桐生祥秀が勝てなかった天才スプリンター日吉克実「桐生がいなか...の画像はこちら >>

中学3年の時に日吉克実は桐生に圧勝した

日吉克実インタビュー 前編

【野球では盗塁し放題】

 今から13年前、現在は陸上短距離100mで9秒台の記録を持つ桐生祥秀が、どうしても勝てない男がいた。それが日吉克実だ。中学3年の全国中学校体育大会(全中)の100m、200mで日吉は桐生に圧勝して優勝。

タイムは100mが10秒64、200mが21秒18でどちらも中学新記録を樹立し、200mに至っては現在でも中学記録として残っている。

 彼はどこに行ってしまったのか――。2018年にテレビ番組で「消えた天才」として中央大学4年の日吉を紹介。桐生が輝かしい成績を残す一方で、伸び悩む日吉の姿を描く。しかしリレーメンバーの一員として出場したインカレで、桐生のいた東洋大学と対戦し、見事優勝を果たした。それで番組は美しく終了した。

 話はそれで終わらなかった。テレビで話題になった4年後、日本競輪選手養成所に入所し、この春、競輪デビューを果たすことになった。陸上から競輪へ。なぜ日吉は競輪への転向を決めたのか。彼の原点から探ってみた。

 日吉が最初に始めたスポーツは意外にも野球だった。

小学2年の時に、兄の影響で地元の野球チームに入った。すぐに注目される存在となり、小学4年の時には高学年の試合に出場していたという。

「盗塁し放題でしたね。5~6年生の試合に出ても盗塁は余裕でできました」

 実は両親とも陸上短距離100mで県1位になったという実力の持ち主。ある意味、日吉はサラブレッドだった。「小学1年からマラソン大会やかけっこで、自分がいつも一番だなと感じていた」というほどの俊足。

「目の肥えている両親でも、ちょっと普通の足の速さではないかもしれないと思っていたようだ」と話す。

 小学5年の時に、隣町の陸上チームに入り、持ち前の走力にさらに磨きをかけた。走るたびに結果が出て、周りから高い評価を受けたことで、「陸上がどんどん楽しくなった」という。

「小学5年の時には、同学年のなかで県で一番速かったです。県で1位の子が出るレースがあったんですが、予選、決勝とも僕が勝ったんです。それを見た両親が確信したらしいです」

 走ることに喜びを感じていた日吉は中学でさらに飛躍した。

中学1年の時に出場したジュニアオリンピックの100mで11秒4で優勝。「走れば勝てる状態で、何をやってもうまくいった」と日吉は当時を振り返る。そのころには全国トップとなり、陸上界では知られた存在になっていた。

【為末大の記録を更新】

 そして中学3年の時、桐生の存在を知る。

「陸上の月刊誌で全中を特集しているページがあって、そこに100mを10秒8くらい、200mを21秒台で走る桐生という選手がいると載っていました。それまで存在を知らなくて、いきなりタイムが速くなっているようだったので、僕からするとすごく怖いんです。全中でタイムを更新したら、もしかしたら負けるかもしれないと」

 中学1~2年のジュニアオリンピックなどの大会で、同年代で速い選手はほとんど知っていた。

しかしそれまで桐生と対戦したことはなく、その走りも未知のものだった。春先にケガをしたこともあって、十分な練習期間が取れず、このままだと敗戦もありえると感じていた。

 とくに意識していたのが200m。「100mは芯をくうタイミングというか、はまることがあって、まぐれでタイムが出ることがあるんですが、200mは距離が長いのでまぐれがなくて、言い訳がきかない」と日吉は言う。200mで勝てば、桐生より速いと証明される。日吉は覚悟して位置についた。

「桐生は自分のひとつ前のコースにいて、桐生を早い段階で抜けたらなと。このレースが中学最後だとわかっていたので、後先考えずに全力で走りました。それでコーナーの出口手前から桐生が視界からいなくなり、ゴールの左前方にあるモニターを見たら、桐生と結構差が開いていたので、これは行けると思い、一心不乱にゴールに突っ込みました」

 結果は前述のとおり。為末大さんの記録を17年ぶりに更新する快挙だった。

 当時の夢はオリンピック出場。「僕はどこまでも伸びていくと思っていて、その行きつく先はオリンピックだろうな」と漠然と思っていた。

【桐生は強すぎて速すぎた】

 しかし高校から桐生には勝てなくなってしまった。同学年には、のちに9秒台を出す小池祐貴もいた。高校1年で臨んだ第66回国民体育大会の100mで、桐生、小池に次いで日吉は3着。

「桐生がすごすぎました。あっさり抜かれてしまって、立場も変わってしまった。本当に並ぶ間もなかったです。桐生がいなかったら、僕は違った人生を歩んでいたかもしれない」

 高校でもトップクラスの成績は残せていたものの、桐生が放つ光が強すぎて、陰に隠れる存在になってしまった。大学でも上位に名を連ねていたが、状況は変わらなかった。そんなころ、「消えた天才」としてテレビで取り上げられた。

「桐生に勝つことは、どう考えても無理でしたね。もうイメージが湧かなかったし。だからリレーであれば、もう一度日本一になれるという思いがありました」

 奇しくもインカレの4×100mリレー当日、桐生は100mで日本人初の9秒台を出していた。世間の耳目が桐生に注目しているなかでリレーがスタートした。日吉は中央大学の3走、桐生は東洋大学の4走。同じ区間を走ることはできなかったが、東洋大学を振りきり、中央大学は優勝を果たした。

「とにかくうれしかったです。全国大会で一番高い表彰台に立てたのは久しぶりで。僕の上にはずっと桐生がいましたから」

 卒業後も陸上を続けたが、ケガの影響もあり、思うような練習ができなかった。そのため2018年9月に引退を決意。一度は頂点を極めた陸上競技から身を引いた。

「トータルしたらとても幸せでした。中学の200mの記録を見れば、いまだ誰も見たことのない領域に入れましたし、なかなか見られない景色もたくさん見られました。陸上人生の後半はかなり苦しみましたが、それも贅沢な悩みかなと。頂点に立てる人がほとんどいないなか、僕はつらかったとか、しんどかったとか言えないのかなと思います」

 桐生という圧倒的な存在の前に霞んでしまった自分の状況についても後悔はない。今でも交流のある桐生について聞くと、日吉はこう答えた。

「もう降参していました。白旗です。強すぎて速すぎました。別格です。歯がゆかったですよ。いいなーと思っていました」

 次々出てくる桐生を賛辞する言葉。そう言って笑った日吉の顔は、清々しかった。

■インタビュー後編「桐生祥秀選手に見に来てほしい?」の質問に「まだダメ」>>

【Profile】
日吉克実(ひよし・かつみ)
1995年5月8日生まれ、静岡県出身。小学5年から陸上を始め、中学の時にはジュニアオリンピック三連覇を達成。3年時には100m、200mで中学新記録を樹立した。高校・大学でも好成績を残し、大学4年の全日本インカレの4×100mリレーで優勝を果たす。大学卒業後も競技を続けるが、2018年をもって陸上競技を引退した。そして2022年に日本競輪選手養成所に入所し、翌年3月に卒業。2023年4月から競輪選手としてデビューする。