【連載】
谷口彰悟「30歳を過ぎた僕が今、伝えたいこと」<第28回>

◆【連載・谷口彰悟】第1回から読む>>
◆第27回>>アキレス腱断裂の瞬間を振り返る「大丈夫。きっと大丈夫」

 プロサッカー選手になって12年目。

大ケガを負ったことのない谷口彰悟にとって、これほど長くピッチから離れる経験は過去一度もなかった。

 手術を受け、松葉杖をつき、少しずつ歩き、ジョギングをはじめ、やっとボールに触る──。復帰までの長い過程で、谷口の心境にどんな変化があったのか。そしてアキレス腱を切ったことで、あらためて思ったこととは。

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谷口彰悟がリハビリ中にダントツでうれしかった瞬間とは 「芝生...の画像はこちら >>
 不思議なことに、アキレス腱は切った瞬間がもっとも痛みを伴う。

 負傷した瞬間は、本当に足が破裂したような衝撃と痛みがあったが、その後は腱が切れて感覚がなくなるため、痛みもそれほど感じず、腫れるような症状が出ることもなかった。

 負傷の翌日、僕は飛行機に乗り込むと、日本へと帰国した。

 日本に戻ると、やっぱり安心したのか、ホッとした気持ちになった。ベルギーで手術を受けるよりも、慣れ親しんだ日本のほうが周囲とのコミュニケーションも取りやすく、環境や設備も自分に合っている。そうした状況に、なおさら安心感が得られ、理解を示してくれたシント・トロイデンにあらためて感謝した。

 頼ったのは、日本代表の活動でもお世話になっているドクターだった。東京大学整形外科の武冨修治先生から手術の内容について詳細を聞き、復帰までの計画や内容について説明を受けたことも、さらなる安心感につながった。

 術後、何週目で歩けるようになる。

 術後、何カ月目でジョギングができるようになる。

 術後、何カ月目でボールが蹴れるようになる。

 プログラムの過程を聞き、復帰に向けたイメージを具体的に持てたことも大きかった。

 無事にオペを終えたあとは、1週間くらい入院していただろうか。その間は絶対安静。退院してからも、しばらくはギプスをつけて松葉杖で生活を送った。そこからギプスが外れ、装具をつけて1カ月程度、日常生活を過ごしただろうか。

【リハビリの過程でうれしかったこと】

 同時にリハビリもスタートした。徐々に足首を動かし、角度をつけていった。リハビリについては、ありがたいことにJISS(国立スポーツ科学センター)と、高円宮記念JFA夢フィールドで実施させてもらえた。

 最初は歩行訓練からはじまり、足に体重をかける練習、つま先立ちやカーフレイズといったエクササイズに日々取り組んだ。そして、2カ月が過ぎたころにはジョギングができるまでに回復した。

 自分にとって初めての大きなケガに、リハビリ中のメンタルがどのように変化していくのか。当初は気がかりだったが、それほど大きな波はなかったように思う。

 それは長期に及ぶリハビリが初めての経験であり、新鮮さがあったからかもしれない。また、アキレス腱の負傷から復帰する過程においては、自分自身の進歩が見えやすかったことも奏功した。

 最初は足すら地面につけないし、歩けなかったのが、足がつけるようになり、歩けるようになっていった。足首についても、まったく曲がらなかったものが、だんだん角度をつけられるようになっていった。歩けるようになってからも、最初は装具をつけていたのに、それが取れて、普通に歩行できるようになっていった。

 少しずつだったとしても、確実にステップを踏んでいることが目に見えて実感できたことで、気持ちが大きく沈むことはなかった。

 もちろん、リハビリの過程では思うように進まない時期もあった。それでも、手術直後の自分の足を見た時には、再びサッカーができるイメージもできなければ、サッカーがしたいという気持ちも湧かなかったため、前進している手応えに焦ることはなかった。

 リハビリの過程で、やっぱりダントツでうれしかったのは、芝生のグラウンドに立った時と、再びサッカーボールを蹴れるようになった時だ。

 高円宮記念JFA夢フィールドのピッチに立った時には、思いきり芝生の匂いを嗅ぎ、「やっと立てたな」と思い、ボールを蹴った時には「楽しいな」と感触を確かめた。

【自分とサッカーは切っても切り離せない】

 この期間のことで、感謝したい人は数えきれないほどいるが、そのなかでも手術を担当してくれた武冨先生には、丁寧な手術と僕自身の心と体に向き合ってくれたことに、この場を借りてお礼を言いたい。

