レスリング女子・尾﨑野乃香、どん底からの逆襲劇でパリ五輪へ ...の画像はこちら >>

尾﨑野乃香インタビュー 前編

 パリ五輪代表の筆頭候補として嘱望されていたレスリングの尾﨑野乃香(慶應義塾大)はその実力とは裏腹に、一時は自力でのオリンピック出場の道を断たれる状況にまで追い込まれた。それでも、あきらめなかった。

自身が強くなるための道を探り、どん底から這い上がり、そして最後は劇的な逆転勝利でパリ行きの切符を手に。

 尾崎が見せたどん底からの逆襲劇は、いかにして成し遂げられたのか。

【天国から地獄に】

 パリ五輪の代表の座を巡り、レスリング女子68kg級の尾﨑野乃香(慶應義塾大)は「天国と地獄」を味わった。

 2020年12月、シニアの全日本選手権でデビュー。高校生ながらいきなり63kg級で優勝を飾ると、パリ五輪代表候補の最右翼として注目を集めた。十八番のアンクルホールドは一度セットされると、何度も対戦相手をクルクルと回し、テクニカルスペリオリティー(旧テクニカルフォール。10点差以上の差が開くと、勝ちとなるルール)を呼び込んだ。

 2021年からは世界選手権にも連続出場中で、2022年には初めて世界一の座に就いた。東京五輪に続いてオリンピック連覇を狙う50kg級の須﨑優衣(キッツ)、133連勝中と破竹の快進撃を続ける53kg級の藤波朱理(日本体育大)らとともに、尾﨑はパリでは主役のひとりとしてクローズアップされていた。

 そんな尾﨑の前に暗雲が立ち込めたのは、2022年12月の全日本選手権だった。当然のごとく優勝候補筆頭に挙げられながら、決勝では、大会前は全くノーマークの元木咲良(育英大)に逆転負けを喫してしまったのだ。

 勝てばパリ五輪に一歩近づくという大一番を落したことで、尾﨑は大きなショックを受けた。

「スコア的には僅差でしたし、周りからは『勝てたでしょう』と言われたけど、あの時は自分のほうが弱かった。

次にやったら簡単に勝てる相手とも思えなかった」

 その時、尾﨑は元木からオリンピックに懸ける徹底した覚悟を感じていた。

「次の全日本選抜で勝って、プレーオフでも勝てばいい」と自分で自分に言い聞かせようとしたが、不安と焦りは増幅するばかりだった。全日本選抜とは全日本と並ぶ国内二大選手権のひとつ。毎年5~6月に行なわれ、全日本とともにこの大会でも優勝すれば世界選手権に出場することができる。優勝者が違えばプレーオフ(出場者決定戦)を行ない、勝者が世界選手権に駒を進める。しかも、この年の世界選手権は国際大会の中ではパリ五輪への第一関門となる重要な大会だった。

 

 国内の関係者は、全日本選抜での元木と尾﨑の再戦を期待したが、予想どおり決勝に進んだ元木とは対照的に、尾﨑は準々決勝でパリ五輪出場を狙うために59kg級から階級を上げてきた稲垣柚香(至学館大)に敗れた。62kg級の勢力図が大きく変わった瞬間だった。

 あれから10カ月、今回改めて稲垣戦の敗因を聞くと、尾﨑は「試合前から精神的に押し潰されそうになっていた」と打ち明けた。

「オリンピックには行きたいけど、『本当に自分が行けるのか?』という迷いがあった。でも、それは口には出せない。いま思えば、もっと吐き出しておけばよかったと思うけど......自分で自分を追い込んでいた」

 筆者は尾﨑が高校生の頃から彼女の試合を見ているが、稲垣に敗れたときは、心・技・体がバラバラになっているように思えた。

結局、全日本に続き全日本選抜も制した元木が世界選手権出場を決めた。All or Nothing。勝負の世界は非情だ。2022年12月の全日本選手権前まではパリ五輪のニューフェースとして期待されても、代表の座を獲得できなければオリンピアンにはなれない。尾﨑は失意のどん底に突き落とされた。

「これでわたしのパリ五輪への道は途絶えてしまうのか」

 尾﨑は、全日本、全日本選抜と連敗した期間を「本当に苦しかった」と思い返す。

「レスリングをやるのも楽しくなくて、なんかやらされているみたいな感じだった。オリンピックに出るためというより、全日本選抜のために練習していた感じがします」

【技術を追求するため週末は山梨へ】

 全日本選抜で敗れてから尾﨑は練習環境を大きく変え、2023年8月からは週末に山梨県の韮崎工業高まで母の運転する車で通うようになった。同校のレスリング部で東京五輪・男子グレコローマン60kg級銀メダリストの文田健一郎の父・文田敏郎監督の指導を受けるためだ。

「以前から韮崎では技術練習を徹底的にやるということは知っていました。実際に一度行ってみたら、『ひとつの技術を極めるためにこれだけ時間をかけてやらないといけないのか』と思いました」

