シェフィールド・ウェンズデイ
初瀬亮インタビュー(前編)
5シーズンにわたってヴィッセル神戸に在籍し、2023年、2024年のJ1リーグ連覇にも貢献した初瀬亮の、イングランド2部、シェフィールド・ウェンズデイへの完全移籍が発表された。今年でプロ10年目を迎えた彼はなぜ今、ヴィッセルを離れ、海を渡る決断に至ったのか。
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シェフィールド・ウェンズデイへの加入が発表された翌日。初瀬亮は、現地に初めて足を踏み入れた日に訪れたパブで取材に応じてくれた。
「正直、契約までこんなに時間がかかるとは思っていなかったのでホッとしました。『いよいよヨーロッパでのチャレンジが始まるんや』って、めっちゃワクワクしています。
ここのパブ、1月半ばにこっちに来て初めて入った店なんです。クラブ関係者の方に『チキンカレーとナンが美味しい』って教えてもらいました。それもあって昨日、正式にサインを終えたあと、ここに来てカレーを食べてたら、勝手に涙がボロボロとあふれてきて......。『よかったー!』って気持ちと、『やっとサッカーができる!』って思って、めっちゃ泣いていました」
初瀬が10代の頃から漠然と描いていた海外移籍を、より現実的に考えるようになったのは、自身のパフォーマンスとチームの結果が連動するようになった、ここ数年だという。
「以前から、ヴィッセルで明確な結果を残してから海外移籍を、と思っていました。そのなかで、2023年は出場停止の1試合を除く全試合に先発でき、チームとしてもJ1初優勝と結果が出たので。年齢が上がるほど、海外移籍のハードルは上がるだけに、正直、同シーズンが終わったあとのタイミングでも海外移籍を考えたんです。
でも、2024年もヴィッセルで継続してピッチに立つことができ、J1リーグ連覇にも貢献できたことで、再び海外への想いが強くなった。なのでもう一度、代理人に海外移籍の可能性を探ってもらったんです。そしたら、ウェンズデイが『興味がある』と手を挙げてくれた。ヴィッセルからは契約延長の話をいただいていたので悩むところでしたが、それを機に一気に海外に気持ちが傾きました」
ただ、海外ならどの国、どのリーグでもいいとは思っていなかったという。若い選手であれば、最初のチームを足がかりに、時間をかけてステップアップしていくイメージを描けるかもしれないが、初瀬は今年の7月で28歳になる。だからこそ、あえて最初から自身に高いハードルを設け、できるだけ早く世界4大リーグに近づける移籍を目指した。
「日本代表にも選ばれていない僕が、プレミアリーグやブンデスリーガといったステージを目指すのは、難しいチャレンジだとわかっていました。ただ、どこでもいいから海外に飛び出してプレーできればいい、という年齢でもない。なので、代理人とも最初からある程度、リーグを絞って可能性を探っていこうと話していました」
もっとも海を渡った1月半ばの時点では、どのクラブとも正式な契約は成立していなかったという。先にも触れたとおり、ウェンズデイが初瀬に興味を示していたのは事実だが、「契約するかはわからない」とはっきり伝えられてもいた。すなわち、ヴィッセルからの契約延長のオファーを受け入れずに海を渡るということは、場合によっては所属チームがなくなる可能性があったということになる。
それでも、自分には必要なチャレンジだと考えた。
「ウェンズデイは当初、今冬の移籍ウインドウでは即戦力になりうる前線か、サイドハーフの新戦力の獲得を目指していたらしくて。クラブGMには『興味はあるけど、練習を見て決めたい』と言われていたし、正直に、僕以外にも他国の選手にも興味を持っていると伝えられていました。
でも、僕にしてみれば、少しでも興味を持ってもらえているんよね? と。なら、その可能性にチャレンジしないのは自分じゃない、と。ここで尻込みして後悔するくらいなら、チャレンジして後悔するほうがよほど自分のためになると考えました」
その思考は、彼がこれまで信条としてきた生き方にも通ずるものだ。
幼少期から初瀬は、常に父の「自分が決めたことを簡単にあきらめるな」「自分の選択に保険をかけるような男になるな」という教えのもとで、いろいろな選択をしてきた。
