村主章枝インタビュー前編(全2回)

独自の世界観と表現力で、世界のトップフィギュアスケーターとして活躍してきた村主章枝さん。42歳になった現在はラスベガスに拠点を移し、スケートのコーチングをしながら、夢であるアイスショー開催に向け精力的に活動している。

インタビュー前編は、33歳まで続けた現役生活、そして引退後の活動について伺った。

村主章枝がラスベガスで映画プロデューサーになっていた?! 「...の画像はこちら >>

日本帰国時にインタビューに応じた村主章枝さん

●個人競技に対する日米の差

ーー今振り返ると、長い競技生活のなかで一番うれしかったことは何でしたか?

村主章枝(以下、同) スケートを通じて人として成長させてもらえたことですね。スケートをやっていなかったら経験できなかったこと、出会えなかった人に出会えたことはお金に換えられるものではないですし、いろいろな巡り合わせで経験も出会いもあったことが人生の宝かなと思っています。

ーー逆に、大変だったことは何でしたか?

 勝ち負けでつらかったことや大変だったことはないんですけど、やっぱり活動資金のやりくりが大変でしたね。自分が好きなことをやるには資金が必要で、捻出するのは精神的にはしんどかったですね。

ーー大学を卒業されてからは試行錯誤をされていましたね。今は社会人スケーターが増えてきていますが、活動しながら資金を得ることは大変だと思います。



 今、アメリカに住んでいて感じることは、全体の人口が日本と違うことはもちろんあると思うんですけど、大学や会社が個人競技を応援しているんですね。

 ひとりで頑張ってどこか就職先を見つけて資金をつくってという感じでなくても、競技に打ち込めるようなサポートがあるように思います。

ーー個人競技でサポートを得るには自分のいいところを売り込んでいくことが重要なのでしょうか?

 そうですね。あとは競技以外の場所で自分が何かに一生懸命取り組む姿やスポーツを紹介したりしていくとか。それでどう社会貢献できるかというのはひとつの強みになると思います。スケートの成績だけでない部分をもうちょっと広げていくことも大事なのかなと思いますね。


ーー発信力も大事になってくる、と。

 やはりスポーツを通じてでないと経験できないことがあると思います。たとえばスケートなら小さい時から試合に出たら全部自分の責任です。コーチや家族は応援することはできるけれど、最後はどんなことが起きても自分で解決して乗り越えなければいけない。

 スケートをしていないとなかなか日常生活ではそんな厳しい経験はできないわけで、そこからスケーターはそれぞれいろんなことを学んでいく。そういう経験をしてきた人たちが、大舞台でどうするかという体験などをシェアしていろんな方を助けていくと思います。


 スケートで一番になることももちろん大事ですが、そういう経験を活かした活動ができることも大事なんじゃないかなと考えていますね。

村主章枝がラスベガスで映画プロデューサーになっていた?! 「軽い気持ちで始めたら、どえらいことになってしまって(笑)」

●五輪で表彰台叶わず「何が足りなかったんだろう」

ーー村主さんは33歳まで現役を続けてきましたが、それまで続けようと思った理由は何でしたか?

 五輪にとてもこだわりがあって、2006年トリノ五輪で自分の力を出しきったのに表彰台に乗れなかった。それに対して何が足りなかったんだろうという探求人生でしたね。

 五輪にこだわっていたので何度かチャレンジしていましたが、2013年頃から指導の依頼を受けるようになったんです。今でもそうだと思うんですけど、日本の場合は選手活動をしている間はコーチングができません。なので、どちらかを選ばないといけないということになり引退を決意しました。

村主章枝がラスベガスで映画プロデューサーになっていた?! 「軽い気持ちで始めたら、どえらいことになってしまって(笑)」

2006年トリノ五輪で4位。
惜しくもメダルを逃した photo by AFLO

ーーフィジカル的には問題はなかったのでしょうか?

 うーん、回復力は遅くなったなって思いましたね(笑)。きつい練習に耐えられないというほどではないんですけど、回復力が遅いなと。100%の力で練習をやりきってしまうと、あとでガタッときてしまうのが精神的に大変ではありました。

ーー現役時代はストイックな印象でしたが、引退後はバラエティ番組や写真集などでも話題となり、解き放たれているなと思っていました。

 そうですか?(笑)。根幹の部分は15歳の頃から変わっていなくて。
当時出会った振付師のようになりたいという夢は変わっていませんでした。

ーーローリー・ニコルさんですね。

 ローリーの夢でもあったアイスショーをやるという夢をずっと今でも持ち続けているので、教えることもやっていますけどそこはまるで何も変わっていないです。

村主章枝がラスベガスで映画プロデューサーになっていた?! 「軽い気持ちで始めたら、どえらいことになってしまって(笑)」

●「じゃ、やろっか」で映画プロデューサーに

ーーローリーさんの弟子となるべく渡米されて以来、ラスベガスに拠点を持ってフィギュスケートのコーチングをしたり、映画をつくる会社を設立されていますが、それもその夢を叶えるためのステップなのでしょうか?