 JISSでのリハビリに、熱心に付き合ってくれたJISS坂光徹彦PT(フィジオセラピスト)、そして夢フィールドでのリハビリでは代表活動でもサポートしてもらっているJFA中條智志PTに、それぞれ本当に感謝をしている。僕の身体のクセを見極め、一つひとつ細かいトレーニングメニューを組んでくれたことで順調にリハビリを進めることができた。また、施設を使用させてくれたJISS、日本サッカー協会にもいくら感謝してもしきれない。

 自分がリハビリに集中することができたのは、本当に周りの協力があったからにほかならない。ただし、本当に恩返しができるのは自分が再びピッチに立ち、活躍してこそだと、今は気持ちを引き締めている。

 すでにベルギーに戻って、シント・トロイデンの練習に合流したように、少し前からトレーニングでは、いわゆるサッカーっぽい動きも増えてきた。それにより、再び自分がまたサッカー選手としてやっていくんだという、心と体のスイッチも入り、自分が再びピッチに立ってプレーする姿も具体的にイメージできるようになっている。

 今回、ケガをして、あらためて思ったことがある。

 安っぽく聞こえるかもしれないし、またはありきたりな言葉に聞こえるかもしれないけど、自分が「サッカーが好きなこと」を再認識した。

 ケガをした直後は、復帰する自分の姿をイメージできず、前述したようにサッカーをしたいと思うこともなかった。

 でも、左足の回復に合わせるかのように、自然と試合を見ている自分がいた。試合の結果や、見知った選手たちの活躍も気になるようになり、そこで自分にとってサッカーは切っても切り離せない、そしてかけがえのないものであることを実感した。

【以前の自分よりも強くなる】

 日本代表が2026年ワールドカップ出場を決めた3月20日のバーレーン戦を見に、埼玉スタジアムへ足を運んだことも刺激になった。

 スタンド席からワールドカップ出場を決める瞬間を見届け、心の底から「おめでとう」と思うと同時に、自分もまた、あのユニフォームを着たい、あの輪に入りたいという思いがより湧き上がってきた。

 これから、メンバー入りをかけたサバイバルが始まる。日本代表の活動も、より本大会を意識したものになっていくことだろう。

 自分もその競争に再び加わっていきたいと思うと同時に、ワールドカップに出場するという目標を叶えたいし、チームが目標としているワールドカップ優勝という目標にどうやって貢献できるかを考えて、日々を過ごしていきたい。

 33歳にしてアキレス腱を断裂するというケガは、自分にとって決して容易ではない試練だと思っている。

 ピッチに立ってからも、コンディションがどれだけ戻るのか、また動きのキレをどれだけ取り戻していけるのかなど、戸惑うこともあれば、葛藤することもあるかもしれない。現時点でそのすべては未知数だが、そこに挑戦できるのも、乗り越えられるのも自分自身しかいない。

 DFというポジション柄、常に最悪を想定して物事を考えていくだけに、全身全霊を捧げてもなお、かつての自分を取り戻すことはできないかもしれない。それでも今は、はっきりとこう思っている。

「以前の自分に戻すのではなく、以前の自分よりも強くなる。そうならなければ、ヨーロッパでも、ワールドカップの舞台でも、世界を相手に戦うことはできない」

 そこに挑まなければ、自分の人生はおもしろくないし、見ている人や応援してくれる人たちに感動も与えられない。

◆第29回につづく>>

【profile】
谷口彰悟(たにぐち・しょうご)
1991年7月15日生まれ、熊本県熊本市出身。大津高→筑波大を経て2014年に川崎フロンターレに正式入団。高い守備能力でスタメンを奪取し、4度のリーグ優勝に貢献する。Jリーグベストイレブンにも4度選出。2015年6月のイラク戦で日本代表デビュー。カタールW杯スペイン戦では日本代表選手・最年長31歳139日でW杯初出場を果たす。2023年からカタールのアル・ラーヤンSCでプレーしたのち、2024年7月にベルギーのシント・トロイデンに完全移籍する。ポジション=DF。身長183cm、体重75kg。

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