 それだけではない。文田監督は尾﨑の欠点を補うため、相手に足を触らせてから切る、あるいは反対に触らせないでカウンターをとるなど主にディフェンス面の練習などを徹底して行なわせた。指導中には殺し文句を口にすることも忘れなかった。

「教わったことを試合でもできるようになったら、自分の攻めがもっと有効的に使えるようになるよ」

 韮崎工業の男子学生が真剣に練習パートナーを務めてくれたことも大きかった。尾﨑は「学生の大会がないこともあり、文田先生はつきっ切りで面倒を見てくれた」と感謝を口にした。「私にとっては本当に貴重な時間でした。毎週自分のレスリングが進化していった気がします」。

 充実した練習環境を得た尾崎は、昨年9月、大きな転機を迎える。セルビアで開催された世界選手権において、非五輪階級の65kg級代表として出場し、優勝を果たしたのだ。前年度は五輪階級である62kg級で優勝していたため、階級を変更したうえでの大会連覇達成だ。

 尾﨑は素直にうれしかった。筆者は現場で取材していたが、ちょっと控えめな微笑が印象的だった。

「ずっと負け続きだったから、世界一になれたことは本当に気持ちがよかった。勝つことの楽しみがわからなくなっていたので、再び世界一になって日の丸を掲げたときには『私はこれがしたいんだ』という思いになれた」

【一階級上げての挑戦で五輪へ】

レスリング女子・尾﨑野乃香、どん底からの逆襲劇でパリ五輪へ 味わった「天国と地獄」
2024年1月のプレーオフで勝利を収め、感情を爆発させる尾﨑野乃香 photo by Hotaka Sachiko

 優勝を遂げた翌日、一階級上の68kg級で尾﨑の気持ちを揺れ動かす出来事が起こった。石井亜海(育英大)が3位決定戦で敗北し5位に終わった。規定により、パリ五輪に同階級の日本選手の出場権は得たものの、誰が出場するかは12月の全日本選手権の結果を待たなければいけない状況になった。

 同選手権で石井が勝てば、そのまま石井がパリに行ける。別の選手が優勝すれば、翌年プレーオフで石井と代表決定戦を戦うという流れだ。目の前で68kg級の枠が空いた試合を目の当たりにした尾﨑は、心の奥底から湧き上がる気持ちを抑えることができなかった。すぐに68kg級への転向を決意したわけではなかったが、気持ちはほぼ固まっていた。

「そもそも世界選手権に出たときも通常時の体重は63~64kgだった。68kg級でやるとなれば体重も足りないので、しっかり計画を立てなければいけなかった。自分だけでは無理な話なので、いろいろな人に相談しながらやろうと思いました」

 11月からは栗森幸次郎氏が主宰する神奈川のくりもりクラブでも練習するようになった。

「くりもりクラブはキッズ主体なので、ガッツリ練習する場所ではない。だから技術の確認をしたり、小さな子を相手に力を使わないレスリングをしたり......追い込むというよりは確認する場所ですね」

 所属する慶應義塾大レスリング部の女子部員は尾﨑のみだったため、練習は入学した時から東洋大、神奈川大などへの出稽古中心だった。それが68kg級に挑戦する時になって、ようやく自分に合った練習場所を捜し当てたように見えた。

「68kg級への挑戦が始まってから、自分を中心に練習してくれる場所が増えた。トレーニングもパーソナルの方についてもらい、体を大きくしています。無駄のない時間を過ごしている感じですね」

 迎えた全日本。尾﨑は、68kg級初挑戦とは思えぬ試合運びで勝ち続け、決勝では前年度の世界選手権65kg級優勝者の森川美和(ALSOK)を撃破した。そして2024年1月27日に都内で行なわれたプレーオフでは石井と日本レスリング史上に残る激闘を繰り広げ、最後は試合終了間際に1点ビハインドの状況から逆転勝利を収め、ついにパリ出場を決めた。

 その刹那、何カ月もの間地獄を味わってきた尾﨑は雄叫びをあげ、そして最高の笑顔を浮かべた。

後編に続く〉〉〉

【Profile】尾﨑野乃香(おざき・ののか)/2003年3月23日生まれ、東京都出身。成城学園中(東京)→帝京高(東京)→慶應義塾大在学中(4年)。小学校低学年の頃、テレビに映っていた浜口京子(五輪2大会連続銅メダリスト)の姿にインスピレーションを受けレスリングを始め、全国大会で全国少年少女選手権大会では2階級で優勝するなど、頭角を表わす。中学時代以降も全国トップ選手として活躍し、2018年からはジュニアのトップ選手が集うJOCエリートアカデミー所属となる。2021年に大学入学後は3年連続世界選手権に出場し、それぞれ62kg級3位、62kg級優勝、65kg級優勝を果たす。2024年1月のパリ五輪68kg級日本代表決定戦(プレーオフ)を制し、オリンピック代表の座をつかんだ。