソフトバンクで19年間プレーし、その間、チームを7度のリーグ優勝、4度の日本一へと導いた「優勝請負人」の鶴岡慎也氏。長きにわたり錚々たる投手のボールを受けてきた鶴岡氏に、とくに印象に残る投手を5人挙げてもらった。

清原和博が「なんや、今の球は?」と驚愕。名捕手・鶴岡慎也が選...の画像はこちら >>

日本ハム時代、ダルビッシュ有(写真右)との名コンビでチームを支えた鶴岡慎也氏

ダルビッシュ有(日本ハム/現・パドレス)

 なんと言っても一番はダルビッシュ有です。僕より5歳年下なのですが、彼の専属捕手を務めたこともあり、多くのことを教えてもらった投手です。

 日本ハム時代のダルビッシュは、5年連続防御率1点台とまさに「無双」状態でした。多彩な球種を操るダルビッシュですが、一番いいボールはやはりフォーシーム(ストレート)です。196センチの長身から打者に向かってくるような投球フォームは迫力があり、いきなり腕が出てくる感じだったので、打者は対応するのに相当苦労したと思います。しかも球速は150キロを超えていましたからね。

 とはいえ、自ら「変化球投手」と言っていたように、変化球に対するこだわりは特別なものがありました。「もっといいスライダーが投げられるんじゃないか」「もっといいツーシームを投げられるんじゃないか」と。そういう探究心こそがダルビッシュの最大の武器ではないでしょうか。

 探究心があるうえ、指先が器用で繊細ですから、すぐに自分のものにしてしまう。僕が出していたサインは6、7種類でしたが、同じフォークであってもスプリット系にしてみたり、シンカー系にしてみたり、スピードや変化量にアクセントをつけて投げ分けてきます。「走者がいない時はいいけど、走者がいる時はサインどおりに投げてくれよ」と言ったものです(笑)。

 それにウエイトトレーニングをとり入れて体を大きくし、食事面にも注意を払っていました。マウンドで見せるパフォーマンスもさることながら、そこに至るまでの準備がすごかった。目指している景色は、僕らの遥か上をいっていましたね。

デニス・サファテ(元ソフトバンクなど)

 ダルビッシュ有に続く2人目は、デニス・サファテです。彼は1981年4月9日生まれ、僕は1981年4月11日生まれ。生年月日も近く、同じ2014年にソフトバンクに移籍したこともあって、親しくさせてもらいました。

 サファテもダルビッシュ同様、ストレートがすばらしい投手でした。打者はストレートとわかっていても空振りする。なぜなら身長193センチが投げ下ろすため角度があり、打者としてはミートポイントの接点が少ないからです。最速159キロとスピードもあって、高めのボール球にもつい手が出てしまう。

 ストレートのほかにもフォークやカーブもありましたが、マスクを被っていて「ストレートだけでも打たれない」と感じました。クレバーな投手で、日本人の打者には角度のあるストレートが有効と判断して、意識的に高い位置から投げていましたね。

 サファテは「日本に来てから成長した」と語っていましたが、2017年にマークした54セーブはいまだ破られぬ日本記録。クローザーとしての能力は異次元でした。

千賀滉大(ソフトバンク)

 千賀は2010年に育成ドラフト4位で入団。2013年に51試合で17ホールドを挙げ、頭角を現しました。僕はその翌年にソフトバンクに移籍してきたのですが、2015年あたりから先発に転向し、いわば発展途上から超一流にのし上がっていく過程でバッテリーを組ませてもらいました。

 千賀と言えば代名詞の「お化けフォーク」が有名ですが、当初は捕手泣かせのボールでした。

今でこそしっかりコントロールできていますが、かつてはどう変化するのかわからない球で、それでいて落差がすごい。だからフォークのサインを出す時は、全球ブロッキングの体勢をとる必要がありました。彼のおかげでブロッキングの技術は磨かれたと思います(笑)。

 ストレートは160キロを超え、パワー型のイメージがありますが、千賀もダルビッシュのように指先が器用な投手で、スライダーやカットボールの"曲げ球"も得意で、打者にとってはものすごく厄介なボールになっていると思います。

 また千賀は7年連続2ケタ勝利を挙げ、しかもすべて貯金5以上。これはヴィクトル・スタルヒン(巨人など)、別所毅彦さん(南海→巨人)、稲尾和久さん(西鉄)以来、史上4人目の記録だそうです。

まさに正真正銘の大エースです。

武田久(元日本ハム)

 武田久さんは駒澤大、社会人野球の日本通運を経て、僕と同じ2002年のドラフト4位で指名されてプロ入りを果たしました。(二軍施設のある)鎌ヶ谷で一緒に汗を流しただけに、思い入れのある投手です。入団後はなかなか実力を発揮できず、プロ生活も最後かなと開き直った4年目、リーグ最多の75試合に登板し、40ホールドを挙げて"最優秀中継ぎ"のタイトルを獲得しました。

 身長は170センチと小柄ですが、ステップ幅を広げて、ヒザが地面に着くほど低く沈んだ体勢から投げる浮き上がるようなストレートは独特の軌道でした。

 そして久さんと言えば、シュートです。最近は、右打者の懐に食い込みながら沈む軌道(ツーシーム)のボールが多いのですが、久さんのシュートは真横に滑る感じで曲がってきます。2006年に当時オリックスに在籍していた清原和博さんが打席に立って、久さんのシュートに「なんや、今の球は?」と思わず声を上げたのを覚えています。あの清原さんが驚いたくらいですから、すごい曲がりをしていたんだと思います。

 このシュートで腰を引かせたあと、外角低めに糸を引くようなストレート。まったく隙のない、気概あふれるピッチングでした。

 2009年にクローザーを務め、リーグ優勝に貢献。最多セーブのタイトルを3度獲得するなど、球界を代表する投手になりました。通算167セーブ、107ホールドと、史上8人しかいない「100セーブ・100ホールド」達成は、苦労していた時期を知っているだけに感慨深いですね。

大谷翔平(日本ハム/現・エンゼルス

 ダルビッシュが2011年のシーズンを最後にメジャー入りし、大谷翔平が日本ハムから指名されたのが2012年でした。そして翔平の1年目(2013年)、プロ初勝利を挙げた中日戦(6月1日、セ・パ交流戦)でマスクを被っていたのが私でした。

 高校3年で160キロをマークし、鳴り物入りで入団しましたが、当時はまだ荒削りな部分が多かった。しかし指にしっかりかかった時のストレートの衝撃は、今もはっきりと記憶しています。

 1年目はストレートのほかにカーブ、スライダー、フォークを持っていて、精度はまだまだだったとはいえ、投げる球はすべてが一級品。近い将来、球界を背負っていく逸材であることは、誰の目にも明らかで、それはすぐ現実のものとなりました。

 ソフトバンクに移籍後は打者として翔平と対戦しましたが、体が大きいうえに柔らかさもあるから、リリースポイントがものすごく近くに感じます。だから、ボールが離れた瞬間打ちにいかないと振り遅れてしまう。ボールを見極めるのが難しかったですね。

 メジャー移籍後はさらに球種を増やし、投球の幅を広げていますが、1つのウイニングショットだけをマークしておけばいいという投手ではありません。今シーズン15勝をマークしましたが、力強さにうまさを兼ね備えたピッチングを見れば納得です。