 そうなんです。アイスショー開催へ向けて2018年にアメリカに拠点を移して2019年に会社を設立しました。そこでショーを撮影できる仲間が必要だなと思ってラスベガスで集めていたんですけど、翌年にコロナが流行し始めてしまって。それでショーの話が一度ストップになってしまったんです。



 そういう事態になってしまったので「これから何したい?」と仲間に聞いたら「映画をつくりたい」と。「じゃ、やろっか」と軽い気持ちで言ったら、もうどえらいことになってしまって(笑)。

村主章枝がラスベガスで映画プロデューサーになっていた?! 「軽い気持ちで始めたら、どえらいことになってしまって(笑)」

現在は映画プロデューサーとしても活動している

 スケートもお金がかかりますけど、映画なんて桁が2つくらい違うっていうレベルで! またやばいところに行ってしまったなと思いましたね。なんだこれは、みたいな(笑)。

 そういう流れで映画や映像をつくることになりました。スケートなら小さい頃からやってきているので、上手になるには何が必要か、子どもたちはどういうことをしなければいけないかがわかるんですけど、映画は本当に何もわからなくて。

 ゼロどころかマイナスからのスタートという感じなのでとても大変なんですけど、いずれスケートや自分がやりたいアイスショーにも活きてくると思うんです。映画はチームの規模が全然違うんです。その大規模なチームがいっせーので撮影の日に動く。今までは個人スポーツだったので、そういうところの難しさは感じますね。

 映画の内容は、子どもの人身売買の問題や統合失調症の方を描いた社会派のものから、歴史ファンタジーまでさまざまなテーマを扱っています。

ーーこれまでの仕事はスケートありきでしたが、映画の仕事はスケートが全然関係ない世界ですよね。何もかも初めての世界はいかがですか?

 何かの縁だと思っています。何ものかの力が働いて「やれ」と言われているんでしょうね(笑)。これからの人生や夢のためになるから、じゃないですけど。

ーーインスタグラムを拝見して、なぜ映画の会社なんだろうと思っていました。そういうことだったんですね。

 みんなにも聞かれるんですよ、なんで映画かって。私自身もなんで映画をやろうって言っちゃったんだろうと思っているんですけどね。でも、実際にアイスショーにもこの経験が活かせそうなので、そういうことだったと思います。

村主章枝がラスベガスで映画プロデューサーになっていた?! 「軽い気持ちで始めたら、どえらいことになってしまって(笑)」

ラスベガスでスケートのコーチングを行なう村主さん

●さまざまな経験を詰め込んだアイスショー開催へ

ーー映画プロデューサーとして頑張っているんですね。

 はい。うちは設立してから日が浅い会社なので、スタジオレベルの撮影ならいいんですけど、撮影期間もたくさんとれるわけではないですし、限られた時間のなかでより多く撮らなければいけない。

 そうするとやっぱりまだチーム力や経験が少ないので、撮った映像のなかで、満足のいくものが少ないです。ちょっとここにミスがあるとか、もうちょっとこっち向きだったらよかったとか、影が入っちゃったねとか。チーム力を高めていかないといけないですよね。

 自分たちで出資して、短編をいくつかつくって映画祭などに出して、何個か賞をいただいたりもしています。今回初めて長編をつくることができました。制作費の捻出は、いつも大きな課題ですが、チャレンジのひとつでもあります。

村主章枝がラスベガスで映画プロデューサーになっていた?! 「軽い気持ちで始めたら、どえらいことになってしまって(笑)」
ーー今後、映画とともにその経験を活かして村主さんがつくるアイスショーにすごく興味がありますし、期待値が上がりますね。

 期待してくれますかね、どうですかね。でも、今の子たちはわかんないですよね。村主章枝って誰だろうって(笑)。

ーーそんなことないですよ。氷上のアクトレスです。

 いやいやいや(笑)。

ーーショーは今のところどれくらいのビジョンがあるのですか?

 一応、来年くらいに何かお知らせできるようにと思っています。

ーーすぐじゃないですか。ラスベガスで、ですか?

 日本で、かな。アイスショーはもう少し先になると思いますが、来年あたりからアイスショーにつながる活動を始められたらと思っています。

ーー土台をなくしてはいいものができませんからね。とても楽しみにしています。

 ありがとうございます。またよき時にお知らせできたらと思います!

インタビュー後編<村主章枝はフィギュアスケートの現行ルールを疑問視「ジャンプの技術は上がったけどプログラムとして面白いかというと...」>

【プロフィール】
村主章枝 すぐり・ふみえ 
1980年、千葉県生まれ。幼少期をアメリカ・アラスカ州で過ごし、ウインタースポーツに親しむ。帰国後、6歳でフィギュアスケートを始める。1997年、16歳の時に全日本選手権で初優勝。以降、同大会で5回優勝。2002年ソルトレイクシティ五輪、2006年トリノ五輪で2大会連続入賞。日本人初となるISUグランプリファイナル優勝、四大陸フィギュアスケート選手権優勝3回など世界トップスケーターとして活躍。2014年、28年間の競技者生活を引退。2019年に拠点をアメリカに移し、コーチや映画プロデューサーとして活動している。