第7戦までもつれた日本シリーズは、阪神がオリックスを下し38年ぶりの日本一を達成し幕を閉じた。阪神のライバルである巨人は阿部慎之助が新監督に就任し、コーチ陣も一新して宮崎での秋季キャンプに臨んでいる。

 セ・パ両リーグで日本一(1978年ヤクルト、1982、83年西武)となった史上3人目の監督であり、巨人OBでもある広岡達朗が阿部新政権について語ってくれた。

巨人・阿部慎之助新監督のポリシーを広岡達朗は大絶賛も「優勝は...の画像はこちら >>

【巨人を劇的に変えるには猛練習しかない】

「一軍コーチ陣の顔ぶれを見ても、ここ数年、巨人に関わり続けているのが多いため、選手のことをよく把握しているはずだし、コーチ同士も知っている顔ばかりだから連携はとりやすいだろう。余計なことに気を遣わずやれるんじゃないか。ヘッドコーチの二岡(智宏)は、今季巨人の二軍監督として活気あるチームをつくったし、停滞気味だった秋広(優人)にきっかけを与える指導をしたと聞く。

 また守備コーチになった川相(昌弘)は、原(辰徳)に遠慮して押さえ気味だったけど、後輩の阿部が監督になったことでうまく重石となるはずだ。たしかに指導体制は整った感があり、選手の育成については阿部さえ暴走しなければ少しずつ成長していくだろう」

 では阿部新監督となり、2年連続Bクラスのチームをいきなり立て直すことができるのだろうか。

「優勝はあと3年かかると見てあげたほうがいい。

阿部は頑なに古臭いことしか言わないとマスコミに書かれていたが、今の巨人を劇的に変えるには猛練習しかない。今の選手に昭和の猛練習を強いることはパワハラだとか、時代錯誤とか言う連中がいるが、何をバカなことを言っている。いくら首脳陣が揃っていても、肝心なのは選手の力。その力をつけるには、やっぱり練習しかない。合理的な練習をやるのは構わないが、どこかで追い込まないと才能を伸ばすことはできない」

 広岡は阿部の指導方針を全面的に支持している。自らの経験則で、弱小だったヤクルト、西武を優勝に導けたのも、一にも二にも練習だった。

「中日監督時代の落合(博満)にしたって、まず猛練習できるまでの体力をつけさせることから始め、そこから徹底的に鍛え上げた。マスコミにすべてを見せなかっただけで、練習量は相当なものだった。絶対的な体力と練習量がなければ、あれだけ強いチームをつくることはできないはずだ」

【組織を高みに導くのに古いも新しいもない】

 そして広岡は、秋季キャンプでの阿部の姿を見て感心したという。

「宮崎キャンプを見たけど、投手陣は300メートルのトラックを、インターバルをとりながらとにかく走らせていた。野手陣は体幹を鍛える練習として、長い棒を担ぎながら地面すれすれまで足を開いた姿勢を10秒以上やらせていた。しかも監督である阿部も一緒にだ。

これこそ率先垂範(そっせんすいはん)である。監督自らやれば、選手だって文句は言えない」

 広岡も監督時代は選手と一緒にランニングをし、ノックも自ら手本となるべく受けていた。かつて西武黄金時代の遊撃手だった石毛宏典は、こんなことを語っていた。

「初めからけちょんけちょんに言われたら、こっちも頭にきますよ。でも広岡監督が『おまえの守備はこうなんだ』と、自ら僕の真似をして見せるんです。『えっ、オレってこんなにカッコ悪いのか......』と思って周りの選手に聞くと、『そっくりですよ』と言われて、そこから監督の言うことを素直に聞きました」

 広岡は監督になってからも体力維持に気をつけ、50歳で西武の監督になってからも選手と一緒に汗を流していた。

「ウエイトトレーニングを過度にやることで、脂肪太りになっている選手が今の巨人には多い。野球で使う筋肉は野球で鍛え上げ、足りないところをウエイトで補うものなのに、体づくりと称して先にウエイトばかりやるからバランスの悪いみっともない体型になる。ウエイトさえやっておけばいい、という風潮を早くなくすべきだ」

 広岡には「プロフェッショナルである以上、ユニフォーム姿も美しくなければならない」という持論がある。それは首脳陣も同じで、腹の出たコーチが息を切らせながらノックを打って、選手を鍛えられるはずがない。常日頃から「首脳陣も体を鍛えておけ」と、広岡が口酸っぱく言っているのはそういうことだ。

 かつて西武の主軸で活躍した大田卓司は、広岡の監督としての手腕を次のように評価していた。

「広岡さんが監督に就任して初めての春季キャンプでのランニングで、オレは長距離走が苦手だからビリッケツで走っていましたが、広岡さんは選手と一緒に颯爽と走っていましたよ。それと82年に日本一になった大きな要因は、シーズン中に監督と選手で話し合いをしたことです。5月の終わり頃、監督との間に溝ができて選手たちは鬱憤がたまっていた。それで選手たちが集まって、そこに監督を呼んだんです。田淵(幸一)さんや東尾(修)さん、森繁和などがそれぞれ言いたいことを監督にぶつけました。広岡さんはうんうんと頷きながら最後まで聞いていました。

あれで選手たちはまとまったんです」

 選手たちの言い分を、広岡はただ黙って聞いていた。だからといって、何かを変えるわけでなく、それまでどおり振る舞っていた。その場にひとりで現れ、反論することなく話を聞いてくれたことで、選手はすべて吐き出すことができた。それが何よりも大きかったのだ。

「昔の選手と気質が違うから昭和のようなスパルタ指導がダメと言うのなら、その気質の違う選手をどう導くかが新しいモノを取り入れるということではないのか。新しいモノを積み重ねるだけでは、組織は盤石にならない。組織を高みに導くのに、古いも新しいもない。頂上に行くために必要なことは何か、己に足りないものは何かを俯瞰(ふかん)して見ることができれば、やるべきことは決まってくる」

 そして最後に、広岡はこう期待を込めて阿部新監督にエールを送った。

「コーチの意見に耳を傾け、最終的に監督が決める。全責任は監督が負うというチームが、今も昔も絶対的に強いんだ」