高山郁夫の若者を輝かせる対話式コーチング~山本由伸編(後編)

前編:「山本由伸が変な投げ方の練習をしているとの報告に高山郁夫は?」はこちら>>

 オリックスのリーグ3連覇を陰で支えた投手コーチ・高山郁夫さんに指導論を聞くシリーズ。今回は突然、球界の常識にはないフォーム変更を断行した山本由伸(ドジャース)のエピソード後編をお届けする。

「完全なアーム投げだった」山本由伸を高山郁夫がいじらなかった...の画像はこちら >>

【完全なアーム投げだった】

── 山本投手からフォーム変更の意図について説明を受けたあと、どのように推移していったのでしょうか?

高山 ブルペンでのピッチング練習を見ても、遠投と同じ投げ方をしていました。右手のトップが間に合わず、左肩を早めに開いて腕が横振りになる。ボールは高めに噴き上がって、低めにいかない投げ方です。キャッチャーが中腰になるくらいの高さのボールはすばらしいんです(笑)。

── それでは、ストライクは入らないですよね。

高山 でも、本人も投げていくなかで徐々に感覚をつかんでいったのでしょう。そのうち、右腕を真っすぐに伸ばしながらもスッとトップをつくれるようになっていきました。

最初は高めにしかいかなかったボールが、少しずつ低くなっていって。

── 野球界では投げ腕を曲げずに投げる腕の振りを、アーム式ピッチングマシンになぞらえて「アーム投げ」などと呼ばれています。一般的にアーム投げは打者のタイミングがとりやすく、故障のリスクが大きいと言われてきました。山本投手も当時は「アーム投げ」だったのでしょうか。

高山 最初は完全なアーム投げでした。「早く(右手を)上げちゃえばいいのに......」と思っていました。

ただ、トップをつくれるようになってからはフォロースルーもとれるようになって、よくなりましたね。

── 期待の若手投手が急にアーム投げになったら、コーチとしては「自分の責任になる」という危機感はなかったのでしょうか?

高山 もちろん、ありました。周りにも「いつ言うべきか」ということは相談していましたし。ただ、私は基本的に「選手は球団の財産」という考え方です。いいものがあると球団が判断して獲ってきた選手を、ヨーイドンでいじるのは違うだろうと。指先の感覚というのは本人にしかわからない部分で、これを狂わせたら終わってしまうんです。

たとえ私が「理にかなっていない」と感じたとしても、ケガなく継続して数字を残せば何も問題のない世界なんです。

── 今までもそんな例はあったのでしょうか?

高山 ソフトバンクのコーチ時代に和田毅を見て、個人的には「きつい投げ方をするな」と思っていたんです。でも、彼と接して一緒に野球をやっていくなかで、あの投げ方が彼にとっていいことがわかってくるんです。なによりも、ケガをしない。私はプロ野球選手にとっての究極は、そこだと思うんです。ケガをせずに、結果を残す。

その経験があったから、由伸に対しても自然に接することができたのだと思います。

【2年目はセットアッパーだった理由】

── 山本投手の2年目はセットアッパーとして54試合に登板、32ホールドを挙げて防御率2.89。20歳と思えば上々の成績でした。

高山 プロ1年目に中10日空けないといけないコンディションだったので、2年目は短いイニングを投げさせようということになりました。ただし、3連投は絶対にさせないという方針で。3年目からは本人の希望もあって、先発に戻りました。

── オリックスは年間通して投手に無理をさせない運用をしていますよね。

高山 中嶋聡監督になってから、より顕著になったと思います。年間200イニングを投げさせることもないですよね(山本の年間最多イニング数は2021年の193回2/3)。首脳陣からすれば、リリーフでも毎日いい投手がいてくれたほうが安心なんです。でも、「もっとやれたはず」という選手がケガをして、2~3年くらいでボールの質が低下してしまうことも多かった。中嶋監督になってから、長い目でチームを変えていこうという意図をはっきりと感じました。

すごくいいことだと思います。

── 選手は「今日も行けるか?」と言われれば、意気に感じて無理してでも投げてしまうわけですからね。

高山 せっかく能力のある投手が3年でいなくなるなんて、本意ではありません。もちろんペナントを争っているわけなので、根性論のすべてが悪いわけではありません。それでも、これだけ情報が得られる時代なのですから。考え直すべきところは直したほうがいいですよね。

── 山本投手に関して、これまで危惧を感じたことはありますか?

高山 トレーニングコーチから「あまりウエイトトレーニングをしない」ということを指摘されたことがありました。ただし、本人に聞くと「ある程度はしています」と答えたうえで「基本的には自分の体重で自分を支えるようなトレーニングを重視したい」という考えを語っていました。たとえばブリッジとか、自重のトレーニングでバランスや体幹を養っていますと。そのように、自分の考えをちゃんと持っていて、コーチにも話してくれるんですよ。こちらができるのは、あとは運用と管理だけ。「どうやって故障をさせないか?」と考えるだけでした。そして、彼はその期待どおりに応えてくれましたね。

── コーチのなかには「指導者なのだから教えなければいけない」と強迫観念を持った人も多いように感じるので、高山さんのお話は新鮮に聞こえます。次回以降では、高山さんが今の指導スタンスに行き着くまでの経緯をお聞きしていきます。

高山 こんな話で大丈夫でしょうか(笑)。また、よろしくお願いします。

高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06~13年)、オリックス(14~15年、18~23年)、中日(16~17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した