プロに憧れを抱き、Jクラブのアカデミーでプレーすることを目指した時も、父の「行きたいチームをひとつ選べ。そこがダメだったら、Jクラブはあきらめて地元のクラブチームでプレーしろ」というアドバイスのもと、ガンバジュニアユースに絞って、練習に参加し合格を勝ち取った。また、その際には自宅のある岸和田市から片道2時間もかけて練習に通うことを踏まえ、「サッカーをするなら『だんじり祭り』はあきらめろ」とも伝えられたという。
「岸和田生まれの人間にとって『だんじり祭り』は人生をかけて参加すると言ってもいいほど、大事な行事。地元の人たちはみんな、一年を通していろんな活動、準備をして本番を迎えるし、うちの家族も代々そうやって祭りに関わってきました。
だから、親父には両方が中途半端になるのはよくないと、『ガンバに行くなら、祭りはナシでいいな』と念を押されました。なので、僕も中学生以降は祭りをあきらめ、サッカーだけに熱を注ぐようになりました」
とはいえ、ガンバジュニアユース時代は悔しい思いをした時期が長く続いた。同期の市丸瑞希(現FC SONHO 川西)や髙木彰人(現SC相模原)が1年生からAチームに抜擢されたのに対し、初瀬はずっとBチーム止まり。ようやくチャンスをもらったのは、中学2年生の終わりだった。
また、ユースチームに昇格後も、市丸ら同期5人が1年生からスタメンに抜擢されたのに対し、初瀬はまたしてもBチームからのスタートに。高校2年生になる前の春休みの練習試合で、結果を残したことで、ようやくレギュラーの座をつかみ取った。
「中学生の時は特に悔しい思いばっかりでした。(市丸)瑞希や(髙木)彰人がAチームでプレーするのを見ながらボールボーイをさせられた時は、さすがに心が折れそうになったこともあります。
でも、親父とは『最後まで絶対に続ける』って約束していたし、何よりBチームの西村崇コーチにはいつも『ホンマに死に物狂いで頑張ったヤツにしかチャンスは来ない。試合に出ているヤツら以上に量をやらないと質は語れないぞ』『腐ったらそこで終わりや』と言われていたので。自分でやると決めた以上、簡単に諦めるわけにはいかないと思っていました」
2016年にガンバのトップチームに昇格後は、同期のなかでもいち早く公式戦デビューを飾るなど、順調にキャリアのスタートを切った初瀬だったが、監督が交代した2018年は出場機会が激減。その状況に危機感を覚えた彼は2019年、アカデミーから育った思い入れのあるクラブを離れ、ヴィッセル神戸への移籍を決断する。
「2017年に出場したU-20W杯で持ち味である攻撃の部分が世界でも通用すると思えたのは自信になったし、左右両足で蹴れることを強みにしていこうと思ったのも、この大会がきっかけです。それによって『海外でプレーしたい』という思いも強くなったけど、そのためにはまずガンバで試合に出て、結果を残し続けることとが大事だと思っていました。
なのに、2018年は出場機会が激ってしまい......。このまま居心地のいいガンバにいたらなんとなく時間が過ぎていきそうな気がして、環境を変えよう、と。自分にとってはめちゃめちゃ大きな決断でした」
ところが、ヴィッセルに移籍した2019年は前半戦こそ先発に名を連ねられたものの、同年夏の酒井高徳の加入を受け、同9月にはJ2のアビスパ福岡へ育成型期限付き移籍。2020年に再びヴィッセルに戻ってからは、2021年こそ33試合に絡む活躍を見せたが、翌年には約半分の出場数にとどまるなど、継続してレギュラーに定着できない時期を過ごした。
その状況を受けて移籍を考えないでもなかったが、かつて動画で見た中村俊輔(現横浜FCコーチ)の言葉が脳裏によみがえり、踏みとどまった。余談だが、中村は幼少期の初瀬少年が、左足のキックを磨くきっかけにもなった憧れの人でもある。
「(中村)俊輔さんの『若い時に、試合に出られないからといって、簡単に移籍をするな』って言葉を自分に当てはめて、確かにこのまま移籍するのって自分にとっては"逃げ"やな、と。なので、もう一回、自分を磨き直そうと決めて、2022年のシーズン後、オフを返上してひたすらトレーニングに向き合ったんです。ハイアルチ(低酸素環境でのトレーニング)をはじめ、いいと言われたものは『全部やってやる』と死に物狂いで取り組んだ。まさに『腐ったら終わる』という一心でした」
(つづく)
初瀬亮(はつせ・りょう)
1997年7月10日生まれ。