大塚達宣インタビュー 前編

 学生時代から同年代をリードする存在として高いパフォーマンスを披露し、日本代表としても五輪には東京(2021年)、パリ(2024年)と2大会で出場を果たした男子バレーボール選手の大塚達宣。2024-25クラブシーズンはイタリア・セリエAのミラノでプレーしている。

 初めての海外リーグに挑んでいる大塚に、レギュラーシーズンが佳境を迎えた今年2月、現地でインタビューを実施。その前編では、イタリア挑戦を決意した理由、負傷して迎えた開幕後に意識していたことなどを聞いた。

男子バレー大塚達宣が語る初のイタリア・セリエA挑戦 ミラノの...の画像はこちら >>

【海外挑戦を決めた理由】

――生活にはもう慣れたかと思いますが、好きなイタリア料理は?

「ピザですね!! マルゲリータ。シンプルがいちばん美味しいですし、ピザの生地が粉っぽい印象で、それがなんともいえない味わいです。ひとり暮らしも自炊も人生で初めてですが、栄養を考えながら料理をしています」

――海外挑戦を考えたのはいつ頃ですか?

「あらためて振り返ると、大学3年生時の全日本インカレを終えて、パナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)に入団させてもらった時かもしれません。

 そもそも全日本インカレ後から次のシーズンが始まる春先までの期間にも、早稲田大学の松井泰二監督に『高いレベルでバレーボールがしたい』と相談はしていたのですが、大学の授業の兼ね合いもあって海外は現実的に厳しかったんです。そこで国内リーグにトライさせてもらったのですが、チームのロラン・ティリ監督と話すなかで『パリ五輪を終えたタイミングがいちばんいいのでは?』と言ってもらった記憶があります」

――どうして、そのタイミングに?

「その時、すでに東京五輪を経験していましたが、学生の立場でしたし、自分のプレーを世界で見てもらう機会自体は少なかったのが現実です。なので、国内リーグで早い段階から頑張って力をつけて日本代表でもパフォーマンスを発揮して、『大塚達宣とはこういう選手だ』というイメージをある程度作ったうえで、海外リーグなどに臨むのがいいのかな、と。

 そうして次の年もパナソニックでプレーして、コートに立つ時間も増えましたし、『自分がチームを引っ張るんだ』くらいの思いで過ごしていました。そのうちに『国内で結果を出してから海外に行ってみよう』というビジョンが明確になって、今回のタイミングになったわけです。日本をステップアップにした、というわけではなくて、パナソニック自体もとてもいいチームで素晴らしい環境でやらせてもらっていました。それに海外挑戦に関しても、背中を押してもらったので感謝しています」

【Vリーグでプレーしていたカジースキもサポート】

――昨年8月上旬にパリ五輪を戦い終えてからミラノへ向かいましたね。

「ワクワクと不安が同時にありました。ですが、ビビッている暇はないなと。

『とにかく初めが肝心』と思っていたので、なるべく積極的にチームメイトと絡むように心がけました。リーグ戦開幕まで時間もあったので、食事に誘われたら参加して、バレーボールでもそれ以外の時間でもたくさんの選手とコミュニケーションを取って、少しでも自分のことを知ってもらうことを大事にしていました」

――チームの印象はいかがでしたか?

「ミラノは"人のよさ"が詰まっているチームでした。(ヤシン・)ルアティと(マッテオ・)ピアノは自分を息子のようにかわいがってくれます。親目線で接してくれていますね(笑)」

――日本でもプレーしたマテイ・カジースキ選手もいます。大塚選手が学生の頃に、Vリーグで活躍されていた印象があるかと思います。

「まさに、そうですね。自分がチームに合流して間もない頃は言葉の面で不安もあったんですが、カジースキが練習メニューを簡単な日本語で教えてくれたこともありました。『サイドアウト。そのあとでフリーボール。次はクイックとパイプ(バックアタック)。ハイボール、絶対にブロック3枚』という具合です。明るい人柄ですし、40歳になっても若手選手と一緒になってエネルギーを持ってプレーしている姿は純粋に尊敬します」

【開幕前に負傷も「できる限りのことをやろう」】

――ただ、大塚選手はリーグ戦序盤をコンディション不良で欠場することになりました。

「レギュラーシーズンが開幕する、その週に腹筋の肉離れに見舞われました。練習でスパイクを打っている時にどんどん痛くなってきて。『これは筋肉痛じゃないな』と思って病院で検査したら肉離れだったという。あれほど大きなケガは久しぶりだったかもしれないです。いつも、ねんざしてもすぐ復帰するタイプでしたから」

――焦りなどはありましたか?

「開幕するまで、チーム内ではメンバーを固定せずに練習していたんです。『ひょっとしてスタメンに入れるかも?』と先走る気持ちはあったと思います。『自分が持っているものを出さなければ、コートに立てないままシーズンを終えてしまうかもしれない』という思いも少なからずありました」

――そんな状態でも、リーグ戦が始まってからはタイムアウト時やセット間などでチームの輪に入る様子が見られました。まだまだ言葉の壁もあったと思いますが......。

「輪に入ろうとしていましたし、チームメイトも自分を入れようとしてくれていました。ミラノは常々『全員で戦う』と言っているチームなので、いつもそういう雰囲気なんです。

 メンバーは14人と、人数が多いわけではありません。ケガをしていてもベンチに入っていましたし、自分は何もできないからこそ、できる限りのことをやろうと考えていました。

その姿を見て、仲間が『出られなくても、大塚はやってくれている。自分たちも頑張ろう』となってくれたら、それはチームへの貢献のひとつだと思いますし、みんなが『早く帰ってこいよ』と毎日声をかけてくれたからこそ頑張れましたね」

(後編::イタリアでの石川祐希との対戦 大塚達宣が感じた「日本代表の時とはまた違う」振る舞いや表情の意味>>)

【プロフィール】

大塚達宣(おおつか・たつのり)

2000年11月5日生まれ、大阪府出身。ミラノ(イタリア)所属。身長195cm。アウトサイドヒッター。公益財団法人日本バレーボール協会のJVAエリートアカデミー生として才能を発掘され、中学時代はパンサーズジュニアで全国制覇、洛南高校時代も3年時に春高優勝を果たした。早稲田大学でも下級生時からレギュラーを務め、日本一を経験。日本代表にも名前を連ね、五輪には東京大会とパリ大会の2度出場している。大学在学時から所属していたパナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)を昨季限りで退団し、2024-25シーズンはイタリア・セリエAのミラノでプレーする。

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