松永浩美が語るブーマー・ウェルズ 前編

 1983年に阪急ブレーブス(現 オリックス・バファローズ)に入団し、数々の打撃タイトルを獲得したブーマー・ウェルズ氏。1984年には外国人選手として初の三冠王に輝き、阪急のリーグ優勝にも大きく貢献した。

そんなブーマー氏と共に、長らく阪急の主力選手として活躍した松永浩美氏に、来日間もない頃のブーマー氏の印象やエピソードを聞いた。

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阪急入団2年目の1984年に、外国人選手初の三冠王に輝いたブーマー

【ブーマーは穏やかで情が深い】

――まず、松永さんから見たブーマーさんの印象を教えてください。

松永浩美(以下:松永) 四字熟語で言うと、「温柔敦厚(おんじゅうとんこう/優しく穏やかで、思いやりがあること)ですね。当時はブーマーのことを「気性が荒い」と表現する記事も見ましたが、まったくそんなことはありません。穏やかですし、情が深い人間です。

 見た目は身長が2mありますし、とにかく体がデカくて......。ブーマーが入団した年は、私がレギュラーを獲ったシーズンの翌年だったのですが、「ファーストを守ってくれたら、的が大きいから送球がラクになるな」とも思いました。



――ブーマーさんと話をする際には、なんと呼んでいたのですか?

松永 基本的には「ブーマー」と呼んでいましたが、たまに「ブーブー」とか、私よりも6歳年上ですけど「おいっ!」って呼ぶこともありました(笑)。まあ、ブーマーは本名ではないんですけどね(本名:グレゴリー・デウェイン・ウェルズ)。アメリカで特大のホームランを連発 していたから、「ブームを呼ぶ男」と言われていたらしく、それがきっかけで日本での登録名がブーマーになったんです。

 外国人は年齢が上かどうかにはあまりこだわらない。それに関係なく相手をリスペクトします。ブーマーは私よりも年上ですが、私にも敬意を払った話し方をしてくれたり、気軽に話しかけてくれたので話しやすかったですね。


――そんなブーマーさんを「おいっ!」と呼ぶこともあるくらいですから、相当に仲がよかったんですね。

松永 仲はよかったですよ。一時、打順などを巡って「松永とブーマーがケンカをした」とメディアで書かれたこともありましたけど、ケンカでもなんでもないやりとりです。感情的にぶつかったことは一度もありません。

【日本に慣れるために「すごく努力していた」】

――ブーマーさんは来日1年目から打率.304、17本塁打、62打点と結果を出しました。野球への取り組み方はどうでしたか?

松永 一生懸命にメモを取ったりして、打つために必要な情報を熱心に集めていました。あと、「日本人はどんな言葉を言われたら嫌なの?」と聞いてきたりもしましたね。

アメリカンジョークと日本のジョークはちょっと質が違いますけど、そういった部分も気をつけていたみたいです。

――豪快なイメージがありますが、性格は繊細だった?

松永 ロッカーにいる時と、ユニフォームを着てメディアの前で話す時は違いますからね。ブーマーと私はロッカーが近かったので、通訳のチコ(ロベルト・バルボンの愛称。選手時代は阪急で3度の盗塁王に輝くなど活躍した)も交えてよく話していました。アメリカと日本では文化も風習も違うから、まずは野球より文化を教えたほうが彼にとってもいいかなと思っていましたし、互いの距離感が遠くならないように、とも思っていました。

――具体的に、どんな会話をしていたんですか?

松永 「レストランはどこか美味しいところを知ってるの?」「どんな人と食べに行ってるの?」といった感じで話してあげたり、箸を持つ練習を見てあげたりとかね。
ブーマー自身も、食事ではなるべく箸を使う食べ物を注文することが多かったし、日本に慣れようとすごく努力していました。

 ある日、球場まで来る手段を聞いたら「電車で来てる」というから、「電車で来たら、頭が(入り口や天井に)ぶつからない?」と聞いたんですよ。実際に電車はいろいろと大変だったみたいで、軽くしゃがんだり、頭を下げたりしながら乗っていたみたいです。それに、車両の真ん中に立っていたら目立つから、なるべく邪魔にならないように端のほうに立っていたそうです。

 あと、デブラ夫人には頭が上がらなかったみたいですね。「愛妻家」と言われていましたが、奥さんのことはけっこう怖がっていましたよ(笑)。
だから、ブーマーが羽目を外したという話は聞いたことがありません。羽目を外していたのは、アニマル(・レスリー)のほうでしたね。

【ブーマーからのイタズラやサプライズ】

――プライベートで食事をする機会などはありましたか?

松永 何人か一緒に神戸で食事をしたことがあったのですが、私の合流がちょっと遅れてしまって。そうしたら、ブーマーが「マツさん、これ食べなよ」と唐揚げを差し出してきたので、私は「やわらかくて美味しいね」と言いながら食べたんですが......すると、みんながゲラゲラ笑い出したんです。

 なんで笑っているのか不思議に思っていたら、ブーマーが「マツさん、今食べたのか何か知ってる? それカエルだよ」と(笑)。みんなは食べたくなかったみたいで、「じゃあマツに食べさせよう」となったみたいなんです。

味は美味しかったですけど、あれ以来、カエルは食べていません。

 あとは、遠征で宿泊していたホテルでもいろいろありましたね。

――どんなことがあったんですか?

松永 品川プリンスホテルに泊まっていた時、ブーマーから誕生日ケーキをもらったことがあって。ドアをコンコンとノックして部屋に入ってきたので、「何かな?」と思ったら、「マツさん、ハッピーバースデー!」と。あの大きな手で持っていたのは、小さい三角のショートケーキでしたけどね(笑)。ロウソクなどは立てず、普通のケーキが1個だけで「ケーキならもっと大きいのを買ってこいよ!」とも言いましたけど、嬉しかったです。

 逆に、私がブーマーの部屋を訪ねる時もありました。今日は打てなかったな、気分が晴れないな、と思った時などが多かったですね。ドアを叩きながら「ブーブー!」と呼ぶと、風呂に入っていることも多くて、シャワーキャップ姿で「何!?」とドアを開けたり(笑)。その姿を見る度に私は笑っていました。

――ブーマーさんは日本人特有のコミュニケーションや文化に慣れようと努力していたとのことですが、日本のプロ野球、阪急の練習に慣れるのは早かったですか?

松永 外国人助っ人は、まず日本の練習量に戸惑います。チーム練習の時間が長いですからね。個人の技術を磨くための練習も全体でやろうとしますし。一方のメジャーでは、チームプレーはササッと終わらせて、後は個人プレーという世界ですから。

 だけどブーマーの場合は、日本の練習に戸惑っているようには見えませんでした。「練習時間が長い」という認識もなかったようです。「この時間までにこれをやって、この時間は休憩できて、ここの時間にこれをやればいい」といったプランを自分で立てていました。不平不満は聞いたことがありませんでしたね。

(中編:ブーマーと松永浩美が「私が走るとわざとファウルを打つ」と言い争い 上田利治は監督室に呼び出し「2人で打順を決めろ!」>>)

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。